超える。
実は私は電車に乗れない。
もうかれこれ32年くらいになるから
乗らなくても済む生き方を歩いてる。
不便さも感じない。
そういうものだから仕方ないと、
自分の一部として扱ってる。
始まりはストレス(だと思う)
電車に乗る、歩く、立つ、全てが恐怖でしかなかった。
こんな自分ではなかったことに、
当初は悩み、泣き、もがいた。
でも今なら思うのだよ。
私は動きたくなかった。
止まることを許して欲しかった。
いや、私が私であることを許して欲しかった、
んだと思う。
心ってのはキャパ以上の負荷がかかると
身体を動けないようにするんだなぁ、て。
好きな人がいて、その人に合わせて合わせて
自分を無くすくらい大好きで
同化したいかのように自分を消して負荷をかけて
ある日、キリキリとねじり続けたゴムが
ぽん、と切れたんだろうな。
自分が嫌だと思うことをしなくて良い理由を無意識に体が作り上げてくれた。
本人は苦しくて仕方ないんだけどさ。
不安神経症、鬱病、様々な病名がつき、
それなりの薬を5年間大量に貰った。
私が出口を見つけたのは、簡単なことだった。
「私は私でしかない、これも私なんだ。
誰も認めてくれなくても、私が私を認めてやればいい。誰に嫌われようと離婚されようと、私が私でいることの方が一番大切なんじゃないか」
私が私であることを認めてくれないことに
時間や自分を費やす必要はないと思う。
さまざまな分岐を経て
閉塞感、
自分で制御できない速度や高度への恐怖。
年輪を重ねていままだ残る。
少しずつでいい。
何があっても、
チョコがどれだけ取り乱しても僕がいるから。
ゆっくり私の手を引き
乗れなかった高層階エレベーター、
乗れなかった観覧車、
足がすくんだスカイツリーのエレベーター
過呼吸になる私を支える手は
いまも
私の人生を支えてくれる。
遠く続く線路。
鈍行でも新幹線でも
私が私でいることを喜んでくれて
私が超えていくことを共に喜んでくれる
キミに支えられて
また支えて
32年分の自分を超えていける。
ありがとう、相方よ。