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外泊日記

1泊2日の外泊を許可され、帰宅していた。
入院してから2週間程度しか経過していないため、なんとも捉え難い居心地の悪さ、家庭の一部に馴染めない決まりの悪さ等は覚えず、すんなりと居間に佇むことができた。外泊でしたこと。病院食では出ないパンを昼食に選んだ。地元で人気の店でタルトを買った。退屈しのぎのクロスワードと旅行誌、漫画を買った。伸びた髪を切った。愛犬との再会を果たし気の済むまで撫でた。外泊を満喫したような気もする。

整形外科病棟に入院していた頃は、今後自立歩行できる可能性は99%無いだなんて現実味を欠いた事実を告げられる程度には重症だったので、外泊なんて出来なかった(もっとも当時は家族との関係も最悪だったし、退院先を自宅にしたくないと本気で願うほどだったけれど)。今は重症では無いか、と言われると正直よく分からない。多くの人は私を普通に見える、元気に見えると評価するし、診断名も変わるみたいだった。実際、病室の荷物をまとめ、運び出し、看護師さんが部屋に鍵を掛けた時、なんだか私はもうすっかり普通になってしまったような気持ちがして、そのままの足取りで生きていけると思った。

夕食時、普段より少し豪勢な食卓を囲みながら、世間話をした。私は病院の中で関わった認知症気味の婦人や彼女が酷く寂しがっていること、暴れた所を取り押さえられて奥の扉に引き摺られていった人を見たことなど、絶えず話した。病棟内では傾聴に徹し、あるいは助言をするなど支援者のような役割を偽善にも果たしている私だったから、話を能動的にするということのそこはかとない悦びを感じていたのかもしれない。続いて妹の世間話に切り替わった。妹の言う世間とは専ら大学のことで、期末試験のことだった。プレゼンが難しくて嫌になる、レポート課題の締切が近い、など身に覚えのある不安や疲労感が語られた。私は自分自身が1,2年生だった頃を追憶して、当時と現在との隔絶、途方もない距離を実感させられた。学業が好きだった。真面目だけが取り柄で、授業や課題に一生懸命励んだ。困難や躓きがあっても諦めずに取り組んだ。成果が出るのは嬉しかったし、存在を認められたような心地がして嬉しかった。授業内容を理解して自分なりに何か意見・考察を深められることも楽しかった。3年生に進級すると同時に就職活動も始めていた。自立して社会に貢献したかった。大学の講義で触れた社会福祉の領域に興味があって、誰しも困難に陥る可能性があるのだから、いつそうなっても良いような社会や仕組みを作りたいという使命感のようなものも抱いていた。それがいつからこんな所まで来てしまったのだろう。根底に興味関心の喪失があり、思考力の低下、意欲の減退があった。卒論を書き上げること、卒業することすらもうこれで2回叶わなくなって、3度目の4年生を迎えようとしている。大学に行くこと、学ぶことの喜びを見出せず、ただ惰性と社会的身分保持のためにのみ籍を置いているような私。学費・経済的負担を家庭に強いているばかりか、入院までして社会で生きることから逃避した私。社会を支えるどころか零れ落ちてしまった私。遠くに来てしまった、と思った。何処で道を誤ってしまったのか分からなかった。あの時医者の助言通り、「今が頑張りどころだ」と思って飛び降りずにいたら、卒業していたら、就職していたら、こうはならなかっただろうか。
普通になりたかった。

大学以外で社会的繋がりを持っていた習い事に対しても、意欲や自信が消失して、そんな状態でレッスンに通うのが申し訳なくて、今回の入院を機に絶ってしまった。そこでできた友人も貴重な経験の機会も全部投げ出してしまった。耐えられなかった。重荷だった。苦しかった。そんな風に感じてしまうことが一番身勝手で我儘なことだと思った。普通に健康に生きている友人を羨んでしまうことも、最低だと思った。自分の選択が積み重なって今がある事に向き合えなかった。いい加減目を背けるのをやめにしないといけない。

今回の外泊で私は退院自体は可能だと思った。制御不可能な程の希死念慮や衝動性は見られなかったし、入院の契機となった自殺企図にも及ばなかった。普通の顔をして食事を摂れるし、会話もできた。なんの問題も無く終えられた。けれどそれは社会的責任や義務から離れているから可能だったことで、決して私の問題が解決した訳ではない。失ってきたすべての時間、機会、人間関係、その他数多のものを私はこれから再獲得し、維持していかなければなない。生活を続けていくことが恐ろしい。人生は長過ぎると思う。短・中期目標が欲しい。否、それを達成出来る体力や自信が欲しい。もう、苦しい。どうして私はこんな風になってしまったのだろう、どうしてこんな所まで来てしまったのだろう、どうして、

外泊どうだった?と聞かれた時に、私は上記の気持ちの欠片も表現できないような気がする。



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