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汝を愛し、汝を憎む

痛みを忘れることも、忘れないことも、どちらも正解で一つの光だろう。

函館・下北半島・津軽へのひとり旅、最後は津軽。

日本の果て、という言葉で想像したのが、竜飛岬だった。最後に行き着く場所は、1番遠い遠いところなんだろうと思っていたから。遠い場所と聞いてわたしが思うのは、どんな外国のはずれの岩壁でもなくて、きっと、こんな風に湿った、刺さるような風が吹く、潮の匂いがする場所だった。

いざ着いてみたら、ここからいなくなってしまいたいと思うのだろうか、という不安がついて回った。ローカル線に乗ってうつらうつらしながらも、外を見ていた。雨が降っていて、目の前が全部深緑と灰色の絵のようで、素敵だ。

次の瞬間、辺りがひらけて海が見えた。津軽海峡の厳しくも強く優しい海だった。岩場に波がぶつかって上がる波しぶきを見て、その時、とてつもなくほっとしたのを強く強く覚えている。同じ波は二度と来ないけれど、ずっとずっとこの瞬間は繰り返し訪れて、消えてなくなりはしないことで、わたしは大丈夫だと思ったから。

三厩駅について、バスで竜飛岬へ向かった。途中でおばあちゃんを乗せたりしていて、ご友人の家だろうか、民家の近くでそのおばあちゃんが降りていった。運転手さんがおばあちゃんと津軽弁で話しているのを聞いて、その人たちにしか本当の意味でのニュアンスがわからない言葉を交わしているのがとても好きだと思った。

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竜飛岬は、紫陽花が咲き乱れていて、美しさと痛みの連なりのようだった。紫陽花の花道を通って、やっと、竜飛岬の灯台があるところまで来た。風が強く吹いていて、潮風が目に染みる。こんなに広くて冷たく、それでも優しい場所で、わたしは、ひとりだ。消えてしまいたいとは思わなかった、むしろわたしはわたしで許されることに、立って歩けることに、泣いてしまった。

きっと、強いだけ弱くて、弱いだけ強い、人は。と思った。傷つけたり、傷つけられたり、教えたり、教えられたり。そうして忘れたいことや忘れてしまったこと、忘れられなくて苦しいことが増えていくでしょう?痛みを完全に理解することもされることも不可能で、だからこそ忘れることも忘れないこともどちらも良くて、花に水をあげるように優しいことだと思う。

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…と、あれこれ考えを巡らしているとあっという間に帰りの時間になってしまった。新青森駅を経由して、太宰治が泊まっていたという大鰐温泉の「ヤマニ仙遊館」に泊まった。前日に急遽予約したのに(計画性がなさすぎる)、気を遣ってくださって、私が予約した部屋が男性浴場の真上だから音が気になるかもしれないと、反対方向の広い部屋にしてくれた。畳の香りと古くて情緒あふれる色合いの家具や壁、扉など全部が、とても素敵なお部屋だった。

外には人が全くいなくて、辺りは音もなく静まり返っていたけれど、寂しい、とは思わなかった。静かさは豊かだった。そして、この旅館を復活させて守ってきたという人がいることに深く愛を感じた。壊れそうなものを守ることは、とても難しい。

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朝が来て、庭が見える広間で朝ごはんを食べた。積み重ねてきた時間を感じさせるような景色を見ながら、ゆっくりご飯を食べられることがこれほど贅沢な時間だと思わなかった。お味噌汁が朝の気怠い体を起こしてくれて元気が出た。こうして太宰治もこの景色を眺めながら過ごしていたのだろうかと思いを巡らせていると、たまらない気持ちになった。

ここへ来て、よかったと思える旅だった。なんと言っても、その土地を愛している人がたくさんいることがわかった。そして自分がうつくしいものをうつくしいといえることがとても嬉しかった。愛していることと憎むことは隣り合わせで、だからこそあらゆるものを愛していたい、わたしは。

わたしは太宰治の、「ご無事で。これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。」という「斜陽」の一節がとても好きだ。自分の痛みをしっかり感じられる、かつ人を許せる人の紡ぐ言葉だと思う。

津軽のあたたかさが滲みて広がっていく。どうか、ずっとこの日の光が、潮風の湿り気が、美しい花が、守られて欲しい。





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