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アルケミストとカバリスト

「肩書きを10個書き出してみるってワークがあったんだけど、
わたしはカバリストが一番しっくり来た。」
と同じく錬金術を学ぶ友人が言った。


それを聞いて、とてもしっくり来た。
我々は日常ではセラピストだったりするけれど、
私たちの生き方の指標は古代からの叡智に基づいている。


わたし自身も職業ではなく、
自分が何者かと言われたら「アルケミスト」と答えると思う。


自分から「どうも、錬金術師です。」と言うことはないし、
言われてもなんか照れくさいですね。となる。


でも、いつからか気付いたら
「錬金術の人」と人から人へと紹介されるようになっていた。
自称ではなく、人からそう見えているというは、本望である。


今、noteに移設している「22時のアロマなコラム」
その中に記事のどこかでも書いていると思うのだけど、
わたしが現代でアルケミストとして生きようと決意したのは、


「今世くらいアルケミストとして生きてみてもいいじゃない?』


という師の言葉がきっかけだった。
それはごく自然と腹落ちして、そうだな、って。

アルケミストもカバリストも根本は同じだ。
カバラの教えの実践だ。


主たるものは、
日々、あちこちで顔を出すエゴを飼いならし、消滅させ、
本来の自分=カバラで言うところの「神様のようになる」を
目指す生き方だ。


この生き方を選ぶと、
自分がエゴだらけだと気付き、
ガッカリを通り越して自分自身に見事に絶望したりする。
実に、泥臭い。


しかし、その一方でエゴまみれで
すぐに魂の本道からずれる自分を正すための道具や英知、
グノーシスの素晴らしさにも大いに感動する。


カバラの教え、マルセイユタロット、西洋占星術、アロマテラピー
伝統言うのは堅苦しく、煩わしく感じる部分もあるけれど、
その伝統的に守られたきた「カタチ」があるからこそ、
間違った方向に進んだ時に軌道修正ができるというメリットがある。


新しいものには新しいものの良さやライトさがあるけれど、
わたしは伝統を継承し、実践できる人生を送れていることは
魂にとって宝だと思っている。


アルケミストとして生きる方向性は、
人生において大きな失敗をしたり、躓いた時に、
他責にしたり、逃避したりするのではなく冷静に、
「どの方向に軌道修正し進むんだい?」と自分に問えるので
人よりももしかすると迷いが少ないのかもしれない。


アルケミストもカバリストも
その智慧は口伝口承で受け継かれてきたもの。
大きなる智慧とメソッドを学び実践をするだけで
ほんと精一杯と思っているけど、


先日、ある人から
「これから継承する準備を始めてください。」とご神託をいただき、
内心「予定より10年早いわ。」と思ったのだけど、
数日かけて咀嚼したら、やはり、そろそろ準備を始める時だと思えた。


これまでもそのエッセンスは伝えてきたけれど、
きちんと継承していくことに腹をくくる時がきたのだと思えた。


人生の転機は、辛いことがあった時にやってくる。
とはよく言ったもので、その転機がやってきた。


今、こうして言葉にして書いてるだけでも、
胸が熱くなって、ぐわっと内側から涙がこみ上げてきそうになる。


わたしはこの感覚を知っている。
新しいステージへ昇る時だ。


これからの自分の歩みを言葉にして残しておきたくて、
ここで日々のあれこれを書き始めようと思う。
あなたもご一緒に気付きと覚醒の旅はいかが?


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