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事故にあった猫と10年暮らした話

大学生だったある日。
夜、彼とドライブをしていて(ハンドルを握っていたのは私)、対向車線の前方に何かがヒラヒラと舞った。
すれ違う瞬間にちらっと目線を送ったら、「え?!猫?!」。

急いで車を停め、駆け寄った。
が、たどり着く数秒手前、目の前でもう一度轢かれた。
大きなジャスチャーで後続車を停め、急いで轢かれた猫を抱き上げた。

大きな猫だった。
血だらけで、身体はぺったんこ。苦しそうな声で鳴いている。
今にも絶命しそうだ。
時刻は夜9時くらいだったと思う。
近くの動物病院に電話をしてみるが、「轢かれた猫は先ず助からない」と2軒断られた。
祈りながら3軒目に電話する。
「すぐに連れてきてください。」

彼の着ていたTシャツで猫を包み(夏だったのでTシャツ1枚。要するに彼は上半身裸になった)、近くのコンビニで段ボールをもらい、そこに寝かせて体制を安定させて、病院まで連れて行った。
土地勘のない道路、ナビもない時代。苦しそうな声を上げる猫。
近くと言われたのに、遠く感じた。

「出来るだけのことをするけど、希望は2~3割かな。あとは猫ちゃんの生命力次第。」

翌日、電話をしてみると、「もしかしたら助かるかも。」

そして、ヤツは見事復活したのだ。

野良生活が長かったようで、身体は痩せ細り、猫エイズの他にもいくつも病気を抱えており、歯はボロボロ。事故で手足4本とも骨折していた。そして、病気のせいで首から上に毛が全く生えていない…見た目がまるでETのようだった。

ヤツは手足を4本投げ出してゴロンとして、顔だけこちらに向けて、じーっと見ている。
なかなかのブサイクさだった。

さて。とっさに助けたまではいいが、誰が飼うのか?
そして、この10万円の治療費は誰が払うのか?

ヤツはじーっとこちらを見ている。

私:「我々が飼います。治療費は分割して払います。いつ退院できますか?」

事故から3週間後、ヤツは退院した。彼のマンションは2DKだったので、その1部屋をヤツの部屋にした。

名前はプラトン。なぜなら去勢したから。そして物思いにふける感じも、哲学者っぽかった。

プラトンは賢かった。

「これがお前のトイレね」と一度言っただけで、ちゃんと覚えた。
ただ、人間への警戒心が強く、部屋のドアを開けておいても、ヤツは自分の部屋のドアのところで澄まして座っているだけで、彼の部屋に入ってくることはなかった。

黙々とご飯をあげる彼、黙々と食べる猫。
黙々とトイレ掃除をする彼、黙々とそこでトイレをする猫。

気が付けば、毛も生え変わり、きれいな猫になっていた。

そんな生活が続いたある日、彼から電話がかかってきた。
「プラトンが部屋に入って来た。TVの上からじーっと俺を見てる。」
数日後、「プラトンがベッドに入って来た。」
(まさかのベッドイン!)

ついにプラトンは心を開いたのだ。

プラトンは皆に愛された。
彼が家を留守にする時は先輩や後輩、友達がご飯をあげに来てくれる。
暇さえあれば、猫用おもちゃを持ってプラトンと遊びに来てくれる。

そんなある日、プラトンが脱走した。
何日も探し続けるが、いない。
ベランダや玄関に餌を置いておくと、知らない猫が食べてる(笑)
冬だというのに、彼はマンションの窓と玄関を開けて寝ていた。夜中にプラトンが帰ってきたら入れるようにと。(危険だし。凍死するし。)

夜中に電話がかかってきた。
「プラトンが帰ってきた!ベッドに入って来た。骨折の痕も体の傷もプラトンだ。歯もボロボロだし口も臭い。このブサイクさはプラトンだ間違いない。」

その後、私たちは大学を卒業し、就職し、色々なことがあって、別れて、また出会い直して、付き合うようになって。

その全てを、プラトンはじーっと見ていた。

彼とプラトンと私の3人暮らしは、最高に幸せな日々だった。
寝る時はベッドの真ん中に陣取り、朝お腹が空いたら、寝ている彼の顔の上に乗っかって起こす。
毎週(本当に毎週)うちで飲み会をしていたが、プラトンは必ず誰かの膝の上に乗っていた。皆が優しく撫でてくれた。

やがて私たちは結婚し、息子が生まれた。

赤ちゃんと微妙な距離を取るプラトン。
皆の動きをじーっと見ている。
距離を縮めるプラトン。
先ずは赤ん坊の足の上に乗ってみる。
じわじわとお腹までくる。
そして顔(そこはアカン)。

こんな日がずっと続けばいいと思っていたが、4人の幸せな生活は長くは続かなかった。

長年、猫エイズと腎不全を患っていたプラトンは、この頃だいぶ体が弱っていた。どちらも直せない病気で、週に2回通院していたが、体を少し楽にしてあげる対処療法しかなかった。

少しずつ弱っていくプラトンを見るのは、本当に辛かった。

ある日、検査の数値も一層悪くなり、あまり動けなくなった。

「もう旅立とうとしているね。医療的には、もうやり尽くしたかな。あと数日だと思う。よく頑張ったよ。プラトンも、とら子さん達も。」

夫と私は、プラトンをずっと抱っこしていた。

そして旅立ち宣告から2日目の夜、苦しそうに2度口を開けたかと思ったら、力尽きるように眠ってしまった。

翌日、プラトンを愛してくれた友人たちが、花とお酒を持ってうちに集まってくれた。
眠っているプラトンに「ありがとうな」と言ってくれる友人達を見て、涙が止まらなかった。
「とら子達と暮らせて、プラトンは幸せな猫だったよ」

今でも思い出す。あの柔らかいお腹に顔をうずめて眠っていた頃のこと。
出会った夜のこと。
じーっと考え事をしているような顔。
黙って膝に乗っかってくる時の暖かさ。
彼と別れた時、彼よりプラトンに会いたくて仕方がなかったこと。
プラトンが弱っていく姿に胸を締め付けられた日々のこと。
最期の瞬間のこと。

あれから15年が経った。
プラトンは今でも私たちのど真ん中にいる。
ヤツを思い出すと、暖かい気持ちになる。
そして、時々、とーっても会いたくなる。アイツに。

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