[連載]稲嵐薄暮を僕は知らない 第一話
それは突発的で偶発的な出来事だった。例えるなら、そうだな。たまたま買ったアイスに丸い形じゃないハート型のレアが混じっていたり、お菓子の箱を開けたら金ぴかのエンジェルと目が合ったりするような事でここで巻き起こったのもそんな事象の一つ。
たまたま。稀に。そんな言葉に内包される偶然の産物にしか過ぎない。
ただ一つ違う点を挙げるのだとしたら僕が見舞ったそれがラッキーではなくアンラッキーな出来事だったという事だろうか。まぁ、どうでいいのだそんなの。
跳ねる身体。汗臭さの中にある鉄の匂い。
馬鹿らしい暑さを保っているだけの何でもない夏の日。事故に遭った。
少し厳密に言うのならば曲がり角を全速力で曲がろうと身体をうねらせた僕が坂道を勢い良く突き進んできた少女に自転車で轢かれてしまったのだ。
今、僕はラブストーリーは突然にと言わんばかりに全身を反り返らせて宙に浮いている。もしこれが高跳びの世界大会だったら堂々の優勝間違いなしだろう。
熱い。太陽がいつもよりも幾分か大きく見える。このまま僕は燃え尽きてしまうのだろうか。それとも………………いや、
多分、僕は死ぬ。
はっきり言ってクソ痛い。マジで痛い。この痛みに比べたら歯医者も注射へでもない。どっちもマシュマロみたいなもんだ。
そんな痛みを全身に感じるからこそ、現在進行形で僕は死を悟っている。
頭に走馬灯が駆け巡る。卒園式で歌った曲みたいにあんなこと、こんなこと、あったでしょうと断片的に記憶が散らばり始める。どうやら脳内でも死への儀式が始まったらしい。
そもそもどうしてこうなったんだっけ。ちょっと具体的に話をしよう。なにどうせ死ぬ運命だ。せめて極めて短いエンドロールくらい自由に見させてくれ。
午前11時。つまりは朝。好きで設定したはずが今はもう嫌いになったバンドの曲をアラーム音として何の問題もなく目を開けた。この時の乾修次(いぬい しゅうじ)くんはまさか今日が自分の命日になるとはつゆ知らず吞気に欠伸をしている。ぼさぼさの髪で。
決して寝覚めのイイ朝ではなかったが、まだこの時点で特に異常性はなかった。今日もくだらない一日がまた始まって結局何も出来ないで終わっていく。そんな予感がしていた。
まさか死ぬなんて一つも思っていなかった。
僕が死ぬまで残り3時間。
歯を磨いて、顔を洗って朝食を食べる。
最後の晩餐は昨夜残った筑前煮だった。味は良く覚えていない。レンコンが硬かったって事くらいか。
そんな僕の姿を横目に忙しそうに母は洗濯をしている。お世辞にも似合ってるなんて言えない真っ白なワンピースをひらひらさせて、手際よく父のパンツを何枚も洗濯竿に並べている。
「夏休みだからってこんな時間まで寝てちゃダメでしょ」
と、優しく諭すように母はそう言った。ここでもまだおかしな所はない。
…………でも、そうか。ここで死ぬのだったらこんな会話未満のくだらない一言が最後の言葉になっちゃうのか。
それは嫌だ。せめてありがとうくらいは言ってあげたかった。つくづく親不孝物だ。ごめん、お母さん。お父さん。
ありがとう。
なんて言ったってしょうがない。話の続きをしよう。
朝食を済ませた後、僕はある事実に気が付いた。
そう言えば今日は夏休み最後の日ではないかと。(又は人生最後の日)
にしても本当にあっという間だったな。
そう言えば今年の夏休みは何をしたっけと少し思い返してみる。
最初のうちは「待ちに待った夏休みだ!」なんてコロンビアのポーズをして大喜びしていたが、いざこうして過ぎてみれば何にもしなかった。それこそ僕の人生と同じ様に。
確かに毎日が休みであるというのは素晴らしい事だ。夏休みというのは僕含む学生諸君一同が輪になって代えがたい喜びを体中で感じる至福のひと時であろう。
だが、それは上っ面だけの喜びである。なぜなら本物の夏休みってのは友達との予定があるからこそ真価を発揮する物であるからだ。
休み自体に価値はそこまでなく、友達との思い出作りが出来る事にこそ本当の価値がある。
僕の場合は休みだからといって特にやる事があるわけでもない。
旅行先は「海か山かどっちがいい?」と聞いてくれる人も
「いや、絶対海!!」
「いやいや、絶対に山だから!!」
なんて熱い討論を交わす相手もいない。
チリチリと燃える線香花火を見ながら
「これが落ちたらもう、夏終わっちゃうね……」なんてのは夢物語。
「宿題が終わらないよぉぉぉ」と友人に泣きつく事もない。(一週間前に宿題は終わらせたけどそれもこうなってしまっては意味ないか)
そうだな。この夏、最大の冒険と言えば隣町のゲオに行った事くらいだろうか。何とも小規模な世界なのだろう。自分でも恥ずかしい。けど、その時の僕にしてみれば気分はマゼランだったのだからおかしな話だ。
そう言えば竹下の奴はこの前「夜通しでアニメを堪能しもうした」って言ってたな。正直、羨ましい。
結局、この夏はオタクらしい思い出作りさえしないで空白の日々を過ごしただけだったな。
……ってかそんなオタクの戯れにさえ、誘われない僕って何なんだ。スクールカースト最底辺すぎるだろ。
まぁ、とにかく今年の夏何にもしなかった。いつも通りに。
一説によると人生全てを通して一番楽しかった瞬間に選ばれる事もあるらしい高校生の夏休み。それがこんな軽薄な形で終わっていくなんて。僕が許しても神様が許さなかったのだろう。
夏休みの思い出の薄っぺらさに失望した僕は何か予定があるわけでもないのに不思議と外に出る支度をしていた。今、思えばこの時点で死神に誘われていたのかもしれない。
後ろから声がする。これはどうやら姉の声らしい。
「なに、修ちゃん出かけるの珍しいじゃん。えらいねぇ」
その呼び方は(最終兵器彼女みたいでゾッとするので)やめてくれと前言ったはずなのだが、姉はそんなのお構い無しに愛称で僕を呼ぶ。
「どこ行くか知らないけど、良かったらアイス買ってきてよ。安いカップの奴でいいから」
「うぇー」
思えばこれも最後の会話になるのか。僕が居なくなったら姉はワンワン泣くだろう。その姿だけは絵に描くみたいに容易に想像できる。
普段は鬱陶しいだけの幼稚な姉の声が今は喉から手が出る程恋しい。
外に出た僕は素早くコンビニで買い物をし、溶けてしまうから後回しに買うべきアイスが入ったビニール袋を手にぶら下げ、特に目的もなく街を歩いていた。BGMはナンバーガールの「透明少女」。
僕の夏休みは空っぽだったかもしれないけど、この曲さえあれば正直僕の夏は十分。
クリームソーダ、プールサイド。そんな言葉なんかより夏の季語といったら「透明少女」だ。ナンバーガールは解散してしまったけど曲は消えない。この曲はいつだって僕の心にライブかのような新鮮で生暖かい情熱を与えてくれる。
「夏だったぁぁぁあぁぉぉぉぉうわぁぁぁっっっっっっぁ!!」
傍から見たら普通に不審者だ。だけどそれがカッコいいとさえ、その時は思っていた。
何回もこの曲をループ再生してる内に完全に調子に乗ってしまった脳内は外の暑さと曲の熱にやられた酩酊状態の中で次第にバカな思いを膨張させていく。
「向井秀徳(ナンバーガールのボーカルの人)みたいに破天荒に生きてぇ」
そんな衝動が導いた行動は意味もなく"走る"という荒唐無稽な物だった。
僕は走った。自分が聖なる騎士になったつもりで意味もなく全速力で。フォレストガンプかのように真っ直ぐ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
と誰にも聞こえない小声で叫びながら。
しかし、それが命取りだった。
暫く走って勢いを付けた所で曲がり角に入ったその瞬間だった。
僕は自転車にはねられた。
物凄い轟音が走るかと思ったが意外と静寂としながら時は流れた。もしかしたら耳がやられてしまったのかもしれない。
真っ赤な血が風を搔き分け、飛び散る液体。
そんな僕の醜態にお構い無しにと言わんばかりに凛と髪をなびかせる、夏の魔物の様な少女。
それは勝手に脳内で作り上げた「透明少女」のイメージがそのまま現実に具現化したかのような美しい姿をしていた。
そんなところだろうか。
言ったらアレだがこうして見ると何とも物語の始まり感が強い展開だ。当然、主人公は少女側だろうが。
以降は現状の実況中継に戻る。と言っても待ち受けるラストは決まっているだろうけど。
セミの声が心地いい子守唄に聞こえる。まぁ、今の僕にとっては子守唄と言うよりレクイエムなのだろうけど。
不思議な物だ。なんだか全てがスローモーションに見える。雲の流れも、電車の動きも、木々のなびきも全部が全部凄くのっそりしているパラパラ漫画みたいに見える。
漫画とかでよく見る最期の瞬間だけ世界が遅く見える現象は本当にあったんだ。なんだか、感動するな。
……あっ、僕の手にあったはずのビニール袋から姉に言われて買ったアイスがはみ出してる。ぶつかった衝撃でぐちゃぐちゃだ。僕の身体ももう少ししたらこうなるのだろうか。ストロベリー味だから余計に想像してしまう。グロテスクな光景を思い浮かべてしまう。
でも、そうか。このビニール袋に入ってる物が全部忘れ形見になってしまうのか。
こんなどうでもいいありふれた物でさえ、死の前ではかけがえのない一品へと変貌してしまうんだ。変なものだな。
…………にしても、だったらもっといいものを買えば良かったな。あーあ。今日死ぬって分かってたら意味もなく貯めたバイトの金、全部引き落として家族にブランド品の一つや二つ買ってあげれたのに。何なら旅行券をプレゼントする事だって出来ただろうに。
どうしてこんなにも急に死って訪れるのだろう。
どうしてあんなに無意味だと思ってた日々が愛おしくて堪らないのだろう。
人生は無常だ。大好きだったバンドは急に解散する。大好きだった人の訃報が急になだれ込んでくる。
それらの事象と同じ当然の羅列として死は僕を貫く。今日は特に変わらない日だった。昨日と同じ時間に起きたし、朝の占いで「今日、事故に遭いますので注意してください」なんて言われなかった。
有機物の旋律。鉄塊に身を乗り出す現代人。あれの心理が今まで理解できなかったけど結局こうして僕もその内の一人になってしまったような最後を迎える。そう言う風に世界は出来ている。
でも、まぁ、こんな美しい少女に轢かれて死ねるのならそれも本望なのかもしれない。
彼女のスカーレット髪が元からなのか、それとも僕の血のせいでそう見えているのか。なんだかもうよくわかんないな。けどいい。
どっちが悪いとかもそんなのも正直どうでもいい。被害者ヅラする気もない。
ここにあるのは僕がこのまま死ぬだろうという事とこの少女が半永久的に僕の存在を背負って生きていかなければならないという事だけだ。
姉辺りはこの少女に激昂して酷い罵詈雑言を浴びせる事だろう。もしかしなくても多額の慰謝料を少女に請求するのだろう。そう思うと何だか不憫にも思える。
遠くから声が聞こえる。誰の声なんだろう。よくわからない、誰か救急車でも呼んでいるのか?
でももう助からないんだ。このままでいい。思えば後先も短い人生だ。どうせなら美少女に殺されたい。そう思っていたのではないだろうか。おそらく。
関係ない。僕とあなたは関係ない。触れてはいけなかった。普通に生きてたら触れることなんてできやしなかった。僕がドブに沈んだ生ゴミだとしたらあなたは高く聳え立つ峠に静かに咲いている高嶺の花。そんな少女に僕はひかれた。
これは幸せな事なのだろう。このままダラダラと何の目的もないまま生き続けるよりもここで少女に轢かれて死ぬ。その方がキレイだったんだ。
今までの人生を見かねた神様がきっとそう決めた。いい神様だ。
生きている理由などない。そんな言葉をしゃぼん玉みたいに部屋に浮かべてプカプカと浮足立つ毎日だった。でも、今日でそんな苦悩にまみれた日々ともおさらば。
心残りがあるとすれば俯瞰して僕のやられモーションが見れないのが残念という事くらいだろうか。それ以外は概ね満足。少女側に怪我がなさそうなのも良かった。
僕はというか人間の殆どが産まれた時にラッキーを使い果たしてしまう物なのだろうから、これくらいの報いは別に何とも思わない。
ここで死ねたのはアンラッキーじゃなくてラッキーな事だったとさえ思える。
朦朧とする意識の中、そう反芻しゆっくりと目を閉じた。
…あ…………………………
………………………………
…………あ…………………
あ、…………………………
………………………………
あぁ、………………………
……………………………あ!
怖い。
しょうがないとか言って静かに消えるのがカッコいいのかもしれないけどやっぱり死ぬのは怖い。何でこうなったんだろう。
死にたくない。やっぱり死ぬのは恐ろしい。
こうして平然を装ってみたものの本当は怖くて仕方がない。そもそも人って死んだら何処に行くのだろう。
地獄か天国?どっちも違う。
なんて結論は既に出ているだろう。
僕が今まで死ねなかった理由に全ては明らかにされている。
厭世的な思考をしていた僕が自死を選択しなかったその理由は二つある。
一つは家族の笑顔。
もう一つはその行為の果てにあるのは自分と向き合うだけの空間であると思うから。
つまりは楽になろうと逃げ込んだ先にあるのは一番厭な自分だけがいる鏡合わせの地獄であると気づいていたからだ。
死んだ後にあるのは自分一人の世界。それ以外には誰もいない至極空虚な場所である。
だからこそ、その時に浸れる思い出の数が多い方が退屈しないし幸せな気持ちでいられるから人はみな必死に生きるのだと思う。
生きる目的とは死んだ先にある無の世界で浸る余韻の為の物なのだ。
長生きすれば沢山思い出に浸れるけど、短命であればあるほどすぐさま退屈にむしばまれる。だからこそ、人は長生きをする。
突然の死なんて誰も受け入れられない物なんだ。
生きたい。
心の底からまっさらな気持ちで生まれて初めてそう思った。
意味もなく死を美化していた僕は今日はじめて生きたいと思えた。
だから神様どうか、世界を止めてください。
………………
永久に開かないままだと思われた瞼を僕は開けた。殆ど真っ暗でよく分からないけど、微かに電光の灯りが見える様な気もする。
「ここはなんだ…………」
半分泣いている様な情けない声で微かな言葉を思わず、口走ると甘美な声が帰ってきた。
「ぶっぶー、不正解。どんな状況でも瞬時に吞み込めないとこの先厳しいよ、助手の乾さん」
ここから始まるのは透明少女が変わるお話。どう変わっていくのはまた追々話していこう。
第一話終わり。
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