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024 「短い就職」だった記録 後編

こんにちは(*^^*)
Ladybag(ばぐ)です(*´ω`*)

今回は
HSP、感覚過敏、聴覚過敏な自分が29歳で始めて就職し、
たった4ヶ月で休職を余儀なくされたお話、後編を。
前回は私の短い就職について、
就活を始めるまでをまとめました。

今回は、実際に就職した学校と出会い、
就職してからたった4ヶ月で休職を余儀なくされるまでです。
前回の記事はこちら

誤字脱字、感想などありましたら、
コメント欄にてお知らせくださるとありがたき幸せ(*´ω`*)

ある私立学校と縁がつながってしまう

倍率が高かったり、看護師免許を持ってない、経験なし、
など、たくさんの不利な状況はありましたが、
焦らず、落ち込まず、ゆったりを心掛けて
日本中の私立小学校に応募しました。
でも、書類選考で全部落とされました。
こんなもんだよなぁ〜〜と焦らないようにしてました。

そんな中、ある学校を見つけてしまいました。
そこは、『教員募集してます!』って書いてあるだけで、
募集している校種、免許の種類などの詳細は書いてない。
なので、とりあえず、養護教諭取得見込みですと応募フォームにφ(`д´)カキカキ。

しばらく経ってから、
「現在、養護教諭は募集してません。またの機会に!」
というよくあるメールが。
でも、お断り連絡くれるのも珍しい。
なので、
「ご連絡ありがとうございます。養護教諭は元々募集少ないですし、
 もし今後、機会がありましたらよろしくお願い致します。」
とお返事。

そうしたら、次の日、電話がかかってきちゃいました。

お断りメールにお返事するのって珍しいのでしょうか?
私はお返事をしないと気がすまない質なのでいつもどおりお返事したのですが、、、
それはともかく、お返事をしたことで電話が来ました。
『いやぁ、実はLadybag(ばぐ)さんはお断りするまでに一番悩んだんですよ〜』
『昨日もメールする直前まで校長と相談してましてね。。。』
『Ladybag(ばぐ)さん、英語できるでしょ?』
つまり、英語ができる人材は欲しい。
でも、養護教諭はいらない。

そんな感じでした。

お話をしていくと、
養護教諭の仕事だけではなく、
英語の授業の補助もする、
のであれば面接を受けないか。

という内容でした。
何事も経験になるし、何よりも養護教諭の仕事ができるなら!
と面接へ進む私。

今思えば、ここでやめておけば良かった・・・

いざ、面接

面接はまずはZoomで。1時間くらい。
その後、1ヶ月ぐらい間があって、見学に来ませんか?と。
そんな流れで、まさかの面接だけで内定が出ましたΣ(´∀`;)

見学の時に内定が出る。
試験なし。
今思えば、とにかく人が必要だったのでしょう。
(あ!ここでも引き返すチャンスはあったな!)

ただ、4月から働くのではなくて、
向こうの都合で7月からで、というお達し。

波乱の2月

2021年の2月。
またもや急に電話が。
3日間だけアシスタント・ティーチャーをしてくれ!と。
スーツケース引きずって泊まり込みましたよ。
そりゃね。内定もらってますからノーとは言えん。
ここで、ある偉い人と密室で1時間以上、お話。
心、ズタボロに。
ここでも、引き返すチャンスはあった!
けど、多分、ここで引き返していたら一生後悔もしてたなぁ

さて、就職したら、

就職先の小学校、まじで本気でコミュニケーション取れない。
誰も余裕がなくて、しかも、ベテランと新人しかいない!
という、激ヤバな雰囲気を勤務開始数日で察知。

そして、職務内容も違う。
保健室の先生なんてやらせてもらえない。
英語の補助どころか、校舎の引っ越し準備が一番最初の仕事。
意味分からん。

職務履歴のために2,3年頑張ったら長居は無用だなぁ。。。
なんて考えつつも真面目に勤務していたら、
4ヶ月目の2021年11月にぶっ倒れました(・∀・)

余裕がなくなるって人間だから当然あるけど、
それをずっと続けて、
それが普通になってはいけないですね。

養護教諭の直接の上司は教頭です。
その上司、ずっとイライラして、教員ではなく、児童たちにずっと怯えてました。
私が報連相をしなければと、話しかけても返ってくる言葉は
「ダメだよ」
「やらないよ」
「無理だよ」
「そんなことする訳ないでしょ」
といった、全部否定形。

こんなんでどうやってコミュニケーションを取れと?

最初は私がいけないのかなぁ?と思い上司へのアプローチを変えてみました。
表現を変えたり、口頭がダメならメール、など。
でも、そもそもそんな些細なことを汲み取れる人じゃない!
人の気持ちを慮る、ということができない人だと知りました。
マスクの話にも書きましたが、
人の気持ちや心そのものを軽視している人でした。

人として扱ってほしかった

確かに、COVIT-19のおかげで平時とは違うご時世。
管理職は平時でも身を削るような大変な役職です。
父も学校の管理職を経験しているので家族の立場から知っています。
日に日にげっそりしていく父を心配しながら見守っていた時期もありました。
それでも、私の上司だった人はひどかった。
私は確かに人とは違って扱いにくい特性や個性があるかもしれません。
でも、だからこそ、保健室の先生になって児童のそばに居たかった。

ある大きなイベントの後につい、こんな言葉が出ました。
『教頭、イベントの準備お疲れさまでした。
 無事に終わってよかったです。』
それは、以前父が教頭になる直前に、
学校葬を取り仕切ったことがあり、
その苦労、心労を思い出したからでした。

それを言われた教頭は、
心底、驚き、この子がこんなことを言えたのか、という表情で
『そうだね。終わってよかったね。』
と答えました。
言葉は取り繕えていたけど、
表情は取り繕えていないよ。
HSPはこんな時にも感じちゃうのです。

すごく悲しかったです。

コミュニケーションも取れない。
頼れる先輩もいない。
新人は充分な研修もなく、お互いに分からない。
上司と言葉を交わせば、否定形で返ってくる。
上司も先輩も当てにならないから自分で行動すると、怒られる。
上司から信頼されていない、信頼しようとも思われていない。
・・・一体、何をどうすれば良かったのでしょうか?
せめて、私は人として扱ってほしかったです。

こうしたことに、分かったようなふりをして目をつぶって、
何も感じないようにてきとーに過ごせば良かったのでしょうか。

お給料さえ入ってくればいいや、って

でも、そんなことしてたら、
児童はすぐに分かります。
そんなことしてたら、
先生でいる意味がありません。

正直、
本当に
本当に
保健室の先生になりたくて
希望を持って
やっと29歳で初就職したので、ダメージ大きいです。
人生の目標も、生きがいも全部、搾取されました。
今は空っぽ。

あの子たち、大丈夫かしら?
あの子は、乗り越えられたかしら?
あの子は、お友達と仲直りしたかしら?
あの子は、教室に戻れたかしら?

忘れられるわけがないよ。
あの子達が高校を卒業するまで小学校の校舎から見守りたかった。

一緒に過ごした光景を思い出して涙が溢れます

生きがいはいつになったら戻ってくるのかしら?
人生の目標ってどうやったら心に戻ってくるのかしら?

そんな気持ちと一緒に過ごす、療養期間4ヶ月目です。


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