5月31日

目をひらくと、甥の寝顔がかわいくて手を近くまで伸ばしてみたりしていた。次に目をひらくと、甥がこちらをみていたのか目が合い、瞬間的に目を瞑る。目を瞑る甥が見えて、私も目を瞑り眠りにはいる─。

夕方は『庭のかたちが生まれるとき』トークを、現場のとらきつねに見に行った。現地観覧とわざわざ言うようになったなと思う。
目の前で聴きたいと思う人たちだった。
平倉圭さんのことは動画のトークでは何度も見たことがあり、平倉さんが動いて話して居る、現場にいってみたい気持ちが前からあったのだった。時々挟まれる息を抜いたようなイントネーションというか、接続のときの声が、リアルな空気を伝って、あぁそのままだ、こういう感じか。と感慨深い。

ではまず山内さんの本の感想を、と鳥羽さんのふりに応える平倉さんの始まりの切り口から、めちゃくちゃおもしろい。山内さんが作庭を観察しながら撮影した写真の凄さ。たしかに、と驚きながら腑に落ちていく感覚が連続的に続く。
それから、この本では概念が頻発しまくり、すごい概念が出たと思ったら次の瞬間には「そうだろうか?」とあたらしい問いがどんどん出てくると。
「雑話的批評」という言葉についての鳥羽さんの指摘もよかった。対話だと「理解可能性」を前提にした向き合い方になるけれど、雑話においてはそういう前提なくおしゃべりから「偶々」生まれることになると。
山内さんは、出てくるエピソードや言葉の具体性がとにかくおもしろい人なのだとわかった。そしてスウェットがフィットしていた。なにかの現場にあたる職人的な感じと、美的なものを掴んだり考えたりすることの何かが飛び抜けているのかもしれない。
3人のトークがやわらかくうねっていくような、そんな充実感のある時間だった。

読みかけの本。話にのぼる該当ページそれぞれに直接メモをとったので、続きを読むのがより楽しみになった。
いつか読むときがきてほしいとまだ手を出さずにいた『かたちは思考する』を、このきっかけに読みはじめることにできたこともうれしい。

『庭のかたちが生まれるとき』山内朋樹(フィルムアート社)
『かたちは思考する』平倉圭(東京大学出版会)

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