死生想[0]-根源的欲求「死にたくない」「満たされたい」
標準的なニンゲンの活動そして意志を突き詰めれば、在るのは「死にたくない」と「満たされたい」とする根源的な欲求に到達する。見方を変えれば、ニンゲンは根源的欲求たる「死にたくない」もしくは「満たされたい」のどちらかまたは両方に突き動かされて生きていると言える。
しかし、これは特別な考えでは無い。むしろ、標準的なニンゲンを考えた時に到達する普遍的な指摘である。例えば、仏教観では煩悩と言い、キリスト教観では7つの大罪と言い、心理学ではマズローの欲求5段階と言う。これらはどれも抽象的ではあるが、標準的なニンゲンには欲望が備わっている事を示しており、その種類について論じている。
標準的なニンゲンにとって、自らを生存維持させるのは「死にたくない」からである。ここに強い意志や明確な目的は無い。更に、自身の生存維持の先には子孫繁栄を欲望する。これもまた強い意志や明確な目的は無い。むしろ、自分の意志と自分の行動であるにも関わらず、誰かに促される様にして突き進まされる。自らの内に潜む「死にたくない」と言う欲求に従う様にして、自身の生存維持と子孫繁栄によって自らを永遠にしようとするのだ。
更に子孫繁栄は、「死にたくない」に加えて「満たされたい」を欲求する。ニンゲンが繁殖するには番いが必要となる。そして、ニンゲンは社会的動物である。つまり、ニンゲンの個が生存するには、基本的には群の中に居る必要があると言える。その群の中において、繁殖の為の番いを得るには、何らかの要素を満たす必要が発生する。例えば、容姿・能力・技能・資産・役割、そして貢献と言った社会性に繋がる要素を満たし続けて始めて、番いを得る機会、つまり繁殖の機会を得る。だから、ニンゲンは「満たされたい」と願い乞い続けるのだ。
ニンゲンの群は、個の集まりであり、それぞれが「死にたくない」「満たされたい」に従って働き、一つの共同体へと変遷する。そうした時に、ニンゲンはただ子孫繁栄するだけでなく、共同体内における地位・名誉・責務が発生する。それらは理知的な理屈または共通した想像力によって生まれる。子孫繁栄する以外にも、自身の「死にたくない」「満たされたい」と言う根源的欲求を充足させ得る文化となる。つまり、共同体の中で自らが生きた証が保存されるのである。
標準的なニンゲンは、共同体の中で生きる為に、物質的なモノゴトや社会的な繋がり、文化的な尊敬を欲求する。その種類や方法はニンゲンの知性によって多様化しているが、根源的には「死にたくない」と「満たされたい」で説明され得る。
そして、重要なのは、根源的欲求の働きは主体的でありながら無自覚な点である。多くの標準的なニンゲンは、現代においても、「死にたくない」「満たされたい」を自らの行動基準としながらも、その基準に全く無自覚なまま行動選択しているのだ。
ニンゲンが「生きる」こと、そして「死ぬ」こと。この一枚の裏表を理解するには、無自覚なまま生存するニンゲンと言う動物が目を背ける、賤しさを分解し再構築せねばならない。
eof.
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