救急隊の真の仕事

救急隊の仕事というとどんなものを思い浮かべるだろうか?
怪我した人を運んでいる姿だろうか?うめいている人を介抱する姿だろうか?
私もそういう緊急性のある症状が出ている方の対応を担当されていると考えていた。
が、真の仕事の内容は違うところにあったのではと気が付いた。
今日はその話をしようと思う。

例えば、私の場合、実際に怪我をしたわけでも苦しくて痛くて死にそうになったわけでもないのに運んでいただいて助かったことがある。
それは精神科にかかっている際に躁転したときだった。

躁転した時の気分に関しては「うっかり躁振り切れて安心院なじみになってた話。」にも書いたが、今回は搬送までに考えていたことにフォーカスする。

1 . 搬送前

搬送前は記憶がほとんど無いが、外に出ようとすると止められるのに病院には行こうと促されるので混乱していた記憶がある。単に自分の体調が優れていない状態にあったというだけなのだが、そのことに気が付いていなかったため、どうしてこのような状況に置かれているのかわからなかった。

そのうち、昔よく遊ばせてもらっていた女の子の住んでいた隣の家のおじさんが、同じような経験があるから話を聞くよと来てくれたが、生理の血が染みたパジャマ姿だったため遠慮した。薬を飲むべきなのに飲まない方が正常だと急に気が付いてしまったのだ。「飲むから必要になるだけで、飲まなければ必要ではない」というような、例えていうならば『素晴らしい新世界』のソーマであると勘違いしてしまったのだ。薬局に置いてあるのも全てパッケージが違うだけのプラセボであると勘違いしてしまったのだ。

閑話休題。とにかく薬も飲まず病院にも行かない。話も通じてない。そういう状態になってしまっていた。認識はできていなかったけれど。となった時に母親は病院に電話したりいろいろ相談したようだが、埒があかなかったため救急車を呼んで搬送してもらうこととなった。

2 . 搬送中

救急隊が来て、歩いて救急車に乗ってもよかったが、私は拒否したため、担架で運んで乗せてもらった。母親は家の中が汚いので気にしていたが、私は全く気にならなかった。

救急隊の人はまず色々な測定から始めたように思う。体温や血圧等のバイタル面でチェックをしてくれた。その間も私はきっと何かを喋り続けていて、救急隊の人にも一生懸命話しかけていた記憶がある。

搬送される時も意外と担架は怪我していると痛いとかただの布だからやっぱり居心地はよくないだとかそういう話をしていたかもしれない。

話が前後するが、室内にまだいるときに救急隊の人に1人だけが気が付ければその人を助けられるという話をした気がする。その話はまたnoteにまとめてリンクを埋め込みたいと思う。

とにかく、救急隊の人に救急隊の仕事が何であるかということを語っていたように思う。泣いてくれた人もいそうだったが私があまりにもうるさかったせいかもしれない。泣きたいくらいうるさかっただけかもしれないし、私の話が感動的すぎただけかもしれない。

そうして総合病院まで運んでもらった。

3 . 搬送後

救急隊の登場で、また医療というものの真理に気が付いてしまったので、病院の中でも同じことを汗がかくまで、ピンクのキラキラの幻覚が見えるまで、取り組んでいた。
総合病院で色々な人がいるからこそできることがあり、そのために人がいるという話をしていた気がする。

それは救急隊にした話を応用した話で、1人の人がこれは違う、或いはそうだと気がつけることでその人を救えるのだ。あらゆる可能性を全員で潰すことで全員を救えるのだ。それが医療の仕事である。

というような話だが、わかってもらうのに一生懸命になりすぎて正直記憶がなく、人々が入れ替わり立ち替わり会いに来るので、アイドルにでもなった気分だった。
どの人が来てもその人の期待外れになるように行動した。全員を絶対に混乱させるようにした。

それは私がゲーム・マスターだからなんだけど、それは安心院なじみの話に詳しいのでそれをご参照ください。

とにかく全員に、「「「「これは違う」」」」と思わせた。思わせすぎて入院になったという話。ではなかった。
したがって、あらゆる可能性を全員で地道に潰せるならば、どんな人をも救えるし、どんなことでも実現できる。きっとできるよ、という話でした。


文責  綿来すずめ

※リンクを埋め込みました(2022.10.25)

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