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飲ま飲まイエイ

今日はね、ママの独り言だよ。
だから面白くないから覚悟してて。
あー、もういいや、て戻るボタン押しても構わない(ボタンと書くところが昭和w)
 
いっちばん最初に結婚した時の話だ。
さるちーと呼ぼうか。

さるちーはおんなじ文芸部でさ
当時から「良い文章かくじゃねーか」とマジで思ってた。ま、他にもとんでもない人もいたけど。
そゆひとは今はプロとして活躍してる。
たまにクスリ云々で捕まってはるけど、
色々心の中がイヤになってしまったりするんだろ。知らんけど。
3回生の時かな、「俺、学校やめよか思う」と相談された。天王寺の外れにある西日のパンチがよく効くクッソ眩しいファミレスだったよ。
「え、あと一年やん、なんでさ」と聞くと
「行く意味が見つからないし、そんな金があるなら弟に使ってやってほしいから」
で、辞めた後はどうすんの、と聞いたら
とりあえずお前の家でゆっくり考えよかなと。
まあ、ウチ女子寮やけどクッソゆるいから特になんも言われへんけどさ。

「さるちーは何がしたいん」と私は聞いた。

「ひつじ(私のことだ)は何かしたいことある?」
て返された。
「ピアノ弾きたいに決まっとうやん、ま、あと一つあるけどな」
「なんなん、あと一つって」

「アンタが作家になるのを傍で支えることや」
ていうたら、さるちーは半泣きになったのかブッ刺さる紙ナプキンで鼻を拭きはじめた。
「俺な、ツレに作家になりたい言うたらや、
はぁ、頭おかしいんちゃうん?て言われたわ」

さるちーは下を向いてしまった。
「でもな、俺は物書きで食っていきたい」

ええやん。アンタは書く人やで。
どうしょうもなくなったらアタシが働いたるわ。
そう言うと
「ひつじはそういうと思ってた」と笑った。

しかし働かなあかんし、ごはんは必要やから
ウチのオトンの会社で働く?
某ゼネコンの直受け会社で30階以上のビルとかの揚重やってるけど、高所恐怖とか無いな?
給料はそこそこある。けどさるちーと真逆の体育会系や。かまわん?
「俺が直接お願いしに行く。」

物書きになる、て言うたあの時の彼の目を私は一生忘れへんと思う。
今考えたら、そんな一瞬を共有できたことは
かなり幸せやったんやろな。

お互いの感性や価値観の大きな違いが山となり
私たちは30歳を前にして離れたけれど

物を描いてるさるちーが見えている限り
本当に嬉しかった。
この人は書かなあかん人やと、
生活のためにどんな仕事を選んでいる時も
そう思っていた。

支えられたかどうかはわからない。
でも、あの時に物書きで食っていきたいんやというさるちーや
某大手広告代理店に合格を頂いた時に、築40年近いマンションの六畳一間で床を踏み抜くほど飛び跳ねてダンスを踊った時のさるちーや
そんなステップに途中まで携われたことは
幸せやったんやなと思う。

貴方が書く作品の風景が私の記憶の風景と重なる時に、

確かに共に生きていた、て懐かしく思い出す。

アンタの次女はロシア文学を極めて公務員になったよ。
アンタの三女は美術を極めて美大を卒業したよ。

長女は今ごろアンタに文句言うてるかもな 笑
人を無縁仏にする気かよ!て 笑
でも、アンタが腹に触るごとに飛び跳ねてた子だから、多分今頃そばを離れないやろ思うてる。

さるちーが長女を抱きながら、小さなお骨を拾いながら、泣いてたのも見てたやろからな。
優しいパパや、てことは皆んな分かってるよ。

物書きとして生きて、物書きとして召されて
そしてその書き物は永遠に貴方を刻む。

さるちーの好きやったバーボンで
今日は一人飲みや。

今日のお店はおしまい。