イタリア語検定試験について思うこと
数年前からイタリア語を習っている。
その時はパラグライダーをやっていて、たまたま海外で飛んでみようということになり、食も馴染みやすく、観光も少しできて、物価もそんなに高くないということでイタリア、ドイツを周遊した。
挨拶くらいはできたほうがいいのでは?と思い、3ヶ月位、NHKのラジオ講座を聞き
挨拶(おはようございます、的なものと さようなら)
炭酸水をください
お手洗いはどこですか
の3つをなんとか暗記して、現地に行った。
詳細は割愛するけれど、いろいろと心に響くものがあり、あまり深く考えないで学習を始めた。
学習の指標として、『イタリア語検定』を受けようと自発的に思い、
幸いなことに準2級まで順調に学習を続けることができている。
イタリア語を学ぶことは私の生活の中で、自分でも意外なほどに
心の支えになり(特にパンデミックのとき)いつか機会ができたら
度胸試しにボランティアでも構わないから、ガイドっぽいこと
やってみたいなと純粋に思うことができた。
イタリア語検定協会のHPにはしばしば、寄付をつのる記事が出ており、
なにか気持ちを返すことができたらと思って、自分の無理のない範囲で
寄付を具体的に検討してみようかと思ったのだが、実際の台所事情がどんなもんなのかを見てみた。
残念ながら私は会計の知識が乏しいのでBSを上手に読むことはできない。
したがって掲示板経由で主催者側にいろいろ尋ねてみた。
私にしてみれば、なにかお金を使うとき、それが支払いするのに値するかを確認する作業にすぎないし、必要なことだと思っている。
しかしその時のやり取りはのらりくらりしているなあと感じた。
なにかのお買い物に例えたら、多分私はこの状態では本当に必要なもの
とは判断しにくいし、組織としては随分と頼りない、おそらく組織立っていないのであろうと思った。
9月半ばにもう一度HPにアクセスしたところ、以前より具体的な数値が出ており、コロナもあって受験者数は4割減とあった。ってことはコロナ前は
もっと気軽に受けていた、とかなんか理由があるのではないか?
よく言われることのひとつに、英検との級の比較がある。
たとえば同じ 3級 と呼ばれても、レベルがイタリア語のほうが
高い=難しい と言われる。
私は英検は持っていないから比較のしようがないけれど、多分、イタリア語は趣味で習うようなイメージが強いので、それでいうと高いもの求めるなあということではないだろうか?
語学を続けることは、初心者レベルを抜けると、マラソンとか登山みたいなイメージがして一人でコツコツやって時々、誰かとすれ違ってこんにちは‥みたいな印象がある。私も今までグループレッスンを受けてきたが
あるタイミングでガクっと人が辞めていったりすることを経験してきた。
おそらくイタリア語に限らずそういう思いをされている方は多いだろうし、お住まいの地域により最初からアドバンテージがきまってしまうこともあるだろうと想像する。
イタリア語検定協会に関わる方がいたら、4割減の分析をもう少ししてほしいし、もしかしたら数字が戻らないと見込めないようだったら、思い切って検定を廃止するとかもっともっときちんと考えたほうがいい。
もちろん検定はなくならないでほしいけど。でももっと真面目に方向性を示してほしい。
他の外国語検定も苦境にたっていると新聞でよんだことがある。
他の外国語学習者の方々はどうおもっているのだろうか?
イタリア語の学習を始めてから、私にはいいこと、自分が今まで気が付かなかったことがたくさんあった。
●単純に日本語について汚い言葉、流行り言葉を使うことを控える
ようになった。
●電子辞書のおかげで、疑問に思ったことはすぐ調べるようになった。
●イタリア語での表現を考えるために、日本語での表現もよく考える
ようになった。
●単純に、会話が通じると嬉しい!!
などなど
全部、自己満足かもしれない。
でも検定試験の状況が改善されるように願っていることは間違いない。
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