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オカマ!?で女装!?で外人!?な私

この記事をお読みの皆さま、お元気ですか。

この記事にたどり着き、クリックを押したあなたは恐らく「なんぞや!?!?」と思われているかもしれません。

びっくりさせて、ごめんね。(笑)

まずはこのページを作るにあたり、少し背景の話をしますね。

何かと意見が多い私と、大切なお友達でもあり、素晴らしいバーレスクアーティストのBonita Bon Bonちゃんと先日話していたところ、「メンタルヘルスやセクシャルヘルスの話ってすごくタブー視されてるよね」と意気投合し、であれば私たちが発信しようとなり、このような形で情報発信する形に至りました。

より詳しいテーマや記事は随時書いて参りますので、お楽しみ頂ければと存じます。

さて、私の話を少ししようと思いますが、コーヒー・紅茶、お酒、何でも良いですが、ご準備は出来ましたでしょうか。

オカマで女装で外人な私をタイトルとしましたが、私はこれらの言葉が大嫌いでもありながら共存するスキルを身につけました。

幼い頃から何かと部外者・余所者(よそもの)気分をなんとなく味わってきた筆者ですが、正確に言いますと私はブラジルの小さな田舎町より3歳のとき来日して来たわけです。

幸いにも、幼少期はのびのびと北陸の山と川と多くの友達に囲まれて過ごせたわけですが、鏡を見れば周りの子とは異なる容姿、幼稚園で話される言葉は家で話される言葉とは違う、言われる「外人」の枠を私は若くして確立していたのです。

余所者はgoo辞書によりますと”他の土地から移って来た人。また、仲間でない人。”を意味するらしいですが、鼻水を垂らしながら五段腹抱えて福井の田舎を駆け回っていたい私は、今考えると余所者と感じたことは本当に少なかったのですが、随所随所で思い知らされることはありましたね。

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※推定5才。

祖国へ長期帰国した際は、日本からやって来た「余所者」扱いされることもあれば、再び日本へ帰国した際も「余所者」扱いされることが日常的になり普段は意識しなくなってしまいましたが、「日本語お上手ですね。」と褒められることが何より「あなたは外人だ!余所者だ!」と言われんばかりに、いつしか私はその遊びを嗜むようになりました。

次の違和感が何かというと、皆さまお待ちかねの「オカマ」の部分ですかね。

周りの”男の子”たちは「僕、〇〇ちゃんが好き!」といい、”女の子”たちは「私、〇〇君がかっこいいと思う」と言う。私は内心「私もハルミツ君(仮名)が好き!」と思いながら口では「ナッちゃん(仮名)が好き」なんて言っていたでしょうか。

当時”男の子”、”女の子”と表現していた子たちを今では”シス男性”、”シス女性”なんて呼ぶようになると、3、4歳の私は思いもしなかったでしょうね。(この件はまた別の機会にてお預け♡)

そんな「オカマ」がこじらせにこじらせ、今では2個目の「女装」なんかに走ってしまった訳ですから、相当何かを爆発させたかったのでしょうね(笑)

冒頭部にも書きましたが、私はこれらの言葉が大嫌いでありながら、共存するスキルを身につけてしまったと。

本来相手を蔑む(意図的であろうとなかろうと)役割が強いこれらの言葉ですが、私はこれらを自身のエンパワーメントに用い、堂々と名乗ることができるようになりました。もちろん、皆さまへはこれらの言葉がもたらす辛さ悲しみをご理解頂き、誰かに使わないようにして頂きたいです。

遅ればせながら、私「ラビアナ・ジョロー」と申します。

今では東京都を拠点にドラァグパフォーマーとしても活動させていただいております。(ドラァグパフォーマーってなんぞやも、追々説明致しますね。)

何が言いたいかと言いますと、どこへ行っても「外人・余所者」というレッテルが貼られるのだろうということ、私は生まれながらに「オカマ」であること、そして選択的に「女装」をしていること。これらの言葉を少しずつ呼び方を変えて、第三者にもたらす印象を変えていきたいことも含めて、私自身のセクシュアリティやメンタルヘルスにどういった影響を及ぼし、どういったことが学べるか皆様には感じて・考えるきっかけになればと存じます。

拙い文章で失礼致しますが、紹介はここまでとします。ご興味のある方は是非ともいいね、フォローの程、お願いいたします。

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