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「利食い」の真実

「利食い」は合理的な投資行動としてはおかしい

投資の世界には「利食い千人力」という使い古された格言がある。株式や債権などに投資を行い、含み益が出ている状態で売らずにいると、相場が反転して利益を取り損なうことがある。そんな本末転倒な結果にならないように、利益は確定できる時に確定させておけ、という意味だ。
しかし、利食いは冷静に考えると不可解な点が多い。巨大な株式市場において「自分のポートフォリオに含み益が出ているから」などという、控えめに言って無価値な情報を頼りに投資判断(利食いを伴う「売却」も立派な投資判断だ)を行なっても良いのだろうか?
現実の株式市場で売却を行うのであれば、少なくても下記のようなことはよく考えて売却(利食い)する必要があろう。

・今の値段で買っている人の判断をどう考えるか
・自分の含み益が将来の株価に影響を与えるか
・利食いで課税されるが、不利にならないか


今の値段で買っている人の判断をどう考えるか

筆者は株式市場について「株価は市場で形成されている現実である」という趣旨の内容を述べることが多いのだが、株価は市場に参加する全ての人の「売ってもよい」と「買ってもよい」が釣り合ったところで形成されている。「たったそれだけのこと」なのだが、その値付けの背景には巨大市場に参加する様々な意思決定が集約されている。現在、市場で取引されている価格が、自分の購入した価格より高い水準であったとしても(含み益の状態であったとしても)、市場参加者の売買の意思決定は今の株価で釣り合っている。
さて、上記を前提に利食い(売却)を考えてみよう。ここで利食いを目的とした売却を行うということは、今の株価で買っている人の判断を否定しているのとほぼ同義だ。
利食いをするのであれば、「今の市場参加者の価格形成判断は間違っている。」ということを説明できるだけの確かな根拠がほしい。そうでなければ、利食いを実行するタイミングは明日の方が良いかもしれないのに、「なぜ今日なのか」が説明できない。市場参加者が今の価格で買っても十分であると考えて形成している株価にあって、あえて利食いを行うのであれば、少なくてもその程度は考えてから判断したい。しかし、現実的にこの判断を正確に行うことは、誰にとっても相当に難しい。すなわち、利食い(売却)は今の市場の価格形成を否定するくらいの理由が必要な投資行動なのだ。


自分の含み益が将来の株価に影響を与えるか

値上がりした銘柄を自分のポートフォリオに持っていると、利食いしたい衝動に襲われる感覚は理解できなくはない。しかし、株価は市場で形成されるものであって、「自分の買い値との差」で形成されているわけではない。(自分の買値から株価が離れていくほど値動きが鈍くなったり、逆に自分の買値に近いと値動きが活発になったりするわけではない。)
株価は「どこの誰がいくらで買ったか」などという些細な情報とは全く無関係で、その時その時の市場で形成されるので、含み益であろうと含み損であろうと「今その時点においては」高いとも安いとも言えないのが現実だ。自分の買値が今後の株価に影響を与えないのであれば、含み益などの「自分の買値」に関する情報を売買の判断材料に混ぜるような投資行動は奇妙である。すなわち、「塩漬け(含み損で株価が戻るのを待つ)」、「利食い(含み益の一部を確定させる)」、「ナンピン買い(値下がりした銘柄を買い増し、平均取得単価を下げる)」などの投資行動は、自分の買値と現在の株価の差を気にするあまり、非合理的な行動を取っていることになる。

・「塩漬け」「ナンピン買い」
→含み益と同じく、個人の含み損のことなど市場は気にしてくれない。今後、株価は永遠に戻ってこないかもしれないし、すぐに戻ってくるかもしれない。どちらかわからないのだから、塩漬けにするかどうかの判断は「含み損か、含み益か」ではなく「今の価格」で行う必要がある。「含み損だから塩漬けにする」では、論理破綻している。
また、ナンピン買いについても「自分の平均取得単価を下げるため」という目的では非合理的である。「自分の平均取得単価」が今後の株価形成に影響を与えるのでなければ、ナンピン買いは合理的な行動として正当化できない。

・「利食い(利確)」
→先述の通り、市場の株価形成は個人の含み益の状況などには一切影響されない。今後の価格形成に関係ないのだから投資判断を行う際に、「含み益」のことは忘れるくらいでなければならない。

結局、「自分の買値」や「自分の平均取得単価」など、「自分のこと」は今後の株価形成に関係ないのだ。



余談:アンカリング効果
このような心理的な動きは、行動経済学でいうところの「アンカリング効果」の一種だ。「自分の買値」にアンカーが刺さっている状態である。
アンカリング効果とは簡単に説明すると「初めに見た数字」が基準(アンカー)として決定してしまう心理現象だ。例えば、予算30万円で高級ブランドの宝石店に行き、入り口に「250万円」のダイヤが展示されていたとする。「とても手が出ない」と思ったが、勇気を出して店内に入り説明を受けると、見た目は入り口のものと変わらないが、純度の少し違うものが「50万円」だという。「これならなんとか買えそうだ」と感じたら、それがアンカリング効果だ。おそらく店頭で「250万円」のダイヤを見ていなければ、「50万円」をもっと「高い」と感じるはずだ。店頭で「250万円」という価格を最初に見せられて、「このブランドのダイヤはこのくらいの価格なのか」と無意識に「そのブランドのダイヤ=250万円」というアンカーを打ち込まれている。その後に50万円を見せられるから「250万円と比べれば」お買い得だっと判断しているに過ぎない。

しかし、たしか当初の予算は30万円だったはずだ。



利食いで課税されるが、不利にならないか

改めて説明するまでもないが、基本的に金融所得(株や債権などの利益)には、利益に対して所得税と地方税を合わせて約20%の税金がかかる。この「税金」は利益を確定させない限り(すなわち含み益の状態では)支払う必要がない税金だ(←超重要な事実)。利食いは課税のタイミングを早める行為そのものであり、これは「規模」がモノをいう投資の世界において決定的に不利に働く。
例えば、30万円で買った銘柄が幸運にも時価40万円になっていると仮定しよう。市場では40万円で取引されているのだから「売らない」ということは、その価格で購入することと概ね同じ意思決定だ。売らなければ時価40万円の銘柄を自分のポートフォリオに残せる。
一方、売却した場合はどうか?含み益10万円に対して2万円の税金がかかるのだから、売却した時点で38万円(現金)になる。ここで重要なのは、売却しようと、そのまま継続保有しようと、この先どの銘柄の株価が上がるか下がるかについて、正確なことはよくわからないということだ。すなわち、下記のいずれのパターンが有利なのか不利なのかは誰にもわからない。

 ・「40万円のA株式を継続保有」
 ・「38万円の現金に換金」
 ・「38万円のB株式を新規に買付」

どれが有利か不利かわからないのに、「利食いした」というたったそれだけのことで、投資額を2万円も減らすことになる。A株式から他の資産に乗り換える(現金化する、B株式に買い換える)には、2万円という高額な手数料(税金だが、あえて手数料と書く)がかかる。A株が致命的に「ダメだ」といえる明確な根拠がなければ、これは相当に高額だ。(40万円を少し動かしたら2万円もかかるのだ。ATMの利用や銀行振込の時に同じ手数料がかかるとしたら、どう感じるか?)
加えて、後から振り返った時に、心理的に最も悔やむことになりそうなのは、A株を売った後にA株の株価がさらに上昇していくパターンではないか。(「余計なことをしなければよかった。。。」と一番後悔しそうだ。)
含み益を利食いすることで課税のタイミングを早めることはポートフォリオの規模を自ら縮小することになり、基本的に不利だ。売るべき根拠がないのであれば、なるべく利食いは行わない方がよい。


結局、利食いにはほぼメリットがない

利食いは自らの「含み益」や「含み損」などの自分のポートフォリオ情報が、将来の株価に影響しないという大切な事実を無視した投資行動であり、合理的ではない。株価は現在の市場価格こそが現実であり、投資行動は「自分の買値」ではなく「現在の株価」で判断しなければならない。
加えて、利食いは課税のタイミングを意図的に早める行為であり、これが致命的な欠点になる。利食いすることで順調に成長した投資額を、自らの手で縮小することになりかねない。それでも(税金を早く支払ってでも)売却することが有利であるケースは、過去を振り返ればあるだろう。しかし、事前にそれを(未来を)知る術はない。制度上、課税を後回しにすることが可能なのだから、税金の支払いはなるべく後回しにして、より長く自分の投資原資として市場に提供した方が有利だ。確かに、自分の買値のことは相当に気になるものだが、投資判断を行う際には忘れるくらいが丁度いいだろう。

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