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我々はどこに向かっているのか…

・ウェルビーイングを学ぶ理由

 人生も半世紀の坂のてっぺんが見える辺りまでやってくると、紆余曲折、成功体験あり失敗や反省もあり、いつしか自分に搭載された「望遠鏡」と「ミクロスコープ」が同時に発動され、大局観と刹那感が共存する心理状態が当たり前のものとなりつつあります。
 そして、一人で生きているという感覚は薄れ、いろいろな人の影響や力を受けながら、また自分もなにがしかを発しながら、つながり合って生きている、と深く感じられるようにもなりました。
 ウェルビーイングについて本格的に学んでみたいと思い始めたのは、その感覚をベースに、新たなアクションにつなげようと考えたからです。

・二つの感性のベクトル

 ウェルビーイングについての学術研究では日本屈指の前野隆司先生が主催される幾つかの勉強会に参加していますが、年齢も所属も違う修学者がそれぞれのペースで学び合い、探究を共有し合いながら、「自他のウェルビーイングを向上させ、社会全体のウェルビーイング実現につなげる」という先生の信念に貫かれた非常に心地の良い社会教育の場がそこでは成り立っています。
 そして、痛く実感させられたことは、ウェルビーイングを意識して志す人が獲得する感性の成長とは対極に、社会の中で「個人主義」や「自己保身」を第一義として生きている人が獲得する感性の発達がある、ということです。

 前者が組織を形成した場合、個々人がモチベーションや個性を尊重し合うようなティール型組織も目指せるでしょう。
 そしてもし後者が支配する場があれば、ことあるごとに他者非難や評価のディスカウントが繰り返され、無自覚の内に権力の誇示を目的とした権限者の理不尽な言動も、日常的に起こり得るはずです。
 新自由主義が放任され、個人主義や自己保身第一義の感性を研ぎ澄ませながら成功を収めてきた人達によって社会が牛耳られているのだとしたら、それは望むべき世界の姿でしょうか?

 私たちは、どこに向かっているのでしょう?

 ウェルビーイングについて学べば学ぶほど、以前の職場では上長の判断に違和感が拭えない場面も増え、体調の悪化やコロナショックの時流も受けて、転職する機を得ました。
 そして今、パラレルワーカーとして「何を目指す歩みなのか」を日々確かめながら、ウェルビーイング社会の実現に向けて、小さな一歩一歩ですが、前へと歩みを進めています。

自分が学び続けることで、少し誰かのちからになれたら…。小さな波紋もすーっと静かに広がって行く、そんなイメージを大切にしています。