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『ラブライブ!スーパースター!!』 って何がしたいんですか??
はじめに
はじめまして! 俺です! 常夏☆まんぼうです! 決してお前ではありません。お間違え無きよう。普段はTwitterで澁谷かのんと平安名すみれの間にある夢想に現を抜かしたりしています。かのすみはいいぞ。
ブログ記事とやらを書くのは初めてですので、作法に間違いがございましたらどうぞ存分に殴ってください。全部受け止めるよ、兵器。
この記事は『ラブライブ!スーパースター!!』が何をしたいのか、俺なりの結論が見えたので書いています。意図が分かれば納得できることも増えるでしょう。俺はそうだった。今更何を、既知である、と仰る方は回れ右でお願いします。意気揚々と書いてる俺が惨めになっちゃうだろうが……ちなみに俺は光のオタクなので本作に否定的な意見など”雀の涙”ほどしかありません。
……あぁ? いまなんてったァーー? 伊達さんを泣かす奴は俺が絶対許さないッッッ!!!!!
ええ、俺の人生が如く著しい脱線から始まりましたが、俺が感じたことを、本作が目指すゴールを共有することで、お前がもう少しだけ『ラブライブ!スーパースター!!』を好きになれるきっかけになれば幸いです。きっとお前も誤解している。だってお前は私だから。
『ラブライブ!スーパースター!!』が描く夢
俺の言葉で言うと、『ラブライブ!スーパースター!!』が描くのは「夢へと向き合うための活路」です。それは揺りかごから墓場まで、夢見た瞬間から叶えた先まで、夢へと向き合い続けるための技術であり習うべき手本なのです。
分かりづらいですか? 分かりづらいですよね。それは当然、素人の言葉ですから。公式はこういう風に言っています。
「私を叶える物語」
答えは最初から提示されていたようですが、俺は阿呆なので気づきませんでした。
はじまれ!新しい「私」――。
一期のキャッチフレーズでありテーマです。いつだって俺をワクワクさせてくれる言葉だ。
ここで言う「私」ってなんでしょうか。俺は「夢」だと思います。そんなの分かりきった話でしたね。
本作はすべてのキャラクターに自分だけの明確な夢が与えられています。そしてすべての夢の始まりも描かれている。
唐可可はスクールアイドルに憧れて、澁谷かのんは自分の大好きに再度向き合って、平安名すみれは諦められない理由を貰って、嵐千砂都は助けてくれた人を助けらるようになりたくて、葉月恋は亡き母の願いを紡いで。
それは新しい夢を始めるためのハウトゥーってやつです。
憧れたなら飛び込んでみろ、自分の大好きに嘘をつくな、自分自身を信じ抜け、夢は自分で決めてしまえ、託された想いを形にしてみろ。それぞれがそれぞれの夢に踏み出す一歩には学びがある。それはどんな人にだって当てはまるような多角的な学びです。
また、本作には今までの『ラブライブ!』作品のオマージュ演出がよく見られます。それは憧れが描いた軌跡を辿ることが本作にとって重要な意味を持つからです。『ラブライブ!』にはお決まりの設定と展開がある。それは『ラブライブ!』の本質に限りなく近いものたちです。逆説的にそのお決まりから外れる事象には、本作が『ラブライブ!スーパースター!!』たる所以が隠れている。
例えば、本作ではスクールアイドルの発起人が主人公ではないということが挙げられます。高坂穂乃果然り、高海千歌然り、スクールアイドルの輝きに惹かれ、ラブライブ!なら世界を変えられると信じ、一番最初に憧れへと飛び込んだキャラクターが今までの『ラブライブ!』作品の主人公でした。本作であれば唐可可がそれに当てはまるでしょう。しかし本作の主人公は澁谷かのんです。でも、それって何ででしょうか?
Liella! は澁谷かのんの輝きに惹かれたものたちが集うグループであり、Liella! の先頭を走るのはいつだって澁谷かのんでした。それは澁谷かのんが「私」だからです。
主人公が唐可可で無いのは、「私」とスクールアイドルを直接結び付けないため、とも言えるでしょう。
追いつけ、追い越せ――。
二期のキャッチフレーズでありテーマです。この言葉って誰に向けられていると思いますか? いまお前が思い浮かべた対象には間違いなく向けられています。
例えばそれは一期生を追いかける二期生であり、Sunny Passion を追いかけるLiella! であり、キャラクターを追いかけるキャストでもある。
二期は全員が憧れの背中を追いかけ、追いつき、追い越さなければならないと、そういう風に作られています。全員に憧れが設定されているのです。全員とは、本作に関わる全員です。彼女たちが憧れを追いかけ駆け抜けた軌跡には夢へと進み続けるコツがある。
劇中で二期生個人にとっての絶対的な憧れとして設定されたのは澁谷かのんだと思っています。分かりやすい例だと、二期生の勧誘には必ず澁谷かのんが関わっているということです(若菜四季のみ間接的に)。鬼塚夏美勧誘時にお前はこう思いませんでしたか? 「そこは二期生でいいだろ」と。俺もそう感じていました。こんなん澁谷かのんゲーだろうが。
しかし、そこには明確な意図がある。直感的に納得できないかもしれませんが、一度本作に寄り添ってみませんか。その直感が間違っているというわけではありません。直感というのは多くの場合、聡明で論理的に振舞います。その的中率は九割というから驚異的だ。それでも一割、お前が寄り添える可能性が残っています。
可能性がある限り人事を尽くして、尽くしに尽くして、これでもかってくらいに尽くして、天命さえも惹きつけるのがスクールアイドルってやつです。憧れたものの在り方は見習うべきだ。
本作の好きな点と嫌いな点、俺にだって両方ある。でも好きなところの方が圧倒的に多いのです。全てを好きになれるとは思いませんが、感じた違和感には決着を付けたい。お前だってモヤモヤしているんでしょう。だからこんな記事を読んでいる。出会いの意味を見つけたいと願ってる。
閑話休題。鬼塚夏美の勧誘が、二期生個人にとっての絶対的な憧れが、本作の主人公が、それが澁谷かのんであったのは、澁谷かのんを除くLiella! の8人が「私」だからです。
言ってることが違いますか? いいえ、同じです。
「私」は澁谷かのんのことであり、澁谷かのんを除くLiella! の8人もまた「私」である。
おっと、ステイステイ。安心してください。俺の気は確かです。もう少しだけ読んでください。
「私を叶える物語」
本作のメインテーマであり、二期十二話のサブタイトルです。
本作が他作品と違うことの一つにラブライブ!が学校存続の是非に関わらないことが挙げられます。ラブライブ!へと挑むモチベーションが初めから廃校阻止じゃあないのです。
それはラブライブ!優勝できなかったとしても、Liella! の活動そのものが終わってしまうわけではない、ということです。何処までも地続きだ、とも言える。それにグループの存続という壁はすでにクーカーが代々木スクールアイドルフェスで超えています。じゃあLiella! にとってラブライブ!って何でしょう?
ラブライブ!、それはLiella! にとって私を叶えるための手段なのです。それぞれが自己実現の手段として、スクールアイドルを選び、ラブライブ!優勝を目指しているのです。
初めからラブライブ!優勝を夢見ていた唐可可を除いて、唯一、ラブライブ!優勝しなければ絶対に夢を叶えられないと言えるのが平安名すみれでしょう。しかしそれだって「可可と一緒に居たい、三年間一緒にスクールアイドルをやり切りたい」という目的のための手段です。悪く聞こえるかもしれませんが、本作のラブライブ!は「私」にとっての踏み台だ。
また、「廃校を阻止するためにラブライブ!へ挑む」というのは先述した『ラブライブ!』お決まりのやつです。そこから背く展開には、本作の根源へと至るための理屈が潜んでいます。
読み解けるのは、多くの場合『ラブライブ!』そのものが「私」にとっての本当の夢を叶えてくれるわけじゃない、ということでしょう。
μ'sはこの9人でμ's じゃあLiella! は?
二期十二話における「私」は澁谷かのんのことでしょう。或いは澁谷かのんの夢を最優先事項とする嵐千砂都のこと、はたまたLiella! や結ヶ丘の生徒全員とも取れますが、ここは敢えて澁谷かのんだけを指しているとします。
澁谷かのんが留学の誘いを受けた時、一人で考え、導いた答えがこうでした。
心配しないで行かないよ。
~
うん、話が合ったのは本当。でも留学はしない。
結ヶ丘に入って、スクールアイドルになって、「歌が大好き」って、また言えるようになった。だから、この学校にずっと居たい。もっとたくさん歌って、三年間スクールアイドルとして頑張って、この学校のみんなと一緒に、もっともっとハッピーな気持ちになりたい。
~
あのね、東京大会のステージで、みんなで喜べた時、思ったんだ。私の選んできた道は、何にも間違ってなかった。この喜びを重ねていくことが、私の目標の一つなんだって。
それは出会いの中で生まれた夢。澁谷かのんの願いに嘘偽りはありません。
けれど、嵐千砂都だけは理解していました。いいえ。澁谷かのんだって、目を背けていただけで気づいていたんだと思います。それが「私」にとって目標の一つに過ぎないことを。それよりも優先すべき「本当の夢」が澁谷かのんにはあることを。
澁谷かのんの答えを聞いて、マルガレーテに話を訊いて、自分の心に未来を聴いて、嵐千砂都が導いた答えは「澁谷かのんに留学してほしい」というものでした。
これは嵐千砂都が澁谷かのんをずっと追いかけてきたからこその渇望であり、嵐千砂都がLiella! の部長であるからこそできた選択です。
私、かのんちゃんに、留学してほしい。
~
かのんちゃんは「世界に歌を響かせる」んでしょ。小さい頃からの夢だったよね。今こそ夢を叶えるチャンスなんだよ。私はかのんちゃんに夢を叶えて欲しい。かのんちゃんにしか叶えられない夢を。
~
もし断って、この話が無くなっちゃったら?
~
みんなもそれでいいの? もしそうなったら、私たちがかのんちゃんの夢を叶えるチャンスを奪ったんじゃないかって、みんな後悔するんじゃない?
~
「世界に歌を響かせる」んでしょ。今しかないチャンスなんだよ。
留学の誘いを蹴って、三年間スクールアイドルを続けて、みんなで見た夢の続きを描く。それが「みんなで叶える物語」だ。
でも、本作は「私を叶える物語」です。私自身の本当の夢を叶える物語です。澁谷かのんが「私」を叶えるためには大好きなLiella! からも離れる決断が必要だったのです。
澁谷かのんがウィーンへと留学すれば、必然的に澁谷かのんはLiella! を継続できない。Liella! は8人になってしまいます。
μ'sはこの9人でμ's だった。9人じゃないμ'sはμ'sじゃない。じゃあ、Liella! は?
かのんちゃんがいないLiella! はLiella! じゃない。それが私たちが出した答え。
澁谷かのんを除く8人の「私」たちが出した結論は今までのスクールアイドルが選んできた道と同じです。
続けて、唐可可はこうも言っています。
かのんの夢はみんなの夢です!
澁谷かのんの夢を叶えることが「みんなで叶える物語」にもなる。だから本作は絶対的に『ラブライブ!』だ。
しかし、本作が『ラブライブ!』の特異点たる理由は8人でもLiella! で在れるということです。
でも一つだけお願いがあるの。
Liella! は続けて欲しい。一人でも掛けたらLiella! じゃない。この9人でLiella! だって気持ちはわかるよ。私だってそう思う。でも、辞めて欲しくない。私にとってLiella! は青春。この結ヶ丘から私がいなくなることで、Liella! がなくなるのは嫌なんだ。
~
そんなことない。みんなすごくキラキラしてる。すごく素敵。みんなが結ヶ丘で歌っているって思えれば、離れていても勇気がもらえる。Liella! を感じていられる。
それはそう在ることが「私」からの条件だからです。Liella! のみんなが惹かれた絶対的な憧れからの願いだからです。Liella! が8人でもLiella! で在れるのは、「私」を叶えようとする澁谷かのんに寄り添うため。何処にいたとしても「私」にLiella! を感じて勇気を持ってもらうため。
Liella! が音を響かせるのは私を叶えるためなんです。
『ラブライブ!スーパースター!!』は何処までも「私を叶える物語」だ。
そして先述した通り、「私」は澁谷かのんのことであり、澁谷かのんを除くLiella! の8人もまた「私」である。「私」と「私」たち、この構図を作るために澁谷かのんは絶対的な憧れである必要があったのです。それはこうも言えるでしょう。
時に「私」は本当の夢のためなら大好きからも離れる決断が必要であり、時に「私」たちは本当の夢の前で躊躇する絶対的な憧れの背中を蹴り飛ばすくらいの気概が必要だ、と。この関係を見習うべき日がいつかきっと来るはずです。
これは「私を叶える物語」における「私」のための出口戦略だ。
運営への批判
この界隈にいると日々聞こえてきます。批判自体を悪いことだとは捉えていません。それはコンテンツを正しい姿で継続するために必要な自浄作用です。ただ批判と悪口の分別はつけてくださいね。批判は論理的な思考に基づいて行われるものだ。俺は光のオタクなので(以下略)、頭ごなしに否定したり、口汚く罵ったりはしません。お前もそうであって欲しい。
本題ですが、この記事を書き始めた理由の大半がこの件について意見したかったからです。俺が批判されるべきでは無いと感じるところにまで批判の声が上がっている。それはきっと誤解だと思う。俺もかつては誤解していたから。その誤解を解くことで、もう少し本作が好きになれると思うんだ。
「希実」というのかい、相応しい名だね。
湯婆婆はずっと希実ちゃんのこと応援してます。だいちゅき。
俺がしていた誤解をひとつ、お前にも共有します。それは俺の贖罪でもある。俺がずっと鈴原希実さんと向き合えなかったという話です。それは運営のやり方に納得できなかったからだ。
鈴原希実さんは一期生の一般公募オーディションで最終選考まで残り、二期生の一般公募枠として採用された経歴を持ちます。キャスト発表の配信で、そういう旨のオーディション映像が流れた。俺はそれが気に食わなかった。
ドラマチックな演出のために、運営が一年間鈴原さんを拘束し、あの完成されたとさえ思える5人の中に放り込むんです。圧倒的主人公性を持つ伊達さゆりさんの背中が遠ざかっていくのを一番近くでまじまじと見せつけていたんです。かつての俺にはそう見えた。
あのオーディションでもう一人のスクールアイドルが生まれていた。それがフィクションならアツい展開ってやつです。でもそれは現実でやることじゃあないでしょ、と。乱暴であると感じてしまった。
出自に納得できていなかったからこそ、俺は鈴原希実さんと向き合えていなかったのです。
でも、きっかけがありました。それは3rdライブツアー東京公演でのMCです。
本日は本当にありがとうございました。
会場にお越しくださった皆様も、そして、配信、ライブビューイングの皆さんもありがとうございます。ありがとうございます。
えっとですね、私は本当になんかダメ人間生まれダメ人間育ちと言うか、本当になんか昔から何も出来なくてですね。
~
ダメなところばっかりで。それで、もう、あの、生きている意味が無いんじゃないかって。
~
でも、『ラブライブ!』シリーズに出会ってすごく変われた自分がいて、そして、Liellalのみんなに出会えて変わった、変われた自分がいたんですね。オーディションに合格する前は、私本当に笑顔も作れなくて、ボイトレに初めて行った時に、「何で笑えないの?」って言われて、「笑い方が分かんないんです」って言ったんですよ。笑うってどうやってすれば良いんだろうって思って、なんかそんな人間が、この大好きな『ラブライブ!』シリーズの舞台に立って、みんなの事を幸せに出来るのかなっていうのをずっと考えていたんですよ。
なんですけど、あの、Liellal! のみんなに出会って、あの、Liellal! のみんなって本当に、本当に素敵なみんななんですよ。もうひとりひとり、めちゃくちゃ性格も良くて、それで周りを支えてくださってる皆さんも、そしてファンの皆さんも本当に、本当に素敵な方々ばかりで、本当に大好きなグループで、もっともっと、上を、目指せると私は思っています。Liella! なら、もっともっと素敵な、ここも充分本当に素敵なステージなんですけど、なんだろう、本当に最高のグループだからもっともっと上を目指していきたいなって思っています。
これを受けて、俺の嫌悪は、短慮な独り合点だったと思い知らされました。『ラブライブ!』は道を見失いかけていた少女の勇気ある一歩を、尊重し、後援し、断固として掴んだその手を離さなかったのだなと。
俺は大バカ野郎だ、とも。
そしてアンコールの『TO BE CONTINUED』鈴原希実さんパートが俺の深いところにぐっさりと突き刺さったのです。
勇気出して 叶えた奇跡
その姿は正に、私が愛して止まない『人間讃歌』を体現していた。
鈴原希実さんと向き合ってから、沼もとい鈴原オアシスに頭まで浸かるのは一瞬のことでした。気をつけな、あのオアシスに足を着く底なんてないよ。
ただ、鈴原希実さんにとって運営はそうだったかも知れませんが、他の二期生キャストにとってはどうだったでしょうか。
ユニゾンってな、すっごい呪いやねん。
雑ンミカです。2ndライブ参加しました? 俺はしました。超楽しかったです。可能であればもう一度あの景色を見たい。そう願ってしまう。
この頃はもうすでに二期生の加入が発表されており、5人のLiella! のラストライブだ、網膜に焼き付けるぞ!なんて気合を入れて挑んでいました(実際はそうでは無かったのですが)。
そのラストライブの最後を飾ったのが『ユニゾン』でした。
ずっと終わらないで 時が止まればいいのに
歌詞中にもあるように、『ユニゾン』は過行く一瞬の儚さと、永遠に響くいまを奏でる歌です。その名残惜しさが、不可逆な時間が、受け手側に「5人のLiella! がずっと終わらないで欲しい」という自然な願いを生み、二期生達を呪うのです。
お前も右手を天に掲げて止まらない時間と逆行するように反時計回りに回したのではないですか? お前だって二期生にかけられた呪いの一端であると言える。
しかしこれには黒幕がいます。呪いはかけられるべくしてかけられた。『ユニゾン』はニ期生キャストにとって、超えるべき壁として運営が設定したものです。そういう風に出来過ぎている。
今回の3rdライブツアーは二期生にとって呪いを解くための儀式でもありました。『ユニゾン』でかけられた呪いを解く方法を俺はたった一つしか知りません。それは『ユニゾン』を歌うことです。
ねえ気づいてるよね? ほら君と僕の鼓動が ぴったり重なり響いた
『ユニゾン』は歌声を同じトーンで重ね合わせないと響かせられない歌なんです。憧れに追いつかないと歌えない曲なんです。だって"ユニゾン"ですから。
3rdライブツアー埼玉公演のアンコールでも『ユニゾン』が披露されましたね。その枠は「もう一度聴きたい曲アンケート」で決まったものです。しかし俺は、ファンが「選択した」のではなく、9人のLiella! に「選択させられた」と感じます。
2ndライブ当時、『ユニゾン』は2ndライブの曲であり、5人のLiella! の象徴だ、という意見を何度も目にしました。そんな『ユニゾン』が3rdライブツアーを経て、9人のLiella! でもう一度聴きたい曲として、ファンから一番多くの票を集めて披露されたのです。
覆したのです、多くの主張を。変えたのです、お前が見る世界を。3rdライブツアーは、9人のLiella! は、それ程までに眩しかった。
そして曲中、岬なこさん曰く「負けず嫌い」な絵森彩さんが涙していたのが印象的でした。
今回の3rdライブツアーで目標にしていたことが「胸を張って『Liella! の一員です』って言えるようになりたい」っていうのが今回の目標で、がんばれ涙腺頑張って、頑張って、お願いだこれもうユニゾンで泣いた、もう泣いた。も~うユニゾンで泣いたんだよ私。
絵森彩さんは鬼塚夏美に追いついた。9人のLiella! は5人のLiella! を追い越した。ええ、俺だって泣きましたよ。その苦悩を正しく推し量ることなんてできないですが、それでも憧れを追いかける二期生たちの葛藤を見て、応援してきたつもりです。俺もちょっとだけ泣かせてください。
涙ってな、一番うれしい日にとっておくもんやねん。
雑ンミカでした。
でも、それって結果論ではないですか? 二期生が追いついてくれたから、美談になっているだけなのでは?
運営さんよぉー?? 人の心がないんじゃあねぇのッ!?
俺もそういう風に思うことはあります。想定される苦痛は少ないほど良い。もっと波風立てないやり方があっただろう。キャストの人生にキャラクターを背負わせるな。
でもそれわざとやってます。ニ期生が加入することで不平不満の声が上がることも想定済みです。キャストがキャラクターとの差に思い悩むことだってそうだ。二期はキャストの弱点ともいえる部分がキャラクターにフィードバックされている節さえある。
でもそれは意地悪したいからじゃない。期待しているから試すのです。獅子は我が子を千尋の谷に落とすという。嵐千砂都は嬉々として二期生に高いハードルを設定する。
これだけできるなら、自信つけるために、ハードル上げていいかもって。
運営はある側面でキャストにとっての嵐千砂都のように振舞っているのです。超えられないハードルじゃないと判断したからこその『ユニゾン』です。
その所作に『ラブライブ!スーパースター!!』が描く夢が詰まっています。運営は打つべき悪ではありません。「私」にとっての嵐千砂都です。
しかし、こういうところが是非の分かれる点なのですが。
キャストとキャラクターの一蓮托生 ひいてはお前と私の~Death rondo~
本作初の試みをご存知ですか? そう、一般公募オーディションです。ラブライブ!に憧れ、勇気を振り絞り、飛び込んだものだけが掴める夢へと向かうための羽根です。
一期生、二期生の一般公募枠は本作のアニメが始まる前から決定されていました。それは今までの『ラブライブ!』シリーズに憧れた「私」です。では本作、『ラブライブ!スーパースター!!』に憧れ、踏み出した「私」は誰でしょうか?
その最たる例が、つい先日まで選考されていた三期生です。本作の一期、二期を見て、ライブを見て、憧れて、勇気の一歩を踏み出した人。この間まで、お前と同じファンだった「私」。それってなんて「私を叶える物語」なんだ。
また、本作はキャストとキャラクターのシンクロに今まで以上に重きを置いています。それは、アニメ世界の住人であるキャラクターを現実に宿す革新的な技術です。
キャストが、つまりは現実に生きる人間が「私」を叶えるのだから、夢物語が現実になる。これが『ノンフィクション!!』ってやつだ。ここに夢現じゃない「私を叶える物語」が顕現するのです。
ほら、あとは「私」が、いいえ、お前が踏み出すだけだ、と。そうです。本作はお前が「夢へと向き合うための活路」です。
『ラブライブ!』という御伽話を現実にする。それは現代における魔法です。運営はお前に魔法をかけようとしている。夢という名の魔法です。それが運営の願いであり『ラブライブ!スーパースター!!』の真の役割である。
「私を叶える物語」の「私」って何だと思いますか? 俺は「夢」だと思う。そんなの分かりきったことでしたね。
ではその「夢」は一体誰の夢ですか? それは澁谷かのんであり、Liella! であり、キャストであり、お前です。「私」ってお前だ。
『ラブライブ!スーパースター!!』は「お前を叶える物語」だ。
さあ、話はタイトルに帰結します。これが記事の本題です。
『ラブライブ!スーパースター!!』って何がしたいんですか?
俺の言葉で言うと「夢へと向き合うための活路」です。それになろうとしてる。
「私」は夢へと向き合えていますか? Liella! が全力で駆け抜ける瞬間の輝きに、「私」の夢を投影していませんか? 憧れを託して諦める理由にしていませんか?
この記事で少しでも心が揺れたなら、お前は本作が指す「私」であり、お前のために『ラブライブ!スーパースター!!』は存在する。
『ラブライブ!スーパースター!!』は「私を叶える物語」だから。
運営の「私を叶える物語」に対する姿勢に噓偽りはなく、何処までも紳士だ。俺はそう思う。
お前はどう思いましたか?
おわり
お前お前と大変失礼しました。私という言葉に焦点を当てるため、俺が俺を名乗らなくっちゃあいけなかったのです。俺と対を成すのはお前だろ(俺ルール)、ということです。道理なんて知らない。
本作は「私を叶える物語」で在ろうとするばかりに、大衆にはあまり好まれなかったのかもしれません。二期の面白さって結構分かりづらいです。一期は狂ったようにリピート視聴したが二期は一周だけでおしまい、そういう人って多いのではないでしょうか。
二期の終わり方も荒れに荒れましたね。でもそれだって想定されているはずだ。単に面白い物語ってだけで良いのなら、あの結末は選びません。素人にだって分かる。
物語における「面白さ」の本質は「受け手に生まれた願いを叶えること」です。それが起承転結でいう結にあたる。しかし、物語を作る上で難しいのは「受け手に願いを生ませること」です。結はそれを叶えるだけなんだ。起承転ができていれば結なんてウイニングランみたいなものです。
多くの人は二期十二話で澁谷かのんを除くLiella! の8人に感情移入していたことでしょう。そこに生まれる願いは劇中と同じ、「澁谷かのんに留学して欲しい」です。
しかし、あえて物語の王道を外し、受け手側の願いを裏切る展開にしたのは『ラブライブ!スーパースター!!』に、澁谷かのんに、まだ使命が残っているからだと思います。
この記事が全ての「私」にとって『ラブライブ!スーパースター!!』と正しく向き合い、もう少しだけ好きになるきっかけになれたのであれば是幸いです。
それと、ここまで読んでくださった貴方は相当モノ好きと見える。
是非感想やTwitterのフォロー、私への罵倒等々!(←ここ、『トゥ トゥ トゥ!』)お待ちしております。私のことはいくら殴っても良いです。
余談になります
いやはや、少々アツくなってしまいました。冬も終わりですね。この記事12000字あるらしいです。馬鹿は話が長いという。簡潔に語れ、簡潔に。
とは言うものの、説明の足りてない部分がたくさんあると思います。私の中だけで完結してしまってる話がきっとある。要領を得ない人生なのです。
ところで貴方は本作が三期で何を描くと思いますか? ちなみに三期のキャッチフレーズは「みんなで新しい星空へ!」です。
私は夢を叶えた先をテーマにすると思っています。本作は「夢へと向き合うための活路」です(この表現結構気に入ってる)。では夢を叶えてしまったらどうなるんでしょうか? この物語は終わってしまう? なに、知らないのか?
本当の夢は止まらないんだね
また夢が始まるんです。
澁谷かのんが留学しなかったのも夢を叶えた先を「私」に提示するためだと思っています。それが絶対的憧れの役目だ。
Liella! 1stライブツアーのタイトルを覚えていますか?
『Starlines』です。
そして全国を駆け巡った『Starlines』を締めくくった曲が「出発」を意味する『departure』。
今まで描いてきた星たちの軌跡が新たな夢へのスタートラインになるんです。この関係性、本当に乙だ。
また、スクールアイドルにとっての一つのゴール。それはラブライブ!優勝でしょう。Liella! だってそれは同じです。
スタートラインに立ったら
ゴールは遠く遠く
でもね キラリ輝く僕らの星(スター)
ときめきながら この手でつかもう
いつか僕らもなりたいよ 輝く最光星(スーパースター)
しかし、ラブライブ!優勝曲の『未来の音が聴こえる』のCW曲、『TO BE CONTINUED』はこうも言っています。
ゴールに見えてた でもスタートライン
何度も何度でも 君と一緒に駆け出すのさ
スタートラインから見たゴールは遠く遠く、しかし辿り着いてみればゴールに見えてたそれはスタートラインだった……。それって、「私」の夢は終わらねぇ!!ってことです。
夢を叶えた先の夢、ラブライブ!連覇への挑戦は当然のこと、その先の夢へと踏み出すところまで描いてくれるのではないかと期待しています。
書きながら思いついたので追記。
澁谷かのんが絶対的な憧れである必要があったのは『始まりは君の空』だからでもあります。
この曲のステージとなったのは「SHIBUYA SKY」です。「始まりは澁谷かのんの空」、という言葉遊びでしょう。(二期生キャストの発表も4/28)
しかし、澁谷かのんに惹かれて集まったLiella! が、澁谷かのんがいなくともLiella! で在れる。それは「始まれば君の空」だからです。
始まれば君の空
始まりは何だっていい。始めてしまえば、それは「貴方を叶える物語」だ。
隙を見せたな!? 自分語りのターンだッ!!
ここからは私(俺)の話です。蛇足ならぬまんぼうムキムキ剛腕(爆笑)なので興味しかない人だけ読んでください。ここに関しては命の責任を一切負いません。貴方の合切を破壊し尽くしてやります。学びはないので悪しからず。
私もかつてスクールアイドルでした。ええ、比喩です。私にも追いかける夢があったんです。私の青春はラブライブ!優勝の為にありました。
しかし終わりは呆気ないもので。本選の二週間前に怪我をして、夢の舞台に満身創痍で挑み、残った記録は0でした。0だったんだよ!!
例え怪我をしていなくとも叶わない夢だった、と今になっては思います。肉体には限界がある。私はサラブレッドじゃなかったんです。ただ、それでも10くらいは残せたかもしれない。
燃え尽きられなかった私は夢を燻らせながら、社会の荒波に揉まれます。懇切丁寧に全身を隈なく揉み解される日々が続きます。そしてある朝目覚めた時、私はまんぼうになっていました。比喩かどうかは貴方の判断に任せます。
私が本作に出会ったのはそんな時だったと思います。
貴方は本作の何に惹かれましたか? 私は澁谷かのんです。彼女の人間らしさに強く惹かれた。この時もう既に私は本作の手のひらの上で踊らされていたんですね。
後に、何や感やでカップリングという概念に触れます。特定のキャラクター間にある関係性のことです。私の心にすっと寄り添ったのは澁谷かのんと平安名すみれのカップリングであった。かのすみである。
かのすみに惹かれた理由も今になっては言葉にできます。私が夢を追いかける過程で欲していた、「理想的なライバル関係」だからです。私も絶対に諦められない理由が欲しかった。
ただ、当時の私は右も左も分からず、ただかのすみが好きだった。そんなの恋じゃん……。
私がいわゆる二次創作を齧ったのもかのすみがきっかけです。お話を書くのって難しいんです。それに二次創作は既に確立されたキャラクターを扱うんです。好き勝手できるわけがない。私はとても苦手だ。その大半が御蔵入りである。
それでも、キャラクターの心情に寄り添えるようにはなりました。二次創作される方々の視点にも立てた。そりゃあ生まれたての子ヤギみたいな姿勢ではありましたが。物事を捉える視点が増えるのは、世界をより楽しむための秘訣だと感じます。
また、ライブに足繁く通うようになったのも本作と出会ってからです。全国を飛び回って、声優アイドルグループを追っかけるなんて……。はっ!? そう、私は、私が気づいた時には既に憧れを追いかけていたんです。はめられた。巧妙な罠である。
あとは伊達さゆりさんが「ポジティブになれた」旨の話をしていましたが、私もそうだなと感じます。大切なことは全部、師範が教えてくれました。とりあえず笑い飛ばしておけば良いんです。そうですよね? 師範! さすれば幸せなんて、向こうからノコノコやってくるんです。
様々なきっかけと始まりをくれた本作に感謝し、また本作の描く夢の一つになれるよう私も本当の夢を探すところから始めてみようと思います。
君の願いは いつか君の力で叶う日がくるんだ
私の夢は私の力で叶えなければならないのです。
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