2月3日

帰り道。乗換駅始発の地下鉄を端から乗り込んで、一輌ほど歩いてみつけた余裕のありそうな空席のひとつに座ると、斜め前で手を挙げているコバ君がみえた。あっと、こちらも手をあげて、向かいにいる彼の隣にすわりなおした。

知っている人に外でばったり会うのは、ふしぎな感じがするけど、コバ君はいつでも「ばったり」感のある人で(何となくそれも説明できそうな)、いると何だかありがたい感じがするような、そんな存在のしかたをしたひとだ(どんなだ)。

何駅まで?とたわいのない挨拶を、ぽつ、ぽつ、と投げあったあと、最近どんな本がおもしろかった?という話題が置かれたので、最近は詩をたくさん読んでいる、民俗学的な背景のある詩を書く詩人がいて彼女の書き物や活動がとてもおもしろい、その詩人の詩の教室に参加しているのだと話した。毎月提出作品をすべて読んでそれを講評しあっている、それが今たのしいと。
彼の方は、今デカルトの『情念論』を読んでいて…とカバーのかかった文庫本をかばんから取り出し、倫理が書かれているけど全く説教的じゃなくただ書かれているような読みあたりがいいのだと、情念の項目の見出しと短文が連なる様子を見せてくれた。導くようにではなく、ただ書かれているその読みあたりのことを彼は「鏡みたいに」と言った。
さっとまた鞄に直そうとしているのをみて、もう少しその感覚について話しができそうな気がしている態度で、話をしようとした。
喋りかけた途中で、ちょうどコバ君が降りる駅に着いたことに気づいて、駅だよと息をのむように伝えて、じゃあまたねとお別れをした。

こんな風だから、彼にはまたばったり会える気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?