どうして『We’ll go together』を見ると泣きそうになってしまうのか

ここは特に読まなくていいです

こんばんは。

あけましておめでとうございます、ですね。

去年というかここ数年はほぼ月1の更新でしたが、まぁ色々と書きたいこともそこそこあるっちゃあって、それをスルーしたりめんどくさがっちゃったりで結果的に月に1回、雑多な近況やらドデカい1つの物事について書くという風になっていたんですね。

でも、新年も迎えたことですし、スルーしたくないなら、めんどくさくないなら、月1にぎゅっとまとめるんじゃなくて、細々と一つ一つ書いても良いのかなと思って今回は更新してみます。

いや、みますっていうか最初の方はそんな感じだったんですけどね。

これが続くかは分からないし、何なら今回更新したことで今月はもう何も書かない可能性も大の大の大やー!(おいでやす小田@ラヴィット!)ですが、とりあえず。

まとめでもない、ドデカくもない1つのことについて、今日は思っていることを殊更丁寧に書きたいと思います。



ここからは結構読んでほしい(本題)

さて、本題に入ろうと思います。

本題というのはタイトルの通り。

「どうして『We’ll go together』を見ると泣きそうになってしまうのか」についてです。

この『We’ll go together』というのは、Snow Manが今度リリースする新曲でして、それを「聴くと」ではなく「見ると」というのは、その新曲のパフォーマンス映像のことを言ってるんですね。

つまり、(つい先日初披露されたばかりの)Snow Manの新曲のパフォーマンスを見て、私はふと泣きそうになってしまったという話です。

では何故そうなったのか。

それは、私がSnow Manにハマる前。

元々、欅坂46のファンであったからです。

これは数年前に欅坂46から一方的に別れを告げられたあと、少し時間を置いて、Snow Manに出会った私が、今、彼らの新曲パフォーマンスを見て心をそっと揺さぶられている…そんな、小さいかもしれないけれど自分にとっては大切にしたい話です。



それは2023年の大晦日、生配信ライブで披露されたパフォーマンス

まずは、その『We’ll go together』のパフォーマンスを初めて見ることとなった、去年末のYouTube生配信で行われたSnow Manのライブのアーカイブ映像をこちらに。

これの、46:40辺りからが『We’ll go together』の初披露パフォーマンスとなっています。

これを見た時、私は曲はもちろんなんですが、このパフォーマンスの雰囲気にとても心を掴まれて、すごく良いなぁと思いました。

なんていうか、振り付けが素敵なのはもちろんのこと、その振り付けに良い意味で余白があって、自由度が高い部分が多い印象を受けたんです。

この振り付けの余白、自由度の高さに、私は個人的に日本のアイドルの"らしさ"を感じました。

一瞬だけ話を戻すと、実は私は欅坂46が改名した後、少しばかりK-POPのアイドルばかり注目していた時期があって、当然K-POPにはK-POPの魅力があってそれでしか感じられないカッコよさがあると思うのですが、それを経た上で日本のアイドル(ジャニーズって限定して言いたいけど今ムズい!何?一応まだスマイルアップ勢??)を再び見た時、こういうパフォーマンスの中での自由な動きがあるのって、もしかしてこの部類のアイドル特有の魅力なんじゃないかなと感じたんです。

もちろん曲にもよりますが、まさにこの『We’ll go together』では立ち位置だけが決まっていて後は自由に動いたり他のメンバーと一緒に遊んで良いっぽい箇所がいくつも見受けられますよね?

私が特に好きなのは、落ちサビで渡辺翔太くん(この曲が主題歌となっているドラマの主演)が他のメンバーに囲まれて、頭ちょんちょんされたり、肩ぽんぽん叩かれたり、指さされたり、サビの振りめっちゃ目の前でやられたりと皆に愛され甘やかされているのが物凄く伝わってくるような構図になるところです。

こういうの、J-POPアイドルでは割と当たり前のように見かけるかもしれませんが、よく考えてみると不思議ですよね。決められた振り付けをきっちりと綺麗に美しくこなす…のではなく、それは別として、こうして良い意味でゆるさのある振り付けの中で遊ぶという見せ方。

そこにはアドリブが求められて、そのアイドルの素っぽさを求められている。

(ちなみにどこかの論文で、アイドルは"裏側"までエンターテインメントとして提供するという話があってそれを今でも覚えているのですが、これは少しそこに通じるものがあるように感じていて、今言った"素"っぽさというのは、見せることが前提となっている"素"であることを理解した上で話を進めていきたいと思います。)

こういう場面で、メンバー達の"振り付けとして決まっている訳ではない本人たち発信の素っぽい動き、絡み"をパフォーマンスの一部として組み込むと、見ている人達に彼らが普段どのような雰囲気で活動しているのか、どんな関係性なのか、どんなグループなのかを見せる機会にもなり得ます。

振り付けでダンス能力の高さを伝える、歌で歌唱力の高さを伝える、歌詞や曲調でコンセプトやメッセージを伝える…それと並立するようにして、彼らは自分たち自身のパフォーマンス内での行動で、自分たちの普段の雰囲気、即ち"どんな人たちなのか"までもを伝えていると思うのです。

で、それじゃあこの今回の『We’ll go together』のパフォーマンスを通して彼らにどんな印象を持ったかと言えば、さっき言ったように、「めっっっちゃ雰囲気良いな…!」なんですね。

お互い笑顔で、にこにこで目を合わせまくり、とにかく楽しそう。

カメラ目線(=見ている人に対して)と同じくらい、メンバー同士でも視線を送り合って、コミュニケーションを取りまくってる。

このパフォーマンスを見たら、きっとSnow Manを全く知らない人でも「あー、仲良いんだな~」と直感的に思うと思うんです。

で、そして!

ここで私は、その「雰囲気良い!楽しそう!」が、どうしても泣きポイントとして心に刺さってしまったのです。

それが何でなのか…

理由は明白でした。



2020年10月、欅坂46ラストライブの配信で見た『砂塵』のパフォーマンス

約3年前、(コロナ禍により)生配信で行われた欅坂46のラストライブにて披露された、『砂塵』という曲のパフォーマンスで感じた気持ちを思い出させるからです。

私は元々欅坂46が大好きでした。

欅坂46も色々とあって、2020年に改名という形でそのグループの歴史に一旦幕を下ろすことになるのですが、そこで行われたのが欅坂46としての最後のライブ、『THE LAST LIVE』でした。

その頃の欅坂46といえば、まぁ改名を決断せざるを得ないほどの状況だったわけですから、グループの雰囲気で言えば「良くない」ものでした。今振り返って冷静に考えると、余計に。

この『砂塵』という曲も、本来であれば9枚目シングルに収録されてリリースされる予定だったと言われており、しかしながらグループの状況的に結局発売されることなく終わってしまったという、幻の曲でした。
(その後、改名を発表しラストアルバムを発売する際に収録され、一応リリースは無事にされています。)

欅坂46はパフォーマンスにとても力を入れていて、曲を届けるということを特に強く、大事にしてきたグループです。

しかし、それが故に、与えられた曲と真摯に向き合いすぎて、メンバーたち自身のいわゆる"素"の部分にまで大きな痛みや深い辛さを負わせてしまっていたように、今では思います。

あの頃の欅坂46を見ていた人ならば分かると思うのですが、暗い(あまりこの言い方はしたくないけど、曲調や内容的に世間一般的に暗い印象を与えるであろう)曲をパフォーマンスしている時だけでなく、明るい曲(セカアイとか)のパフォーマンス時でもどこか突き抜けきれず、どことなく仄暗さがずーっとある、そんな感じがありました。あくまでも、今振り返ってみて思う私の印象ですが…。

メンバー同士でその"暗い"雰囲気や気持ちを引っ張り合ってしまい、切り替えたいんだけど切り替えきれない、突き抜けきれない、そういう空気があったように思います。良くも悪くも、影響を受けやすい繊細な子が特に多かったイメージなので。

そんな中で、欅坂46が最後の力を振り絞って届けてくれた珠玉のパフォーマンスたちが詰め込まれているのが、この『THE LAST LIVE』。

当時は無観客配信という形でライブが執り行われ、現在は円盤で視聴することが可能です。

これ、セットリストがなかなか面白くて、2日間にわたって開催されているんですが、1日目がいわゆる暗い曲、2日目が比較的明るい曲で固めるように構成されているんですね。

そもそも10~20代の女性アイドルがほぼほぼ"暗い"曲のみでひと公演ライブを成立させられるというのも、それだけで欅坂46というアイドルグループの異色さが分かるようなんですが…
まぁ今回私が話したいのは、その2日目のライブの中で披露された『砂塵』のパフォーマンスについてです。

何度も言っている通り、欅坂46のパフォーマンスといえば"暗い"ものが割と多く、もっと具体的に述べると暗い雰囲気のものもあれば、強く、攻撃性の高い激しいパフォーマンスもたくさんありましたが、そのどれもが見てる側すら息の詰まるような緊張感のあるものばかりでした。

もっとも、『世界には愛しかない』や『二人セゾン』のように、表題曲でも明るかったり暖かみのある曲もありましたが、それすら「世界観に入り込む」ことが重要視されていて、パフォーマンス上で"素"っぽい面を見せるという試みはほとんどなかったように思います。その上、これらは欅坂46の中でも初期の方の楽曲で、後になればなるほどダークな世界観のものが楽曲の多くを占めていくことになるし、その頃にはメンバーたちの"素"すら決して明るいとは言えないイメージになっていっていました。

そうした中で、欅坂46として最後の日にやっと披露された『砂塵』。
正確には初披露はイオンカード会員限定の配信ライブで先に行われていたんですが、実質多くのファンが見られたパフォーマンスでいうとこの日が初めてでした(私もその1人)。てかどっちにしろまだ2回目だし。2回目だけど当時これが最後だと思ってたし。当時の私からしたら最初で最後の気持ちで見たパフォーマンスでした。

それが、ものすごく良かったんです。

良くて、泣いてしまったんです。

当時の私に、『砂塵』のパフォーマンスの何が刺さったのか。

それは、他でもない、欅坂46というグループでパフォーマンスするメンバーたちの「雰囲気の良さ」でした。

さっき、「良い意味でゆるさのある振り付けの中で遊ぶという見せ方」は「J-POPアイドルでは割と当たり前のように見かける」って言いましたよね。

でも欅坂46の中で言えば、それは全く、珍しいものでした。

しかもそのことに、『砂塵』のパフォーマンスを見た時、初めてハッとして気が付いたんです。

いや、欅坂にだって、最初は当たり前のようにあったはずなんです。

『手を繋いで帰ろうか』や『風に吹かれても』の中で見られる、メンバー同士目を合わせたり、ふざけ合ったりして、心から、"素"の部分から楽しんで行う、そんなパフォーマンス。

だけど、それは他の様々な、いくつもの膨大な世界観を作り出す楽曲たちに埋もれるようにして、いつの間にかそんな「当たり前」のパフォーマンスが遠いものになっていた。

『砂塵』の中でね、あるんです。

2番が終わって、Cメロに入る時。

「風は止んで 普通の青空」の部分から始まって、メンバーがすごく楽しそうに、笑顔で、カメラに向かって2,3人ずつ順番にアピールしていくパート。

事前に話し合ったりしたのかな、目を合わせてにっこり笑ったりしながら、それぞれに違うポーズを一緒に決めていくんです。

それがすっごく可愛くて、楽しそうで、幸せそうで。

その時に、私の中で大きな後悔が押し寄せました。

こんな、きっと「普通の」、「当たり前の」、いかにも日本のアイドルらしそうな、メンバーとの絡みを見せるということを。

私達が欅坂46に求めていたパフォーマンスの中では、いつの間にかさせてあげられなくなっていたんだと。

それで構わない、欅坂46はそれでいい、そう思っていたはずが、実際目の前にしてみると、こんなにも。

こんなにも、キラキラしていて、尊くて、もっと見たくなるものだったなんて。

もっと、彼女たち自身を、好きになれるものだったなんて…

私は最後となるであろうその楽曲で見せてくれた彼女達の笑顔を、ただひたすらに噛み締めました。

分かっています、後悔したところで、そんな反省をしたところで、欅坂46として失ったものはもう取り返しのつかないものだって。

犠牲はいつまで経っても拭えないものだって。

だけどそれなら、せめて。

この「当たり前」の光景の大切さを、尊さを、いつだって忘れないようにしよう。

そう思いました。

だからね、多分、泣きそうになってしまったんだと思います。

そう、3年以上経った今でも、欅坂46じゃない他のグループの、そんな当たり前みたいに繰り広げられる光景を見て。

あの時の後悔と共に抱いた気持ちを、私は今でも、大事に持っている。何よりの証拠だと思いました。

そんな自分自身への思いは、こうして「当たり前」を噛み締める度に大きくなって、もっともっと大事になっていくと、そう確信しています。

そして実は、Snow Manのパフォーマンスを見てこんな気持ちを抱くのは、これが初めてではありませんでした。



2022年7月、Snow Manの『オレンジkiss』発売記念生配信で見たパフォーマンス

(ここはそんなに読まなくてもいいです)

これはおまけで、私が欅坂46の改名を受けた後しばらく立ち直れないままK-POPの界隈に片足を突っ込んでみたり、改名後の新グループ・櫻坂46の活動を追いながら心の整理をつけているさなか、何か違う新しい景色を期待して入ってみたSnow Manの世界の入り口で起きた話です。

まぁ、私こんな堂々とアイドルオタクですみたいなツラしてますけども、実態はただのミーハーなんですね。

だから、Snow Manを見始めたのもそんなに深い思いはなく。

ただ、K-POPもなんとなく色々見てみたし、そろそろジャニーズの方も色々見てみよっかな!(陣内智則のコントの入りくらい軽くてどうでもいいトーン)で久しぶりにジャニーズ界隈にもチラッとお邪魔してみた程度のつもりだったんですけど。

それがちょうど、Snow Manがブラザービート出して、オレンジkissの期間に入る手前ぐらいの時期だったんですね。

もちろん、他にもSixTONESとかなにわ男子とか見てみて、メンバーの名前覚えてみたりとかもしてたんですけど、たまたまなのか何なのか、偶然にも特に私が心を惹かれてしまったのがSnow Manでしたね。まぁ、ラヴィット視聴者だったこともあり舘様の存在もかなり大きいですが。

きっかけはいくつもあるのでここでは省略しますが、兎にも角にも、私がSnow Manを見て初めて泣きそうになってしまったパフォーマンス。

それが、2022年の7月に行われた、『オレンジkiss』の発売記念のYouTube生配信内でのパフォーマンスでした。

(ていうか大晦日のやつもそうだけど、YouTube生配信て。無料て。まじでエグいです。凄すぎ。そうやって間口を大きく広げてくれているおかげで、私みたいな者も興味を持つきっかけになります。ありがとうございます。)

これがまた特殊な事態で、2022年夏というとまだコロナも終息しておらず、残念なことにその当時にも2人、コロナウイルスに感染してしまったメンバーが出て、9人でなく7人でのパフォーマンスを各音楽番組で行っていたんですね。

で、その生配信も例外ではなく、終始7人で企画を行ったり最後には歌を披露したりしていました。

普通に考えたらメンバーが欠けてしまい、完全体でパフォーマンスが行えないのはピンチなんですが、この時のパフォーマンスと来たら。

それまでの配信での企画の空気感もあるのでしょうが、とっても明るく、前向きで、それからやっぱり、すごく楽しそうに歌っていたんです。

それが刺さってしまって、もう。

こんなに無条件で楽しそうな、そしてそれがこちら側にまで伝わって、楽しくなってしまうようなパフォーマンスを、当たり前のようにやっているグループが今ここにいる、と。

この人たちのパフォーマンスを、これから先も見ていられたら、と。

未だに欅坂46へのお別れをはっきりと告げられずにいた私が、確かにそう思った瞬間でした。

『オレンジkiss』、今でも大好きな曲ですし、1回、また1回と新たなパフォーマンス機会が増える度に、愛が増していく曲です。

あの時感じたときめきとほんのちょっとの切なさを、またこうして大晦日に感じることができて幸せでした。



そして、今でも

Snow Manの新曲『We’ll go together』のパフォーマンスが本当に素敵で、尊くて大切なものがたくさん詰まっているということを、私のアイドル遍歴を通しながらここまで書いてきましたが、当然、それで終わりではありません。

この文章の話ではなく、そうしたパフォーマンスを行うアイドルのことです。

そう!アイドルって常に進化し続けていきます。

きっとここまで読んでくださっているあなたも、もう知っていますよね?

私が大好きだった欅坂46も、櫻坂46へと名前を変え、姿や中身までもを一新し、パフォーマンスもより、本当の意味で強く、洗練されたものになっていっています。

あの日、あれで終わりだと思っていた『砂塵』のパフォーマンスについても、2023年11月、東京ドームのライブにてキャプテンだった菅井友香の卒業と引き換えにもう一度この目で見ることが叶いました。

その時のキラキラっぷりったらもう。

また涙してしまったけれど、それ以上にすごく、私も笑顔になれました。

今では、自分自身に対して胸を張ってこう言えます。

私は欅坂46が大好きだった、そして、
今は櫻坂46が一番大好きなアイドルグループだと。

あの頃何よりも大事にしてきたものを変わらず守りながら、"素"の部分まで大切に愛することができる、そんなアイドルへ。

櫻坂46なら、それを叶えられるパフォーマンスをし続けていけると、そう信じています、願っています。


それから、そんなパフォーマンスをもう何度も見せてくれているSnow Man。

こないだも、彼らの冠番組内でまたそれが見られました。(↑ここでは1月12日まで見られます)

番組の最後の方、1時間44分頃からですが、歌い初めメドレーをやって、最後にはまた新たな『We’ll go together』のパフォーマンスを披露しています。

ここまで来たなら言うまでもないですが、素敵でした。



私にとっての『砂塵』と『We’ll go together』

『砂塵』の先ほど言及したパートには、メンバー達の笑顔と共に、こんな歌詞が出てきました。

"風は止んで 普通の青空 君をずっと 思い続ける"

そして、『We’ll go together』の中には、こんな歌詞があります。

"不意に薄れる 当たり前のしあわせ 何よりもそばに"

私の中で、この「普通の青空」と「当たり前のしあわせ」は、イコールで結べるんじゃないかなと思います。

「普通の青空」、それがどれほど大切で尊いものなのか。

欅坂46を好きになって、お別れして、やっと気付けたこと。

「当たり前のしあわせ」に触れて、それが当たり前なんかじゃないことを知ったからこそ、胸が締め付けられてしまったこと。

何よりも、大事に、ずっと守り続けていきたいと思うからこそ、私は今この文章を書いています。

アイドルのパフォーマンス1つで、大袈裟かもしれない。でも、それでも。

好きなアイドルが、当たり前のように、ただ普通に、楽しいと思った時に笑顔になれて、それを私達が見られる、そんな時間が、

これからも、何度も数が限られることなく訪れたら良いなと、そう思うのです。




よし、

今年もまた、私は色んなパフォーマンスを求めてアイドルを追いかけてみます!

そして普通に、当たり前に「良い」と思えるものを、一つ一つ、大切に胸に刻んでいきたいと思います。

その時、ひょっとしたらここにもまたちょこちょこっと記していくかもしれませんので、またお目にかかれることを願って。

私も当たり前に流れていってしまいそうな日々をそっと撫でながら、過ごしていこうかな。

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