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最近、入籍して夫の姓になった私が選択的夫婦別姓について思うこと。

↓この記事を読んで、胸が苦しくなった。

夫婦別姓について、婚約者(男)へ真正面から切り出してみた。|ice @ice67282261 #note #cakesコンテスト2020 https://note.com/hugme0120/n/n9a173fd1506a

「自分が嫌なことは
人にさせてはいけません。」

なんて、誰もが言われなくてもわかる当然のことだと思うのに、改姓の話になると、女性が嫌だろうがなんだろうが、当然変えて然るべきという世の中の姿勢。(多くの男性がまだまだそう思ってるだろうし、女性も、望む望まないは別としてそうすべきと思ってる人もきっと多い。)

ここまでパートナーと意見を言い合えるものかと羨ましくも思ったが、同時に、ここまで平行線になるものかと読んでいて辛い気持ちになった。

最近、選択的夫婦別姓が法律で認められるべく、snsでも様々な声が上がっているのを見かけ、それを欲する人の声の多さに、驚きと納得を一女性として感じていた今日この頃だったが、記事を読んで、まだまだ、それが実現するには高いハードルがあるのだと目の当たりにした。

記事の彼をなんとなく責めたい気持ちにもなったが、これは個人の問題じゃなく社会に広く深く染み付いてる頑固な現実なんだと感じて、少し落ち込んでる。

風習は思考を停止させ、停止させてることに気が付かせない魔法(のろい?)があるのかもしれない。

私は、昨年、2019年11月下旬に1年半ほど付き合った今の夫と入籍した。

学生だった頃、大学の授業で女性の人権についてすこーし触れたこともあり、当然のように黙って女の私だけが名字を変えるのはなんとなく嫌だったので、入籍するにあたり、「どっちの名字にしようか?」って敢えて夫に聞いたことがあった。

あくまでも"さも当然のように"対等な目線で相談を持ちかけた上で、結果としては私が名字を変えることになった。

改姓当時の私は選択的夫婦別姓なんて考え方は知らず、私が変えるか、相手が変えるかの2択しかないと思ってた。ので、どちらかの人生にとっての大問題なのだから、せめてその2択くらいは「女だから」ではなく、対等に考えて欲しいと思って相談を持ちかけた。

しかし、そんな質問を形式上投げかけた私であったが、女性側が改姓するもんだっていう今の世の中に染み付いてるジョーシキや、そのジョーシキを私の家族親戚も当たり前の前提に思ってるであろうことは聞かずとも知ってたし、自分自身も、結婚とはそういうもんだ小さい頃から無意識には思っていた。("さも当然のように"話を持ちかけたが、自分自身、この質問は当然じゃないって思ってる部分もあった。どうせ私が変えることになるだろうけど、2人で相談して決めたということにしたかったのかもしれない。)

だから、相談した時、彼が、「俺は一人っ子だから出来れば俺の姓にしたい」って言ってたその感覚はすっと理解出来たし、女で、しかも弟もいる私がわがままを言って夫に名字を変えてもらうのは違うなって思って、夫の言い分にはある程度納得して改姓を決めることができた。

それでも、今まで慣れ親しんだ名字を変えるのは、寂しかった。入籍をして名義変更の手続きを進めれば進めるほどに、どんどん今までの自分を捨てる作業をしている気分になった。

※しかも、名義変更の手続きはそんな前向きになれない手間も時間もかかるものばかりで正直うんざりだった。改姓する側の精神的and肉体的負担、デカすぎん...?好きな人と家族になるのに、一方は何も変わらず、一方はなんでこんな辛い儀式がなぜ必要なんだろう。ってマジで思った。世の中の改姓した側の人、みんなこんなことやってんのか?!ってめちゃくちゃ信じられなかった。

まだ、私の夫は、「私が女だから」とかそういう理由を言ってたわけじゃなく、私と同じように、どっちかが変えるなら...という視点で希望を言ってくれたからまだ良かった。

(手続き戸惑ってる私に、もっと効率よくやれ的な口出ししてきたのは一生恨むけど。)

とにかく、ある程度、今のジョーシキとかが刷り込まれてる私でさえ、家族になれることは幸せでも、名字をどちらかが揃えることはとてもポジティブな気持ちで喜べなかった。

入籍後の諸々の手続きをするなかで、住民票と、運転免許証と、マイナンバーカードに旧姓併記が出来る様になったことを知った。

この制度は、2億円の税金がかかって漸く導入されたもののようだが、Twitterとかを見ていると、どうやら、「本質的な解決になってない。税金の無駄遣い。」と批判を浴びているようであったが、私は藁をも掴む気持ちで旧姓併記を申請した。

「これで、私の旧姓は消えずに済む。」
「私は〇〇(新姓)になったけど、〇〇(旧姓)の私も変わらずここにいる。」

そんな、私が私だった証拠をなんとかして残したかったのかもしれない。

ただ、私はそんな違和感が自分にあっても、周りを巻き込んでパイオニアとして道を切り開いていくバイタリティは持ち合わせていなかったので、仮に先に選択的夫婦別姓を知っていたとしても、周りの目を気にして、結局自分が名字を変えていたんじゃないかとは思う。

でも、選択的夫婦別姓が法的にも世の中的にも認められ、白い目を向けられないのであれば喜んで別姓を選びたい。(夫の姓が嫌とか、愛の大きさがどうとかではなく、純粋に、生まれた時の自分の名前で死ぬまで過ごしたい。それ以上でも以下でもない。)

これだけ選択的夫婦別姓が騒がれてるが、これが世の中の空気的にも認められるようになるまではかなり時間がまだかかると思う。

つまり、世の中のこれから結婚をする夫婦の中には、選択的夫婦別姓という考え方を知っていても、周りの目や環境などの要因から、私のように事実婚という形を取らない(取れない)カップルがまだまだ大勢続くということだ。

だから、記事にある通りだが、そんな時は、(結局別姓という形を取らなかったとしても)名字を変える側の言葉にならないネガティブ(記事でいう苦痛)は名字を変えない側は、少なくとも当然と思わず、受け止め、めんどくさがらず、自分のことだと思ってしっかり"2人にとって"の最前は何か、検討してほしい。

革命には時間がかかる。

過渡期にあたる我々は自由になるであろう未来から見てきっと割りを食う。

批判すること、受け止めないこと、考えないこと、突き返すことは簡単だけど、どんな理論武装したって、結局変えない側の言葉が、今まさに苦痛を受けてる人に刺さることはないし、そもそも人の"心"は丸め込めない。

夫婦別姓の問題について、武田鉄矢さんが、「女性側の(結婚に対する)覚悟の問題」のようなことを言っていたという記事を見たけれど、法律には(夫婦は一つの姓でも)女性が変えなきゃいけないなんて一言も書いてない。

覚悟?それが女性の幸せ?
嫌なもんは嫌なんだ。

当事者(変える側)に外野(自分は変える側だと思ってない人たち)の言葉なんて、どんなロジカルでも響くもんか。

まずは、全員が、変える側になりたいか?をよく考えた上で、意見が交わされるようになることを心の底から願う。

変える側が報われる世界に、変えたくない人は変えなくてもいいように、少しづつでも変化していきますように。

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