イタリア旅日記5 DAY4 ボローニャ

4日目はローマからボローニャに移動する。
5時前に目が覚めてしまったのでのんびりブログを書いてたら子が7時半頃起きてきて、のんびり支度して10時チェックアウト。「鍵は元のボックスに戻しておいてね式」だったので、一度も大家さんと会うことはなかった(あの謎の怪しいおっちゃんは別)。
すごいねえ、2020年代の旅って感じだ。

Omioで鉄道を検索すると色々出てくるので迷ったが、大きな駅を回避して、近くのトラステベレ駅まで徒歩→トラステベレからティブルティーナ駅で乗り換え→ティブルティーナからボローニャまで、という経路を取った。ティブルティーナはそこそこ大きい駅だったが乗り換えの人たちばっかりで不安感はなかった。
電車がちゃんと来るか、間違いないか、など心配だったが、さほど遅れたりもせず乗ることができる。

ボローニャ行きの電車はめちゃ混んでいた。予約していた席のボックスに行くと4人がけの席に2人の男性が座っていて、のびのびと荷物なども横に置いて3つの席を占領している。私の予約席に座っているお兄ちゃんに
「セニョール、ここ!私の予約!」と主張してみたら、すごくめんどくさそうに彼の前の席の荷物をどかしてそこを指さした。意味は「そこに座れば?」であろう。
おいっ、ちょっとは“あらごめんね“みたいな顔くらいすれや!
「でも彼女もいるんだけど(もはやスペイン語になっている)!これどけてくれる?(「できる」というイタリア語だけは知ってるのでそこだけイタリア語)」と、今度はちょっと強めに主張して隣の荷物もどかしてもらって、とりあえず2人分の席を確保し、子と2人、斜めの位置関係で座る。
そのゴタゴタの最中にもう1人の男性がおもむろに口を開き「こっちと変わりましょうか?」と日本語で話しかけてくれて、その時はじめてもう1人の男性がアジア人だと気づく。「あら!日本の方でしたか!」とか返したが、私の頭の中ではどうにかしてこの不機嫌なイタリア人を自分の席に追いやってやりたいとか、しかしこのイヤホン耳に突っ込んで「もう俺しらね」って顔してるイタリア人と戦って勝てる気など1ミリもしないとか、網棚の荷物もいっぱいで入る隙間ないし荷物どうしようか?とか、やっぱりこのイタリア人の兄ちゃんにこっち側に移ってもらって2人並びで座らせてもらおうかとか、後方にいて何が何だか状況がわからない子供が話しかけてきたりとかしてテンパってたので、「あっそういえばお隣の方がさっき日本語で何か話しかけてくれてたな?」と思い出したのは、状況が落ち着いた10分後くらいで、そこからすっかり話すタイミングを失い、「こっちと変わりましょうか?」と日本語で提案したのにも関わらずスルー(多分その提案に私は返事をしていなかったと記憶している)されてしまった親切な日本の男性はバックパックだけを背負ってフィレンツェで黙って降りていかれた。
なんかすみませんでした。

車内ではこのような「ここ私の席なんだけど」「でもナントカカントカ・・」みたいな交渉がそこここでなされており、そして結局負けて去るのは「後から来た正式なドキュメントを持っている人」であり、勝っているのは「ドキュメントを持っていようと持ってなかろうと先に座っている人」であった。

このようなことは日本でもよく起きるが(号車間違いとかも含め)、その場合は間違いなく「正式なドキュメントを持った人」が勝つようになっている。そこでゴネ勝ちしている人なんて会ったことない。

こういうことに関しては「日本はいいなあ」と思うこともあるし「もう面倒なんだから皆はじめから自分の席に座れや!!!」とは思うが、いつも頭をよぎるのは不動産の「居住権」のことで、日本ですら「既にそこにいる人の権利は強大」なのだから、予約システムがあろうとなかろうと「だって私ここに座ってるし!!」っていうのが強いのは当たり前なんだよなあということである。

ところでフィレンツェからイタリア人の女性が乗ってきて、私の席に座っているお兄ちゃんに「ここ、私の席なんだけど」と話しかけ、お兄ちゃんが何やらベラベラベラと(多分ここからは空いているからどっか好きなところに座ればみたいなことを)言ったら、女性は肩をすくめて、向こうのほうの席に座っていた。
実際にフィレンツェからは車内はかなり空いていたのだが、いや!そういうことではなくて!!!そこって!私の席じゃないの!!???なんで3人目のお姉さんが出てくるの!??

今予約を確かめてみたが、やっぱりそこは私の席で、そうすると予約システム自体が適当ということになるのだが・・・・「だから早い者勝ちシステムが機能しちゃうんだね」ということになる。

・・・・まだまだ世界は広いな!

ということでボローニャに到着。

イメージしてたより都会だった
今日はバスルーム共有の安宿

ボローニャは経由地なので、安ホテルを取る。「30分前には電話して」と書いてあったので電話したら電話がうまく通じず、とりあえず行ってみてブザーを鳴らしてみたがブザーはどうやら不通になっているようで応答がなく、試しにブッキングドットコムのチャットでやり取りしたら応答があったので部屋に入ったのだが、外の玄関は「通りがかりの他の居住者に開けてもらう」という感じで、こちらは「2020年式と、昔ながらの方法がチャンポンになりつつなんとか機能している」であった。おもしろいなあ。口コミですごい怒っている人とかがいるホテルだったのだが、多分こういうところでトラブったんだろうなあと想像して謎が解けた気になる。

さて、なんでボローニャに行ったかというと、オシャレ大臣の子が「古着屋に行きたい。ボローニャは古着屋があるらしい」と言ったからである。ということで、ちょっと休んで、通りがかりの店で生ハムのパニーニを購入(6ユーロ)。二つに切ってもらって食べながら古着屋に行く。めちゃくちゃ美味しかったが、めちゃくちゃ飢えてたので写真はない。

都会っぽい洗練された感じがした

古着屋は5ユーロショップみたいなところ、個性爆発しているところ、可愛いところ、やってなかったところがあった。その間に小さなブティックも沢山あってちょこちょこ入り、私もうっかりワークパンツを購入する(19ユーロ)。ダボっとしたワークパンツは私の好みの形。でも後で子に聞いたら日本でもワークパンツは流行っているらしい。

ピッコロ2.8ユーロ メディア3.4ユーロ

ここのジェラート美味しかった。レジの女の子が急に日本語で「失礼ですが日本人の方ですか?私は日本語を〜〜〜〜〜(この辺わかんなかった)です!私はあなたたちのお手伝いを日本語でできます」と、ものすごい早口で喋ったので感心した。その後の説明とかも全部めちゃ早口で、この早口は絶対オタクの系譜だよね、メガネっ娘だったしね。おジャ魔女どれみが好きなんじゃないかなあ?などと(誓って言うがこれは悪口ではない。子も私もオタクなので同族意識である)噂しながらジェラートを食す。

古着屋とそのほか洋服屋に行きまくったが、思っていたほどの収穫はなかったらしい。結局5ユーロショップで服とバッグを買い、重たい荷物を持ちながら、レストランに向かう。一度はレストランでご飯を食べたいと言うので、ボローニャでは台所つきの宿を取らず、レストランに行くことにしたのだ。

ところがかなり調べて「美味しい・しかしそれほど高くない・ボローニャ料理」というレストランを3つピックアップしてあったのだが全部「予約がないと入れません」状態(おかげで「予約はないけど、2人、座れますか?」とペラペラと言えるくらいになった)。
もう8時。
暗くなってきて、お腹が空いて、荷物は重い。
これだけ条件が揃えば険悪になるのは必須である。

非常に険悪になり、子供がやりがちな「果てしなく後方をノロノロ歩く」戦法を子が取ったので更に険悪になり、日本だったら置いて帰るところだが、置いて帰るわけにもいかず、そのまま宿の近くの評判のいいピザ屋まで歩く。

ピザ屋も激混みで40分待ちと言われたが、テイクアウトはできると言うのでテイクアウトでピザを頼む。テイクアウトの単語「ポルターレ」っていうの覚えられないな〜。学習するときは「ポーター」と同じだから簡単って思うけど、いざって時には出てこない。それでいつも「あー、えーっと」とやっていると向こうが「テイクアウト?」と聞いてくれるのでそれで済んでしまって更に覚えなくなる。なんかもうテイクアウトでいいような気がしてきたし。

9ユーロ

途中自販機があったので1.5ユーロの缶ファンタを購入して部屋で食べる。めちゃくちゃ美味しかった。険悪さも薄まった。
せっかくだからと「ボロネーゼ」を頼んだが、ナスが乗っていたがこれがボロネーゼなのかな?ボロネーゼってひき肉的なイメージがあったけど。

レストランはベネチアで行くことで同意する。
子が果敢に予約の電話をかけようとしたが、子の電話も通じない(一度も電話をかけれてないので多分我々の電話のかけ方が間違っているのだと思う)ので予約をする術がないため「昼に行ってみて入れたら入る。入れなかったら夜の予約をその場でする」という昭和スタイルをとることにする。

明日はボローニャからベネチア。
特急とか使うと1時間半。鈍行だと2時間10分。大して時間変わらないなー。鈍行の方が安いし、自由席だし、無駄に早く着いてしまっても宿のチェックインまでの時間が手持ち無沙汰になるので、鈍行を取る。

明日はベネチア!仲良く行きましょう。
→DAY5に続く

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