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愛するという幻燈

自分自身のことを掘り下げてみる。
スコップじゃダメだな。
案外ユンボレベルの重機が要るかも。

愛するということは時に人を傷つける。

…なんて、良く書いてあるよね。あれ嘘やろ。
ホンマに愛するということは人を傷つけたりしない。
もっと水の流れるような淡々とした中の芯の強さみたいなもんじゃないかと思う。わかりにくっ

好きで好きでどうしょうもなくその人と居たい、それが愛に繋がると思っていた時代がある。
永遠だとも思える水平線に愛という名の巨人が何ものにも負けず、りくりく歩くみたいな幻想。

殴られても、酷いことを言われても自分基準の愛してると大好きだったから辛かった。

ここで解答が見える。
「酷いことを言われても」「愛してる」
この相反するような事象に愛をみつけられる自分。(かなりクレイジーだな)
妹なら節子に説き伏せる勢いで言うだろう。

「それドロップやない!おはじきや!!」

ドロップのように甘く見えるけど、実は違う。
それでも口中を滑らさずにはいられないほどの飢餓感。それが当時のワタシ。
どうしてもその人ではいけない理由を作り上げて飢餓感をその人に向けることは
愛ではなく壮大な我儘だよな。うん。
相手にしてみたら迷惑以外の何者でもない。
振り回した方、結婚までしておいてすみません。

愛ではないと猛烈に気付いた瞬間が
娘に暴力が及んだ時だった。
娘が夫に平手打ちされて吹っ飛んだ瞬間に、
私は愛って何かという意味のようなものが過ぎった。
私は娘、息子たちを愛してる。
こんな可愛い存在なんかない。
自分を投げかけようなんてぶつけようなんて思わない。
その大切な存在に、しつけでもなく感情的な「怒り」で手を上げられる。
そこで身を挺して護りたいと思ったのは夫ではなく娘だった。
この子の未来を絶対に守り抜いてやると思った。

本当に愛しているならば相手を傷つけたりしない。その人の大切なものを傷つけたりもしない。
結果的にその場所から子供を連れて逃げた私は夫を傷つけてしまったと思う。

朝も夜も一生懸命働いてくれた。
身体の弱い私にご飯も作ってくれたりした。
子供たちと休みを作り遊んでもくれた。
私の作るご飯を喜んで食べてくれた。
素晴らしい掛け替えない思い出の幻燈も
本当にたくさんある。
彼は彼なりに、良き家庭を築き支えることに懸命であってくれたと思う。
そこには感謝しかない。心からありがとう。

ただ私が大切にしているものと
彼が大切にしていきたいものが
恐らく噛み合わなかったのだろうとは思う。
お互いに機能不全の過程で育ち、成長し
何か噛み合った瞬間はあったものの、
分かち合う私たちではなかったと幻燈を見つめる。

今は娘は結婚して幸せに暮らしている。
幸せかどうかはわからないけど
何が起きても「負けない心」を持つ子たちだ。
嫁入り道具すら持たせてやれなかった私やけど
全員の大学卒業まではとにかく頑張ってきた。

これは愛でしかないな。
愛するってこういうことなんだな。
誰も見ていなくても相手に送り続けていく。

「ママ、私たち姉弟妹を離さずに最後までいてくれてありがとう。どんな貧乏な時も「さあ!何が出来る!」と乗り越えてきてくれたママの笑顔が最強です。ママの娘に生まれてきて良かった。」
 
この言葉だけで一生胸張って生きていける。

水のように流れ、
しかし一つ一つの瞬間はどこまでも力強い。
愛するという末広がりの作業は
やがて素晴らしい幻燈を綴っていく。

夫とは熱病のような時間だったけれど
しあわせな時間をありがとう。

あなたの横にいるのが私でなくて
私の横にいるのがあなたではなくて
お互いに今はふんわりと優しく生きられて
心から良かったと思います。

懐かしい幻燈を見つめながら。