4月16日

一日、母の家の片付けをしていた。ようやく家具を移動する段に入った。多めに休みをもらってよかった。6月には引越しできるかもしれない。
毎月の選書特集棚を数か所考えていて、言葉と物、それから夢、どちらかを先にしたいなと思い立った。大きい棚では谷川俊太郎をするので、それに合わせるならどちらだろう。
フーコーの『言葉と物』は、学生時代の講読では他の著者と比べてそこまでおもしろいと思えなかった。今読むならちがうかもしれない。フィロショピーでは、知の考古学を読むようだ。言葉と物というワードからは、回想的に思い浮かぶことと、たった今片付けで物と向かい合い続けていることとが重なる。回想的には、耳納山の土を使って陶器と陶器片の作品をつくっている作家のこと。以前、花冷えする3月に杉工場というところでライブがあった。ふしぎな小さな扉をくぐると、陶器と陶器片が並んでいてそれが言葉みたいにみえた。作家に伝えると「ひとりごとみたいなもの」といっていた。杉謙太郎さんという花道家と知らずに、少し話を伺った。割れた作品も片としてぜんぶを作品にしているそうだ。声が聞こえそうである。工房のとなりに杉の薫る工場があり、野の道を渡っていくとライブ会場の席と席の間にも陶器が置かれていた。言葉になろうとして手を動かし、成形されたり割れたりして形となった陶器。
いつからそこにいたんだろうと、時間軸が変わっていく。声がきこえそうな陶器のあいだで、ピアノと歌を聴いた。

回想しながら手を動かし続けていたら、陽が暮れていた。夜なのに、どたばた家具を動かしてしまった。下階で眠っているかもしれないおじいさんに、ごめんなさいととなえながら。


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