見出し画像

ナウシカに学ぶピュアな思いやり

午前中はケーキ作り、これからそれをデコレーションするという、子どもたち主導の日々が今日も続きます。

その合間に長女とナウシカを見ていました。(次女は珍しく疲れたのかテーブルの下に隠れたまま寝落ちw)

ナウシカは私の一番好きなジブリ映画。初めて見たときから憧れの存在でした。

優しいのにたくましい。誰からも信頼され、愛される。真のリーダーですよね。

幼いながら、メーべに乗れるようになりたくて、プールのはしごで腕を鍛えてたこともありました。(当時お腹を支える茶色のベルトの存在に気づいていなかったので・・・)

ナウシカの思いやりには全く「自分」がない。
蟲たちのために、谷の人の病気を治すために、墜落しそうな飛行船を助けるために、王蟲の幼生を群れに還すために・・・
どこまでもピュア。

そんなピュアなナウシカに憧れながらも、私はかなりひねくれてます。
でもひねくれ者なりに正直に生きようと、40歳にして思うんです。

そこで告白。

私はチャリティが好きではありません。イギリスにいるとこんなにあるのか、というくらいチャリティにあふれています。

テレビ番組の合間にはチャリティ募金のCMが、スーパーやあらゆるお店のレジにも必ず募金箱があり、不要になった服(ただし綺麗な状態のもの)や靴の寄付を募るふくろが郵便受けから入れられたりもします。

学校でも、1ポンドの募金と交換に、私服で登校していいよ、というイベントもありますし、職場では一斉メールで「こんなチャリティ団体のために手作りケーキセールをします!」とか「私はXX団体のためにマラソン走ります!」と寄付を募るメールが送られてくることもありました。

反対ではないんです。

えらいな、じゃあケーキ買おうかな、とも思うし協力することもあります。

でも、頼まれてするところに違和感を覚えるというのが正直なところ。

コロナでのロックダウン後、「キーワーカー」と呼ばれる、医療従事者や、教育機関のスタッフ、生活必需品店舗のスタッフ、物流、配送従事者は仕事も行かなければならないし、その家庭の子どもたちは学校や保育園で現在も受け入れが続いています。

そんなキーワーカーへの感謝を込めて、毎週木曜日夜8時に拍手をしよう、というムーブメントが盛んになっています。

玄関や窓際、庭やバルコニーなどから拍手する。

私はこれにかなりの違和感を覚えます。

ありがたいと思っているし、大変な仕事だと思う。

でも、頼まれてやる「感謝」は本質的に違うと思えて仕方ないんです。

一斉にやることに何らかの目的があるのだろうけど、どうしても腑に落ちない。だから、やっていません。

ナウシカだったら拍手どころかメーベで物資の配達も買って出るかな。
マスクもあるし、やっぱりナウシカ最高だな、と幼い頃のピュアな憧れを思い出しながら、ちょっとときめいた日でした。

読んでくださって、ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?