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「旅の鳥・*・第二部」

第3章 「海辺の祝砲」

その後、ポーは街を飛び回り、木が教えてくれたあの歌を忘れてしまわないように、繰り返し頭の中で歌い続けた。

歌いながら、街中にいろいろな色を発見して、「美しい光」や大切なものの意味について考えてみたが、考えれば考えるほど謎めいて、魔法の歌に思えて来た。

そして、街の木が言っていた「聞いてくれるものがいなくなったから」、「歌いたいという心を失ったから」という言葉を思い出すと、ポーは胸が苦しくなるような悲しい気持ちにもなった。

「この歌を最後まで聞くことが出来たら、なにかもっとわかることがあるはずだ…。」

そんなふうに、ずーっと歌の事を考えながら飛んでいたので、ポーはいつの間にか方角を見失っていることに気が付いた。

これはいけない、駅舎へ戻ろう、と思い、とりあえず近くにあった低木の若いヒメリンゴの上で羽を休めた。

辺りを見まわすと、ヒメリンゴの木の周囲には円形に並ぶ花壇があり、三色スミレがきれいに列をなして咲いていた。

また花壇を囲むように草むらが広っていたのだが、その茂みの中から、ちらっ、ちらっ、とそれまで見たこともない不思議な色の光りが、ポーの目に飛び込んで来た。

ポーはその不思議な光が気になって、吸い寄せられるように、草むらへと舞い降り、群生する半夏生のやわらかい葉の上にふわりと降り着いた、その時だった。

茂みの陰から、突如、猫の鋭い爪が自分をめがけて飛び掛かって来たのだ。

ポーは慌てて、真横へと飛び退き、低空飛行のままで草むらから抜け出すと、そこは先ほど上から眺めていたあの大通りで、自動車が往来する道路に飛び込んでしまったのだ。

「…街では余り低い場所に降りてはいけないよ、いろいろな危険があるからね。」

ポーは兄の言葉を思い出し、必死に羽をばたつかせて、体制を立て直した。

そして行き交う車の間をすり抜けて、出来るだけ高く、高く飛び上がった。

その後はしばらく、ポーの頭の中は真っ白になってしまい、どこをどう飛んだのかわからないまま、とうとう夕ぐれが来てしまった。

ポーは街から離れた高台にムクロジの木を見つけ、その細い高枝に降り立ち、初めて家族と離れたった一羽で、知らない景色の中に身をすぼめた。

恐らくあの時、猫の持つ眼の魔力で、ポーは草むらへと引き寄せられてしまったのだろう。

身体は震えていたが、とても疲れ切っていたので、程なく、ポーはぐっすりと眠り込んだ。

これが、彼の旅の始めの一夜だった。


次の朝、目が覚めると、ポーは自分がいる場所から緑の谷の方角を確かめるために、周囲の四方を飛んで回った。

ちょうど辺りを一周りしかけたところで、ポーは、とあるカラ類の鳥の群れと出会った。

群れの一羽に、思いきって話しかけた、すると

「おや、緑の谷から来たのかい、兄弟たちは元気かい?」

それは、巣立ちをして別の群れで暮らしていたポーの兄弟の一羽だった。

兄は自分のお嫁さんを紹介してくれた、ぷっくり太ったきれいな兄嫁だった。

「それにしても、どうしてここまで来たんだい?

それに、方角が知りたいとはどういうわけだい。」

ポーは尋ねられて、兄にこれまでのことを説明した。

妹が生まれて、母鳥がこの世から去ったこと、父から教わった木の歌のこと、群れに残って暮らす兄さんが街の大木を教えてくれたことや、その木から教わった歌の続きも、すべて兄夫婦に話した。

「へえ、そんなことがあったのかい。

母さんが好きだった歌の話は、聞いたことがなかったけれど、それにしても、街の大木と話が出来たなんて、それも木の歌まで聞いたとは、すごいぞ、ポー、お前は大したもんだ。

そんな話は今まで聞いたことがなかった。」

兄にあまりに感心されて、ポーは驚いた。

そして兄嫁まで、ポーのことをほめてくれた。

「私もそんなお話、初めて聞きました、ポーさんはすばらしいですね。

お母さまが大好きだったというその歌のお話、お母さまにはもう会えないのなら、なおさらに、私もその歌の続きが気になるわ。

ねえ、ポーさん、歌の続きを知るために、これからどうなさるのですか?」

きらきらした目でそう尋ねられて、ポーは、緑の谷に帰りたいとは言えなくなってしまった。

それに、木と話をしたことがこんなにもすごいことだとは思わなかったし、やはり歌の続きが気になっていた。

「街の大木は言っていました、あの歌は大切な木の祭の時の歌だった、と。

そう言われても、よくわからないのですが、木の祭とは一体何なのでしょうね?」

「木の祭か…、そう言えば、街や海辺でよく人間たちが、歌ったり踊ったりするのを見たことがあったなあ。

あれを祭というんじゃないのかな。」

「でも、あなた、それは人間の祭でしょう、木の祭となると…、そうですねえ、街の大木よりもっと年寄りの古木に話を聞いたらわかるのかしら。」

すると、兄が思い出したように話を続けた。

「そうか、そういえば海岸沿いをずっと北へと行ったところに『北の岬』があるが、あそこにはかなり年寄りの古木があったはず。

でも、そこまで行くには、ここからだと数百キロは離れているけれど、そんな遠くまで行く気はあるかい?」

「ポーさん、古木に会いに行かれますか?」

兄夫婦にそう尋ねられ、ポーは迷わずに答えた。

「はい、行ってみます、父さんも、話のわかる古木に聞けば何かわかるだろうと言っていましたし。

教えてくださってありがとう、その古木に会いに行ってみます。」

弟のきっぱりとした決意に心を打たれてか、兄夫婦はその日、近くで一番おいしい木の芽が取れる枝へとポーを連れて行き、たっぷりと栄養を与えてくれた。

そして一晩、同じ木で休んでから、翌朝、出発する前に、こう教えてくれた。

「とにかく東へと向かって飛べば、じきに海岸へ着くだろう。

そして海岸に着いたら、北へ向かう前に、少し北西へ飛ぶと良いさ、小高い丘が見えて来るはずだ。

そこにはたくさんの木が生えていて、食も取れるだろうし、きれいな小川もあるんだよ、一度そこで休憩すると良いよ。」

「まあ、あの丘のことですね、なつかしいわ。

そこを『楽園』と呼ぶ鳥もいて、わたしたちはそこで出会ったのよ。
あそこに行けば、ポーさんにもステキな出会いがあるかも知れませんね…。

そして、古木の話を聞くことが出来たなら、ぜひ私たちにもそのお話を、聞かせてくださいな。」

「谷合の兄弟たちには、私からお前のことを伝えておこう。
無事を祈っているぞ、ポーよ。」

「ありがとうございます、お兄さん、お姉さん。」

そして、ポーは誇らしい気持ちになって、海岸へと勢い良く飛び立った。


そこから一日、二日飛んだのでは海岸に着かないことは、兄さんから聞いてわかっていた。

でも、どうしても知りたくなった歌を探る旅は、もはや、自分独りのものではない、その思いがポーを勢いづけた。

兄さん、姉さんたち、妹にも、そして父さんにも、歌のすべてを聞かせてやりたい、そんな願いが心の底から湧き上がってくるように感じられた。

街の大木が教えてくれたところまでは、もう決して忘れることはないというぐらい、すっかり自分の歌のように覚えてしまった。

心の中であの歌を歌っていれば、独りきりの夕暮れも寂しくはなかった。


数日後、ポーは初めて海風の匂いを嗅いだ。

その匂いは、東へ飛ぶほどに強くなり、同時に風も強まってきた。

はじめて嗅ぐ海の匂いに、ポーの気持ちはこれまでになく高ぶった。

次第に、息をするだけでお腹が満たされるような気分になって来た。

そして、防風林の最後の木立を越えたところで、見たこともない世界が目の前に広がった。

「これが海…。」

ポーは自分の興奮を抑えきれずに、上へ下へ、また上へ下へと、意味もなくジグザグと舞い飛んだ。

次第に翼が重くなり、おりからの強い風にあおられて、ポーは防風林に押し戻され、近くの枝にしがみつくようにして止まった。

心臓の鼓動は高鳴って、息をするのが苦しいくらいだったが、同時にうれしさが込み上げて、ポーは叫び出したい気分になっていた。

ポーは水平線が見渡せる高枝へと飛び移り、広がる海を見つめながら鳴いた。

トゥルル ピー トゥルル ピー トゥルルル ピー ピー

すると、ポーのさえずりに、別の音が重なって聞こえて来た。

タンタタターン トゥルトゥトゥトゥー ピュートゥルピューピュー

ドドドンドンドン


近くで音楽が鳴り響いたのだ。

ポーにとってそれは、はじめて聞く人間の楽器の音色だった。

それでなくても、海に着いたうれしさでいっぱいだったところに、鳴り響く音楽は、まるで自分を祝福してくれているようで、ポーは迷わずに音の鳴る海辺へと近づいて行った。

海辺には大きなステージが建てられていた。

ポーはその時、それが何のための建物なのかはよくわからないまま、屋根のてっぺんに止まり、辺りの様子を見渡した。

そこには大勢の人間たちが集まっていた。

はじめて聞く音楽は、ステージの内側から響いていたが、中の様子は屋根の上からでは見ることが出来なかった。

一方、近くの砂浜では、海鳥たちが群れをなして、人だかりに近づいたり離れたりしているのが見えた。

ふと、海鳥たちの群れへと人間がなにかをまいた、海鳥は一斉にそこへと飛び込んで行き、必死になってそれを啄んで食べていた。

その様子に、ポーは自分もお腹がすいていることに気がついた。

すぐに砂浜へと降りて行くのは、怖さがあってためらわれたが、好奇心と空腹感には逆らえず、ポーは屋根から飛び立ち、海鳥たちが群れている砂浜の近くへと降り立った。

ポーの神経は高ぶって、トサカの毛はいつもより高く立ち上がっていた、そして右に左に、周囲を何度も見回しながら、少しずつ、少しずつ、人だかりに近づいて行った。

海鳥たちは人間へのおねだりに夢中で、ポーが近づいて来ることなど何ら気に留めていない様子だった。

見回すと辺りには、スズメやチドリ、ハトやイソシギなど、たくさんの鳥たちが集まっていた。

「それーい。」

歓声を上げて、人がまたなにかを宙にまいた。

一斉に海鳥が飛び掛かり、その周りで小鳥たちがおこぼれに預かろうと走り寄る。

その様子をおもしろがって、意地悪くも、鳥の輪の中に駈け入る子供がいた。

「わーーーーい。」

バサバサバサバサ

鳥たちは一斉に四方へ飛び退き、ポーも慌てて後ろへと飛び退いた。

「ハハハ、逃げた、逃げた。」

「こら、ぼうや、そんなことをしては、鳥がかわいそうだ。

おわびに、このパンくずをあげなさい。」

大人たちに怒られて、その子が、今度はもっとたくさんのパンくずを、一気に宙高くまき散らした。

それ来た、と言わんばかりに、海鳥も小鳥たちも一斉にパンくずの中へ舞い戻る。

「これで許してもらおうな。」

大人に頭をなでられて、坊やは大きくうなずいた。

鳥たちの輪の中で、ポーもまたパンくずを必死に啄んでいた。

初めてのその甘い味わいに、もっと食べたい、もっと食べたい、としばらくの間、ポーはパンくずを拾い歩いた。

そこに、楽団の音楽が鳴り響いた。


パーッパパパパーン ドドドンドンドンドン


ラッパと太鼓の音が高らかに響き渡り、人々が一斉にステージの方へと向かって行く。

何かが始まるようだ。

そのザワツキに、気の早い鳥たちは砂浜から飛び去り始めたが、中にはまだ食べることに夢中になっているのもあり、ポーは辺りを警戒しながらも砂浜に残っていた。

すると、近くのチドリのつぶやきが聞こえた。

「さっき、あそこで兵隊たちを見たよ、列になって立っていた。」

別のチドリが言った。

「へえ、兵隊かい、なんで兵隊いるんだい?」

「わからないけれど、皆そろいの制服を着て立っていたよ。

でも、やけにのんびりとしているようだったけれど…。

見に行ってみるかい?」

「よし、見に行こう。」

そして二羽のチドリは浜辺から、ステージの奥へと飛び立って行った。

ポーはそれを聞いて、兵隊が何かはよくわからなかったけれど、特別な人がいるらしいことはわかったので、自分もそれを見てみたくなった。

そして、これ以上パンくずを探すのはあきらめて、チドリたちが飛んで行った方向へと、飛び上がった。


パーッパパパーン ドドドンドンドン

ダンダダダダン ダンダダダダン…


ポーが飛び上がるや否や、楽団の音がまた高く鳴り響き、兵隊の一群がステージの脇へと進行して来た。

そして、全員がステージの脇にピタッと整列をした時だった。


ズドン ドン ドン ドン …

空高く空砲が鳴った。

それは、終戦記念日を祝う祝砲だった。


バサバサバサバサバサ…

空砲に驚いた近くの鳥たちは、一斉に浜辺から飛び上がり、出来るだけ遠くの空へと飛び去って行った。

そんな中、一羽の小鳥が、スーーー ドサッ と、空から兵隊の列の真横に落ちて来た。

それを見た一人の若い兵隊が、とっさに、列の最後尾から駆け寄り、ぐったりと砂の上に横たわる小鳥を拾い上げると、周りに気づかれないように、素早く静かに列へと戻って行った。

その小鳥は、なんと、ポーだった。

ポーは、兵隊を見ようとステージの上に差し掛かった時、真下で空砲が鳴り、凄まじいその音に全身が射抜かれるほど驚いて、気を失ってしまったのだった。

ポーを拾い上げた青年は、大事な戦勝記念の式典で、列を乱す動きをするなんて、見つかったら後で上官から怒られるかも知れなかったが、それはとても素早い動きだったので、その時は誰にも気づかれることなく済んだ。

もし、この青年の思い切った行動が無かったら、ポーは行進する兵隊の下敷きになって、押しつぶされていたかも知れなかった。

青年は、小鳥の身体がまだ温かいことを確かめてから、そっと自分の制服の胸元へと、小さなポーを押し込んだ。

実は、青年が気絶する鳥を見たのは、これが初めてではなかった。

以前の式典でも、祝砲が鳴った直後に、やはり気絶した鳥がいたのだが、運悪く、気性の荒い兵士に見つけられたその鳥は、軍靴で砂浜から蹴り上げられて、よろよろしながら気を取り戻し、ふらふらと飛び去って行った。

その時の光景が心に痛みとなって残っていたこともあり、青年は、空から落ちて来るポーの姿を目にした時、とっさに助けてやりたいという気持ちになったのだった。

ポーは気を失ったまま、青年の胸の中でぐっすりと眠っていた。

式典は、お偉いさん方の長いお話や、村のダンサーたちの余興を終えて、最後に、楽隊に合わせた兵隊の行進となった。

タラタッタッタ タラタッタッタ

ザッ ザッ ザッ ザッ…

兵隊たちは音楽に合わせて、列を寸分も乱さず、足を高く上げながら行進し、ステージの前にピタッと一列に並んだ。

ちょうどその時、あの青年の胸元で、やっと目を覚ましたポーがもぞもぞと動き出し、居心地の悪さに、制服の胸ボタンの隙間を抜けて、慌てて空へと一直線に飛び立った。

「おおっ、鳥が出たぞ!」

偶然の演出に、見ていた観衆からは拍手と歓声が上がった。

何が起こったのか動揺する一団の中で、青年は一人恥ずかしそうに、はにかみながらうつむいた。


残念ながらポーは、命の恩人である青年の顔は全く覚えていなかったが、あの時、彼の胸の中で感じた、温かく包み込む、ユリの花のようなやさしい香りは、いつまでも忘れることはなかった。

自分が学び続けることで、少し誰かのちからになれたら…。小さな波紋もすーっと静かに広がって行く、そんなイメージを大切にしています。