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メモ

大学時代の記憶整理。

学生の時おもしろくて重要だったドゥルーズの本は、
千のプラトー、カフカ マイナー文学のために、批評と臨床、マゾッホとサド、少しだけスピノザ。
卒業してすぐに読んだのは、経験論と主体性、創造的進化。

意味の論理学、差異と反復は結局半端に少し読んだだけで、面白いとこだけひきこまれつつ突き放される繰り返しで、まだ読めていない。
入門書的なドゥルーズ 本は、いくつかあたりつつどことなくどれも違和感のある感じで、一方ゼミメンバーらの発表の方がおもしろかった。
思想の授業でしっかりドゥルーズ の文献を「教わった」記憶はなく、フーコーを読む授業で言葉と物を読み進めたけど、フーコー自体の魅力が授業では、あまり伝わってこなかった。
訳が悪いと言われるものも沢山あったわけだけど、原文読めない自分には誤訳があってもたぶん気づかず、でも、滑らかじゃないごりごりと無理した文体の文章には日本語の構造との違いが感じられて、原文にあたるかのようにそこから必死にほんとうのニュアンスを想像しながら読むから、変な話だがそれは嫌いじゃなかった。

授業で面白かったのはとにかく恩師の、ロビンソン論、ロビンソン変形譚、マニアックなこだわり、資本主義に対する批判的な態度と生き方、生き様だった。
ドゥルーズ を読むこと自体は学んだおぼえはなく、とにかく1人の時間を作ってごりごり読み進めた。
大学時代の私の重要なレポートは、トゥルニエのロビンソンとプラトーで書いた卒論と、
音楽イベントの体験を書いたレポート、見られずに見ることについて、人=方法だみたいなことを書いたレポートなどで、これまで読み返すことはなかったけど、一度逃げずに読み返さないといけない気がしている。
次回、実家に帰ったら勇気を出して引っ張り出してみたい。

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