それぞれの
すっごくうれしいときも、すっごくかなしいときも、どちらも同じように喉の奥がぎゅっとしまるようなかんじがする。
ずっと探してたけど、居場所なんてものはそもそもないのかもしれない。
取って付けたようなやっと見つけた居場所って歌ってたバンドもあったな。
だけど、沖縄に帰ってきたとき、みんながおかえりと言ってくれて、その言葉がとてもうれしい自分もいる。
満たされてしまったときの、たいそうな喜びも、たいそうなつまらなさも知っている。ふたつ同時に来る。
わたしの人生にも時代みたいなものがあって、あの頃はあの人と一緒にいたな、あの頃はあの人と仲が良かったな、なんてことを思い出した。
あんなに毎日遊んでいたのに、もう二度と会わなそうなひともいる。
存在も忘れかけてしまったたぶん生きているあの人や、ずっと昔にお別れした恋人、昨日まで連絡を取り合っていたのに死んでしまったともだち、いったい何が違うのだろう。
喪失感は時間と共に小さくなって、忘れたように感じるけれど、ずっと消えずに心の奥に積み重なっていくものだと思う。そうであってほしい。どんなに満たされても、しあわせになっても、そうであってほしい。
R.I.P.
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