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ジオブロックは悪い文明だよな。

สวัสดีค่ะ どうもらっちです。

コロナ禍も長期化してきて、ライブハウスで踊ることもスタジアムで歌うことも忘れてきたような、そんな気がします。

そんな日々の中で、ハマっていそうでなかなかハマったと言いづらいタイドラマ。2getherとstill2gether とMY ENGINEERくらいしか全話見た作品がなくて、SOTUSも途中でストップしている状況。いつセオラブやターンタイプやDBKを見るようになるの私??

とはいえ実際問題SOTUSとターンタイプと2getherで腐女子や海外ドラマ好きには文化として確立し出したタイBLドラマの日本でのコンテンツ展開について、色々語っていきたいと思います。

まだBLは日の目を見る文化じゃない

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日本の普通の書店の漫画や小説コーナーで、BL作品が目に入りやすい棚にあるだろうか?それは間違いなく無いと思う。おっさんずラブが流行った後の今日でも、隅の方に追いやられて、肩身狭くやっているのが現実だ。

当然この状態であるので、BL作品の存在自体を認識していない方々も多く居ると思うし、BL作品は完全なイロモノ扱いで思っている方々もたくさんいらっしゃるはず。私だって正直おっさんずラブ見ていないし、まだまだ日の目を見る文化では無いって自分自身でも思っている。ましてやLGBTブームの風潮の中で、BL作品をそのブームの文字列の中で語られて大っぴらに曲解されて大展開されても私は困る。

そんな思いを私が持っている中で、日本のコンテンツ企業はテレビ配信でBLドラマを売り込もうとしている。やめてくれ、本当にやめてくれ、確かに話題作だから見る人はいるだろうけどやめてくれ。日陰者ばかりの腐女子がわざわざ好きな時間に見ることのできない、ましてや同居人がいたら時間が合っても見ることを躊躇うような、日本ではそんな存在なんだBL作品は。せめて併せてネット配信もやってくれ、ネット配信なら沢山見る人はいるし、よりプライベートな環境で見やすくなる。

また海外のカルチャーにアンテナの強い人達にも、テレビ配信って本当に相性が悪いと思う。海外カルチャーを漁る人は受動的な人は少ない、自分で色んなアンテナを張って、調べたら口コミを見たりして、コンテンツを探してくる。しかしながらそんなことすら最近はサブカルと呼ばれてしまう、サブカルと呼ばれることを好む人もいれば嫌な人もいるだろう、とはいえサブカルと呼ばれやすい人たちはテレビなんてコンテンツを見るとは思えないのだ。

それなのに使い勝手の悪いCSテレビ配信なんて古めかしい方法で、どの層を狙っているのだろうか、40代以降のおばさま方でも狙ってらっしゃるのだろうか、確かにそれは大層な考え方だろうとは思うけど、正直効率はよろしく無い気がする。何故ならやはりBL作品自体はまだ日本では脚光を浴びるコンテンツでは無いし、まだまだ大衆的に浸透して欲しいとはファンも願っていないからだ。つまりまだ日本の人類には少し早いと思うのだ。

ジオブロックはやめて。

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さて、タイトルの問題だ、タイBL作品というコンテンツが何故このコロナ禍の時期に爆発的に日本でも浸透したのだろうか、それは間違いなくYouTube等のフォーマットで無料で気軽に見れたからなことは間違いない。巣篭もり生活の中で、タイBL作品は私にとっても新しくて素晴らしい刺激になった。

そんな中で無料で気軽に見れる環境は、より他の人をそのコンテンツに誘いやすいことは間違いない。そうやって気軽に楽しむことができるからこそ、より多くの人に、急速に広まることができたのだと思うし、コロナ禍でコンテンツとして一定の地位を持つようなくらいに成長できたと思う。だってワンタップワンクリックで気軽に見ることができるのは、誘う人も誘われる人も、何も金銭的な負担も無いし、時間的な負担も少なくて済む。

しかもネット配信というものは、感動を全世界で同時に共有することができるから、私が覚えた感動をすぐ世界中に発信できるし、逆に世界中から感動を集めて共感ができる。これも世界的なコンテンツの魅力のひとつだろうと強く感じた。世界中でネットトレンドになって、そばに同じ感動を共有する人がいなくても、世界中には私の味方が沢山いるという気持ちは、何よりも心強い。そして何よりも、放映国タイと同じ時間を過ごすことができるのは、この上ない格別なことである。

しかしながら日本の悪しきコンテンツ会社はその機会を今尽く奪っているのだ、私はそのことに大きく憤りを覚えるし、絶対に許されるべきことでは無いと感じている。更に言えば、悪しきコンテンツ会社はネット配信という全世界で同時に感動を共有できる機会すら日本から奪ってしまった。これではファン達がまだコンテンツを知らない人たちに広めることもできなくなるし、この刺激が少ない日常から華が奪われてしまうし、全世界の話題から乗り遅れてしまうことは、非常にファンとしては辛いものである。コンテンツの多くの話題性や展開力を奪っておきながら、後々日本ではやるから買ってねと言われても、新鮮でない上にアクセスも悪いコンテンツに、誰がお金を払うのだろうと思う。

私はこのブームが文化になって欲しい。

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以前の私の記事でも書いたのだが、実写かつ分かりやすいこのドラマブームで、タイの人のBLの文化としての浸透具合みたいに、日本でもBLという文化自体が一定の地位を持つようになって欲しいのだ。それは最近の広告代理店によるLGBTブームなんてものとは関係ない、BLって一つのコンテンツとして、親しみたい人がアクセスしやすい環境になってくれればと私は願う。

けれども文化として落ち着いた地位を手にするには、一過性のブームやイロモノのような楽しみ方はあまり良くないと私は思っている。ブームがすぎてしまえば、あのイロモノを楽しんでいた人たちとか、未だにそのコンテンツに残っている時代遅れな人達みたいになりたくないし、BL作品を楽しむことが、当たり前の一つの趣味として、普通に語れるようになって欲しいからだ。

そんな状況になれば、BL作品とLGBTの相関性もそれほどないことがわかってもらえるし、その上で性的マイノリティとか表現される人達に対しても、より理解されやすい環境になってくれるだろうと私は願っている。だって誰かを愛することっていうのは、多くの人が普通に持つ感情だし、それに対して何か偏見は必要ではないはず、更に言えば愛する感情を強く持たない人がいることすら、理解して寛容になることもできるのかもしれない。


まだ色々なことは知らないけど、私はタイBLドラマ作品を愛しています。だからこそ、気軽にその作品達が日本の色々な人たちに親しみやすい環境であって欲しい。

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