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「旅の鳥・*・第三部」

第4章 「楽園の丘で」

海辺から北西へ飛び、「楽園」と呼ばれる小高い丘に辿り着くまで、半日もかからなかった。

初夏の天候に恵まれ、穏やかな風の日が続いていたし、ポーにとっては、翼に一番力が入る頃だったこともある。

緑豊かに生い茂るその丘が見えて来ると、たくさんの鳥の声も近くなり、そこが「楽園」と呼ばれる地だということが、すぐにわかった。

丘の斜面は、厚手の葉を四方へと伸ばすシダ植物で覆われていて、木々はひしめき合うようにぎっしりと、空に向かって様々な緑色の葉をひらめかせていた。

ポーが慎重に木々の間に分け入ると、風を受け、さわさわと葉が擦れ合う音が辺りに響き渡り、オナガドリやムクドリのいななき、メジロの鳴き声、シジュウカラのさえずり、カラスの鳴き声まで、多くの鳥たちの声が幾重にも重なって聞こえた。

ポーは、木々の間を飛びながら丘の中腹まで来ると、その辺りではひと際高く広く枝葉を伸ばしている楠木の一枝に、逆さになってしがみ付くように止まった。

枝は丸く曲がった形で空へと突き出ていて、両足でしがみ付くとゆらゆらと揺れたが、ポーは気にせずに頭を下にして、首をきょろきょろ回しながら、この丘の全体の様子を見回した。

地上をよく見ると、脇の方には遊歩道が張り巡らされ、広場もあり、散策する人間の姿がちらほらと見えた。

また、リスやムササビなど、素早く木から木へと移り行く動物たちの姿もあった。

そして、丘の中央の奥まった方へと目を向けると、大きな沼池があるのがわかり、そこへ何筋かの小川が流れ込んでいて、水面がきらきらと陽に輝いていた。

ポーが逆さのままで丘の光景に見入っていると、急に、頭の後ろから声が聞こえた。

「この小さな鳥は 見慣れない毛並みをしているな

エナガでもなく シジュウカラでもなさそうだ…」

ポーはとっさに振り返り、声の主はこの楠木だと感じたので、幹の中央に向かって、姿勢を直してから、答えた。

「はじめまして、わたしはヒガラですよ、仲間にはポーと呼ばれています。」

すると、楠木が震えたような声を出した。

「なんと! この小鳥 まさか わたしに答えたのかな?」

「はい、そうです、あなたはクスノキですね。」

「もちろん わたしはクスノキだが しかし

この小鳥は なぜ返事をして来るんだ?」

「あのー、あなたから声を掛けられたので、それで返事をしたのですが、他のヒガラたちは、あなたに返事をしないのでしょうか?」

「なんと この小鳥はおかしなことを言うもんだ

ヒガラばかりじゃない ヤマガラだろうが ハトだろうが どんな鳥であれ

木に向かって返事を返して来る鳥は めったにいるものじゃない

いやはや 確かに 鳥の中には わたしの声が聞こえるのも

たまにはいるようだが しかし 小鳥よ

こちらに返事を返してくる鳥は めったにいないものさ」

そう聞いて、ポーは驚いた。

「この丘にはこんなにたくさんの鳥達がいるのに、みんなどうして返事をしないのでしょう?」

すると楠木は少し黙って考えてから、こう言った。

「それは おそらく 鳥達は鳥達のことしか考えていないからだろう

木に向かってなにか返事をしようとは 思わないのさ

それに本来 木の波長と鳥の波長は違うもの

ということは この小鳥は 鳥より深い木の波長を受け取れるのだろうか

以前にもそういう鳥がいたが あれはどれぐらい前だったかな

あれは何という鳥だったかなあ…」

ポーには楠木の言っていることの意味は良くわからなかったが、しかし、返事を返されてとても驚いているらしいことはよくわかった。

そして楠木はこう続けた。

「木と話す鳥がいたなんていうのは それこそ 昔のことさ

でもまあ 木の方だって 鳥と話す木なんてのは

近頃ではわたし以外に どこを探してもいないだろうがね」

そう聞いて、ポーは街の大木を思い出した。

「あのー、つい先ごろなんですが、街の大木と初めて話をしました。
そして、その大木から木の歌を聞かせてもらいました。」

すると、楠木は再び驚いて言った。

「なんだって 街の大木と話をしたのかね

まあ 中には話のわかる木もいるだろうが

でも めったにいるものじゃない それはとても貴重なことだ

木と鳥が話すということは お互いの波長を合わせるということだから

もしもそれが出来てしまうというならば

小鳥よ ポーといったかな 君は他の鳥よりも

深い波長を持っているということになるな

木の波長は鳥の波長よりも深いものだからね

そして わたしの方は 他の木よりも

高い波長を持っているということになる

鳥の波長は木の波長よりも高いものだからねえ」

ポーには、その波長の話にあまり興味が持てなかったのだが、楠木がまるで自分を納得させるように話しているのを、じっと聞いていた。

「それに ポーよ 大木から木の歌を聞いた と言ったかねえ

なんだかそれは信じられないような話だ

わたしは それはそれは長いこと ここに生きているけれど

木の歌なんていうものは もうしばらくの間 聞いたことがなかった

昔々は そういえば そんなものが

あったような 無かったような…」

その言葉にポーは、この楠木に尋ねても歌の続きを教えてくれることはないだろう、と悟った。

そして、別のことを質問してみた。

「あなたは、ここからずっと北にある『北の岬』を知っていますか?」

すると楠木は言った。

「ああ 北の岬かい そこは確か

以前は『聖地』と呼ばれていたところだったかなあ

海から渡り鳥たちがやって来た時に

そこの話をしているのを何度か聞いたことがあるよ

あの辺りの岬は ある時人間たちの戦いに巻き込まれてしまって

その後 すっかり姿が変わってしまったそうだ

今ではごつごつした岩だらけで 波は高く

昔の面影はもうすっかりないようだ」

「そこには今でも、古木がいるのでしょうか?」

「北の岬の古木のことかい そりゃあ いるだろうよ

あの木が倒れたなんて話は聞いたことがない

それにしても 荒れた海辺の岬に立つ木々には

こことは違って いろいろと苦労も多かろう

それに比べれば この丘は幸いかな

木にとっても 鳥にとっても 正に『楽園』

ここは良い 実に良い…」

この丘のことを心から愛している、そんな楠木の思いが伝わって来た。


トゥー ピー トゥー ピー トゥートゥー ピー


急にすぐ近くで鳴き声が聞こえ、いつの間にかポーの隣の枝に、自分と同じ年頃のヒガラの姿があった。

「やあ、はじめまして、わたしはウィルと呼ばれています、あなたとは初めてお会いしますね!」

『ウィル』と名乗るそのヒガラは、少し興奮気味に話しかけて来た。

「どうもはじめまして…、わたしは、ポーと呼ばれています。」

そう返事をすると、ウィルは急に、残念そうな声で言った。

「あれ、君はもしかして、オス鳥?」

「もちろん、そうです。」

「何だ、失礼、間違えた、若いメス鳥かと思ったよ。
それにしても、君はキレイな毛並みだねえ。

いつからこの楽園に来たの?どこから来たの?気に入ったメス鳥にはもう出会ったかい?」

ウィルが次々と質問を浴びせかけて来たので、ポーは、自分がまだこの丘には着いたばかりで、今まで楠木と話をしていたことを伝えた。

「ええっ、君って木と話が出来るの?どういうこと?どうして?どうやって?」

「それが、自分でも良くわからないのだけれど…。

クスノキは、鳥と木が話すには、深い波長と高い波長とがあって、それを合わせるとか言っていたから、つまり、そういうことなんだと思うけれど。」

「ボクにはよくわからないなあ…。」

ウィルは小首をかしげたが、ポーにも、実のところその意味は良くわかっていなかった。

そして、二羽は一緒に、目の前の楠木の幹をじっと天高くまで見上げた。

木は優雅に枝葉を揺らしていたが、とても静かだった。

ポーは、急にウィルに話しかけられて、調子が狂ってしまったのか、楠木の声がそれ以上は聞こえなくなってしまった。

「それで、この木は、今、何て言ってるの?」

「いや、今は何も言っていないようだけれど…、ついさっきまでは、『北の岬』の話を教えてくれていたんだ。」

「へえ、そうか、ボクが急に現れたから、木はびっくりしてしまったのかな?それにしても、ポーくん、君はなかなか面白いやつだな。

まだこの丘に着いたばかりならば、ボクが案内するよ、ついておいで、水浴びに小川へ行こう。」

ポーは、本当は、まだ楠木の話の続きが聞きたかったのだが、木はただ静かに揺れるだけになっていたので、これまで話を聞かせてもらったことに、会釈でお礼をしてから、ウィルの後に付いて小川まで飛び立った。

それから数日間、ポーはすっかりウィルと仲良くなって、一緒に水浴びをしたり、餌を探したり、寝床を確保したり、二羽で楽園の丘を飛び回って過ごした。

そして、いろんな話もした。

ウィルは、ポーがこの丘に辿り着くまでの話や、木の歌の話をすると、それをとても面白がって聞いた。

また、お互いの家族の話にもなったのだが、実は、ウィルがポーに話しかけたのは、ポーが自分の妹にとてもよく似ていたからだと言った。

ウィルは、大好きな妹にまた会いたい、会いたい…、と度々思い出しては、大きな声でさえずった。


トゥー ピー トゥー ピー トゥートゥー ピー


小川のほとりに並ぶケヤキの枝で、ウィルがまた大きくさえずった時、どこからか、メスのヒガラが三羽、同じ木の枝近くまで飛んで来た。

突然の来客に、ウィルは急に目を輝かせ、興奮気味に話を始めた。

「やあ、皆さん、どうもはじめまして、お会い出来て光栄です。

わたしはウィルと呼ばれています、隣にいるのはポーくんです。

皆さんはいつからここにやって来たんですか?」

すると、メス鳥の一羽が返事をした。

「あら、ウィルさん、わたしは初めてではないわよ、お隣の方とは初めてお会いするけれど、ポーさんというのね、わたしはリューイ、よろしくね。」

「ああそうだ、リューイ、また会えたなんてうれしい限り。

それで、そちらの方たちは?」

ウィルが尋ねると、他の二羽は恥ずかしそうに顔を見合わせた。

そしてリューイが間に入って紹介をした。

「隣にいるのはルピ、向こうはメリよ、この丘に来て間もないの。」

「それはそれは、どうも、お会い出来て良かった。

こちらのポーくんも、まだこの丘に着いたばかりだったので、ボクが案内をしていたんだ。

そうそう、このポーくんはね、ちょっと面白いやつでね、木と話が出来たり、木の歌を知っていたりするんだよ、すごいだろう。」

ウィルがそんなふうに、ポーのことをまるで自慢するように紹介したので、メス鳥たちも面白がって、ポーを見た。

「木の歌?それってどんな歌なの?聞いたことがないわ、ねえ。」

「面白そう、聞いてみたいわ。」

「そうだな、ボクも一度聞かせてもらいたいよ。」

ポーは、先ほどから黙ってウィルたちの会話を聞いていたのだが、皆から急に歌を聞かせて欲しいとせがまれて、緊張しながらも、思い切って歌ってみようと思った。

「じゃあ、はじめましてのご挨拶代わりに、歌います、わたしが知っている木の歌です。」

そして、ポーは歌い出した。


― この星は かつて 美しい光に溢れていた

  天も地も それぞれの 美しさを誇っていたのに

  いつからか 美しい光は どこかに隠れてしまった

  大切なものは ついにどこかに秘めてしまった

  彼らは 遠く離れたところで 静かに輝きながら

  この星を思い 歌いつづける

  いつまでも この星を見つめたまま 歌いつづけている ―


ポーは、自分が知っているこのフレーズを、気が済むまで何度も繰り返し歌った。

気付くと、辺りにはカラ類の鳥達が集まって来ていた。

皆、うっとりとポーの歌に聞き入っていた。

「とても不思議な歌、でもステキな歌ね。」

先ほどはもの静かだったメリが、歌い終わったポーに話しかけて来た。

「それはどうも。」

「不思議な歌だけど、ポーさんの透きとおった歌声が、この歌にとてもよく合っているわ、聞かせてくださって、ありがとう。」

「こちらこそ、聞いてくれてありがとう。」

ポーは心の中が温かくなるのを感じ、メリにそう返事をしながら、街の大木が言っていた、『聞いてくれてありがとう』という言葉の意味をかみしめた。

そして、メリとはもっといろいろな話がしてみたい、と思った。

メリもそう感じているようで、二羽はしばらく見つめ合っていた。

すると、「おい、お前、さっきの歌は一体何だい?」

近くまで来ていたヤマガラのオス鳥たちが、ポーに向かって急に話しかけてきた。

威圧的にそう尋ねられ、ポーが黙っていると、代わりにウィルが返事をした。

「あれはですね、このポーくんが、木から教わった木の歌で、ポーくんは木と話が出来るんです、木と波長が合うんようですよ、不思議なことに。」

ポーは、ウィルがそう話すのを聞いていたが、何だか嫌な予感がした。

目の前のヤマガラたちが、自分に決して好意を持っていないことは明らかだった、そして、ポーの予感は当たっていた。

「木と話が出来るだって?何を言っているんだ!どういうことだい?」

ヤマガラたちは口々に言った。

「変なやつだな。」

「作り話じゃないのか。」

「あれが本当に木の歌だというなら、もう一度歌ってみてくれよ、さっきと同じように歌えるはずだよな。」

彼らは挑発的に言いながら、まるで完全にでたらめだと思っているようだった。

ポーは彼らにそう言われて、頭の中がメラメラと燃えるように熱くなった。

しかしそんなポーを、隣にいたメリが心配そうな目でじっと見つめるので、ポーは気を落ち着かせながら、メリのためにもう一度歌おう、と決めた。

そして、先ほどよりも一層丁寧に、ゆっくりと、心を込めてあの歌を歌った。

皆が静まり返ってそれを聞いていた。

ポーが歌い終わった後、辺りを包む妙な空気はまるで、そこにいた全ての鳥が心を揺さぶられたことを物語っているようだった。

「本当に不思議な歌だわ、今まで聞いたこともない歌なのに、どこかで聞いたことがあるような気もして来る…。」

メスの一羽がそうつぶやくと、その言葉をかき消すように、ヤマガラのオス達が話し始めた。

「意味がよくわからないなあ。」

「そうそう、意味がわからない歌ほどつまらないものはない。」

「それに、鳥には鳥の歌ってものがある、何でこいつは木の歌なんかを歌うんだ。」

「まったく同感だ。」

ポーはヤマガラたちからそう言われて、彼らの事を黙って見つめた。

その目の奥には、今まで味わったことのない、深い怒りが込められていた。

すると、ばつが悪くなったのか、ヤマガラの一羽が急に話を変えて、メス鳥たちに話しかけた。

「ねえ、君たち、向こうの小川の松の木に、おいしそうなムシがたくさん出たのを見つけたんだ、案内するよ!」

一羽のオスが大きくいなないて誘った。

ツー ピピピン ヒューヒュー ピピピン

彼らは、小川の向こうへと飛び去って行った。

そして、困った様子のメリ達を残して、ポーは何も言わずに、反対側の空へと飛び立った。

「あれ、ポーくん、どこへ行くの?」

ウィルが途中までポーの後をついて来たが、ポーはそんなウィルを振り切るように言った。

「これから北の岬に行くんだ、そしてまた、必ずここに戻って来るよ。」

ポーの言葉に、ウィルは寂しそうだったが、自分はしばらくこの丘にいるので必ずまた会おう、と言って、丘を去るポーの後姿を見送った。

ポーは、しばらく振り返らずに北へ北へと進み、数日が過ぎて行った。

自分が学び続けることで、少し誰かのちからになれたら…。小さな波紋もすーっと静かに広がって行く、そんなイメージを大切にしています。