フランス料理教室をはじめたのは

フランス料理教室を開講したのは1996年5月。ちょうど24周年を迎えました。新型コロナウイルスの影響で、レッスンを中止せざるを得ないことになり、今までレッスンをこんなに長くお休みしたことはなかったですが、初心にもどって自分の料理に対する気持ちに気づけたことはよい時間となりました。

教室を始めるきっかけにもなったフランスでの生活は、私の人生にも大きな影響を与えてくれました。
初めてフランスを訪れたのは、料理専門学生時代。研修旅行で、ヨーロッパ各国を巡った最終の国でパリの華やかなシャンゼリゼ通りを歩いていて、ふと道を反れて裏道を覗くとそこにはフランス人のそのままの「生活」を垣間見て、(観光でなく、フランス人の生活を知りたい!)と思ったのが、フランスに引き込まれた一歩のように思います。
その後はそのまま料理の道に進み、まず料理教室のアシスタントを始めたのです。料理教室といっても、その当時には珍しくフランス、イタリア帰りの現役のシェフだった人が講師を務めるというもので、アシスタントについた私も一度にフランス・イタリア・お菓子とたくさんのシェフ達に囲まれて仕事をしていました。その中でもとりわけフランス料理に魅かれ、フランス料理のシェフが教壇で話をするフランス各地の話を横で聞いていると、現地に行って実際に見てみたいという気持ちが募っていったのです。
フランスに行くならまずはフランス語!と思い、仕事の合間に語学学校に通い始め、意志の疎通ができるようにと勉強しました。そして次第にフランスに行きたいという気持ちが高まり、とうとうシェフに相談しました。彼は、「行けばいいよ!」と簡単な答えで、私自身戸惑いましたが、料理の仕事をしているのだからレストランで働けばいいと、ご自身が勉強された場所を紹介してくださることになりました。もう、30年前のこと。今でこそ、女性が単身で海外に渡り研修などしたり生活するのも当たり前になりましたが、学校からの手配もなく個人で行くのはその当時あまり多くはありませんでした。両親に話すと、「フランスの料理学校に留学すれば」という意見もありましたが、なんとか説得して、フランスへ渡ることに…。都会であるパリより田舎のほうが安心で、パトロンもしっかりしているということで、ノルマンディー地方の西にある小さな町coutanceから近い「Le Chateau de la Salle」というシャトーレストランを選んでくれ、いよいよ念願のフランス、1年間の修行が始まりました。
ここは、ノルマンディーの小高い丘が続く林の近くにあるホテルとレストランです。10室の客室、サロン、30名くらい入るレストランと100名ほどのバンケットルームがあり、避暑地でもあるので、繁忙期ともなると多くのお客様が来られます。その中にあるレストランは当時ミシュラン一ツ星。古典料理の好きなオーナーだったので、料理自体はシンプルなものです。そこで週五日半は仕事です。大きな冷蔵庫(シャンブル・ホワドと言って、未処理の食材などを野菜、肉、魚などに分類されている部屋のようなもの)には、見たことがない食材もたくさんありました。一つ一つに驚き、それらの食材の処理をしたり、前菜やデザートを作ったり、営業中はシェフやスーシェフのサポートなどをしました。
そのシャトー内にある屋根裏部屋が私の部屋でした。休憩時間は、ホテルの仕事をお手伝いしたり、裏庭にある林へマダムの愛犬と一緒に散策したりと優雅なひと時を過ごすこともありました。休日にはまとめて休みを貰って、各地を旅しました。
ノルマンディーには、たくさんの戦争の傷跡もありそんな場所に行くこともあれば、小さな島に船で渡り散策すること…。有名な≪モンサンミッシェル≫ 映画で有名なシェルブール。港の美しいオンフルールへも一人旅を楽しみました。
普段は、同僚宅を訪ね、町に出て買い物やノルマンディーの郷土料理やお菓子も味わい、どっぷりとフランス生活を堪能しました。
レストランがクローズになると、Bordeauxボルドー、トゥールTours、Vichyヴィシーなどの他のレストランへも短期研修をして新たな出会いもあり、地方が変わると料理の勉強はもとより、フランスの気候風土、人、文化、街や家並みが全く違うので、これらに触れるのが目的だった私には、非常に有意義なものになりました。
こうして、まずは1年間のフランス生活を終えました。

【料理とフランスの思い出】
 帰国後も数年に一度、短期留学やフランスの友人の家庭を訪ねて多くの旅をして、食材やフランスの香りを味わいました。フランスの家庭に招待されることが多く、いただくお料理もちろんのこと、食卓での会話やテーブルセッティング、進行具合と全てが私の心をワクワクさせてくれます。日本から来る私にはいつも高待遇で接してくれることも多々ありましたが、普段と変わらずにサロンでお昼寝しながらゆっくりするということもあり、フランス人の休日をそのまま過ごすこともありました。特にスタージュ先のマダムとムッシューのお宅には何度も伺い、たくさんのお料理をいただきました。ノルマンディーは海も近いことがあり、朝に魚を買いに行ってくれ主要産物でもあるクリームを使ったお料理だったり、シュミネ(暖炉)で塊のお肉を焼いたりといった家庭の味を味わいました。ちょっとした、フランス人家庭の習慣も垣間見ることができるのです。また、パリの美術館でフランス文学者と出会い、サンジェルマン・デ・プレの近くにあるビストロAUX CHARPENTIERSに招いて下しました。ここは、古いビストロで歴史を感じるフランスらしい店内で、お料理、ワインが進むうち会話も弾み、いつの間にか店のマダムも会話に入り【食卓】で多種な文化や才能や思いが奏でられていきます。料理を味わうということは何にも代えがたい幸せなことです。
ただ、料理の仕事をして最初に悩んだのが、形に残らない儚さ・・・・作っても形に残らないで寂しいとさえ思ったものですが、しかしその儚さは人の記憶に残り、心に残るのです。
まるで音楽を聴くとその頃の記憶がよみがえり思い出に浸れるのと同様、料理も視覚や嗅覚などから記憶されます。
例えばスープの話です。フランスの家庭の味で前菜としてよく食べられます。友人の実家に遊びに行ったときに、彼女のお父さんが野菜のスープをたっぷり作ってくれたことを思い出します。寒い時期だったからアツアツのスープで温まって香りもよくて美味しかった。その家族と楽しく食事した思い出がよみがえります。また、友人のフランス人シェフが一口のスープを飲ませてくれることで塩加減や野菜の旨味の出し方となる料理の原点を私におしえてくれたこと。どうしようもなく気持ちがコントロールできなかった時にフランス料理店で温かいスープを飲んで五臓六腑に染みわたり気持ちが落ち着いた魔法のスープ。スープ1つでも、たくさんの思い出があります。


こうして、フランスで生活したことから「フランスの家庭料理を伝えたい!」という気持ちになりました。フランスの日常生活の豊かさは、私にとってとても心地がよく、たくさんの人に伝えることができればと思い、フランス家庭料理の教室を始めました。その名前“La Table en plus”(ラ・ターブル・アン・プリュス)は、「テーブル(食卓)やお料理に、何かをプラスすることによって、もっと素敵な空間が生まれますように」という願いを込めて、名付けたものです。今までフランス人家庭で、買い物からお料理、テーブルセッティング、お酒、チーズ、デザートへとさりげないけれど、心のこもった【おもてなし】を受けました。特別でない日常も心を豊かに持ち、食事や会話を楽しみながら付き合うフランス人から学んだことは多くあります。また、そのフランスの地で知り合ったたくさんの人との出会いがあったからこそ、お料理も教室も長く続けてこられたのだと思っています。
フランスでの思い出や経験は、全てが私の中に納まっています。これからもフランスへ行く機会を作って、フランスの歴史や風土や人、もちろん料理 新しい出来事も実際に触れて、感じてみたいと思います。
そしてフランス料理に限らず、【食】を通して、食べることの大切さを伝え、人とのつながりを大事にしたいと思います。
身体を作り、精神にもつながる重要なお仕事であると実感しています。

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