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カルマからの解放

私の育った家庭は、虐待のある家庭だった。
今思うと、他にも幾つかの問題を抱えていたのだけれど、
分かりやすいのは度を超えた暴力だった。
(当時は体罰が容認されていたとは言えの)


 自分が親になる時、
「自分は親と同じようにならない」と決意したのだけれど、
ちゃんと育てられ方は連鎖するもので、
私は手が出る親になった。

決意だけでは継承した育てられ方は変えられない、
と分かり、結局長女を育てている間、
「健全な親子関係とは?」を模索することに時間を
費やしてきた。

手が出る回数はどんどん減って
途中からは手が出てしまった後、
カウンセラーや周りに相談しても
「それぐらいのことは普通です。
 そんな時は誰でも逆上します」なんて言われていたけれど、
(今は時代が変わったのでどう言われるか分からないけれど)
自分なりのこだわりがあってどうしても
「何があっても絶対、手が出ない自分」になりたくて、
それを追い求めてカウンセリングを受けたり、心理学を勉強したり、
セラピーやセッションを受け続ける20年弱だった。

そんな20年間の間に自分の育った家庭に欠けていたものは、
何だったのかを一つ一つ発見し、修正してきたし、
数年前に「何があっても絶対手が出ない自分」になれた時、
初めて3人の子供たちをそれぞれの人格として見る、
とはどういうことなのかが分かった気がした。

叩くことが無くなってもなお、
健全な親子関係には足りないものはあって、
それが分かった後、長女が間もなくこの家を出て、
一人暮らしを始めることになり
「ああ、私の子育ては終わったんだ」と
思うと共に、「子育てって家族ってこういうものなんだな」
と目の覚める思いがした。

私の幼い頃からの将来の夢は
「この世界のどこかにある温かい家庭、
というものを見たり、体験したりすること」だった。

長女の子育ては未熟な自分から始まり、
様々に紆余曲折あったけれど、
下の二人の子達にはまともと言える家庭を
提供できそうで、私の一つ目の夢も叶ったのではないかと思う。

長女を育てている間、様々な学びをしたり、
セッションを受けている中で、何度か
自分は「家系に流れているカルマみたいなものを
ここで終わらせよう」と思っている気がしていた。

自分の親子関係の作り方を理解しようとすると、
自分の育てられ方を理解する必要があるし、
育てられ方を理解するためには両親の育った環境を
理解する必要がある。

つまり、代を遡ってそれぞれの人達の性質と
置かれた環境を理解する必要がある。

要は育て方、家族の作り方は連綿と
受け継がれてきたものなのだ。

私の育った家庭、私の両親の育った家庭に
欠けていたものは
「家族がチームであるという意識」と
「家族それぞれが別の人格であるという意識」
であったように思う。

時代がらもあると思うけれど、
両親の前の代の私の家系の先祖にも
そのような意識はなかったのだと思う。

私の下の代には
その二つの意識を引き渡すことが出来るだろう。


QUANTAというコミューンが好きで、
時々イベントに参加する。

今申し込んでいるのは
「QUANTA enlightenment program カルマからの解放」
というもの。

題名を見た時に、なぜだかすぐ申し込まなきゃ!
と思ったのだけれど、申し込んだ後で、
「私なんで申し込んだ?」
と思っていた。

今日公園で、主人と育った家庭の話をしながら
一つのカルマの解放が終わったんだ、と気づいた時、
合点が行った気がする。

他にも抱え込んだカルマをここで終わりにしようと
決めていることがあるのかもしれない。

カルマを開放するプログラムが受けられるなんて
良い時代になったものだ、と思う。
だって、一つのカルマを開放するだけでも
本当に長い時間と苦しみが必要だったのだから。


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