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【裏声であいつら】浅倉透 感想【シャニマス】


はじめに


 こんにちは。こちらは【裏声であいつら】浅倉透の感想記事になります。(今回はにちかは関係ありませんが)本コミュがとても面白く、自分の考えをまとめてみたくなったので記事にしてみました。拙い文章や至らぬ読解が散見されるかと思いますがよろしければお付き合いください。

 初めて本コミュを読んだ時、アイドル同士の交流の描き方や独特な空気感などに心惹かれると同時に「このコミュで描かれたものとは何だったのだろう」という疑問も生まれました。透は決して多くを語るキャラクターではなく、彼女の見ている世界を知ることは容易ではありません。テキストや演出として表れている手掛かりをもとに推察していきます。
 また、手掛かりを集めていく過程で本コミュは浅倉透G.R.A.D.編との関わりが深いのではないかと感じました(理由は後述していきます)。透GRADは評価の高いシナリオで本コミュとの繋がり関係なく楽しめると思いますので、もし未読の方がいらっしゃいましたらそちらも読まれることもお勧めいたします。
 前置きが長くなりましたが、以下自分なりに透の世界を読み解いて行きたいと思います。

「聖者の行進」について


 本コミュを考えるにあたって鍵になると思われるのが、作中で透が口ずさみ、コミュのBGMとしても流れる「聖者の行進」です。実在の曲をテーマにした越境サポートコミュというと【奏・奏・綺・羅】幽谷霧子を思い出しますね(隙あらば宣伝)。


 「聖者の行進」は黒人霊歌(スピリチュアル)と呼ばれるジャンルの曲で、白人の教会音楽と黒人音楽の融合した民謡です(例によって素人なのでおかしな解説をしていたらすみません…)。伝統的にはアメリカ黒人社会の葬儀の際に演奏された曲であり、故人の埋葬後にはこの曲でパレードをして帰っていったそうです。明るく華やかなこの曲は、故人の魂が死後の世界へと旅立つことを祝福するものです。現代では映画音楽やCMソング、スポーツの応援歌など幅広いシーンで使われています。
 ちなみに「聖者の行進」は ‘‘When The Saints Go Marching In’’ の和訳ですが、Saints は聖者のほかに(天国に行く)死者の意味もあります。日本で故人を仏様と呼ぶような感覚ですね。葬式の曲であることからも同曲は「死者の行進」であるとも言えそうです。

 【奏・奏・綺・羅】における「きらきら星変奏曲」に意味があったように、本コミュに「聖者の行進」が選ばれたことにも意味があると考えます。浅倉透というキャラクターも考慮して考えると、「聖者の行進」の特徴は「死者の曲」「旅立ちの曲」ではないかと思います。
 透は生き物や生命の循環、更には自身が生きるということへの関心が強く、GRADでミジンコの心臓に感動したシーンなどは特に印象的です。透は精一杯に生きたいと思っています。
 また彼女やノクチルを描く一つのテーマとして「旅」も象徴的な要素です。「愚者の旅」であるタロットの世界になぞらえた直近のイベントコミュなどもその一環と言えるでしょう。
 透を構成する「生への渇望」(ここまで言うと少し大げさですが…)や「旅」といった要素を考えると「聖者の行進」は透を描くにあたって意味深い曲と言えそうです。また、透自身が映画やドラマ好きなので映画音楽としてこの曲に触れていそうだというリアリティもあります。上記を踏まえて以下でコミュ内容を見ていきます。

第1話「透明心臓」


 素敵なタイトルです。先述の透GRADに出てきたミジンコの心臓を思い出しますね。水中を漂っているだけに見えるミジンコもドキドキして頑張って生きています。透明心臓とは(透けて見える)そんなミジンコの心臓であり、透自身の心臓でもあるのでしょう。「生」というテーマを予感させるタイトルでもあります。

浅倉透G.R.A.D.編プロデュースコミュ「泥の中」より


 コミュは聖者の行進を口ずさむ透から始まります。ペペベンベンベン。場面が変わり仕事に一区切りついたあさひのシーン。自由時間を確認したあさひは、逃げ出した「クマ」を追いかけに行きます。


 再び街中を歩く透のシーン。クマとは仕事でユアクマの着ぐるみを着た透のことでした。仕事の合間に透は着ぐるみのまま外出してしまいます。そこに追いかけてきたあさひが合流します。あさひはクマの正体が透であることを突きとめますが、透は否定します。ここの「ちがうね」や「てぃがう」の演技だけでも本コミュを見る価値があると言えます(笑)。


 しかしあさひも言うように、透はなぜ透であることを「違う」と言うのでしょうか。着ぐるみ姿をみられることの気恥ずかしさや、あるいは着ぐるみという色モノの仕事をしていることへの負い目でしょうか。透のキャラクターからはやや考えにくいように思われます。
 あさひは「着ぐるみで外に出たのがバレると怒られるから」他人のふりをしているのだと推察します。透はイエスと答えますが正直本人もあまりピンと来ていないようです。あさひにユアクマの頭を渡して「半分私だから一緒に怒られて」と言います。今の透はあくまでユアクマということでしょうか。


 続いてあさひが「なんでここに来たのか」という核心をつく質問をします。透の回想混じりのシーンとなります。透の頭の中では「聖者の行進」が流れていますが、何の曲かが思い出せずにいるようです。何の曲というのはタイトルか、あるいはどの作品で聴いた曲なのか、などでしょうか。
 透は再びユアクマの頭を装着して「どこに行きたいか思い出すまで行こう」と言います。透らしい表現です。そんな透を面白いと思ったのか、透の見ている世界に興味が湧いたのか、あさひは笑顔で付いていきます。


 このコミュの疑問およびポイントになりそうな点は、なぜ透は着ぐるみを纏うのかという点と、(自身でも分かっていない)透の目的地とはどこなのかという点です。

 まず着ぐるみを纏う意味についてです。これは着ぐるみで街中を歩くという行為を実際にしたことはないので想像にはなりますが、着ぐるみを纏うと「自分がそこにいるけど、そこにいないような感覚」になるのではないしょうか。
 透が「聖者の行進」を口ずさみながら着ぐるみで街中を行進する姿は、実際に浮世離れというか非現実感があります。透自身もこの「浅倉透ではない感覚」を楽しんでいる可能性はあります。透は着ぐるみを纏うことで透ではない存在になっており、だからこそ透であることを「違う」と答えるのでしょう。この「浅倉透ではない視点」が透にとって重要というか、なにか必要なものなのかもしれません。
 
 ここから少し話を飛躍させてみます。私は「聖者の行進」は葬儀の歌であり「死者の行進」でもあると言いました。着ぐるみを着て現世から自身を隔絶し、「死者の行進」をするというのは、ある種「死者のロールプレイ」と言えるような行為なのかもしれません。着ぐるみが死者ごっことはいくらなんでも飛躍しすぎだと思われるでしょうが、「透明心臓」や「聖者の行進」や「浅倉透」に思いを馳せると、本コミュで扱っているテーマは「生(と死)」なのではないかと考えます。
 
 着ぐるみで街中を練り歩く透を「死者の行進」と表現するのであれば、透の目的地はどこなのでしょう。それは例えば天国なのでしょうか。しかし透が天国を探しているというのはイマイチしっくり来ません。過去のコミュも踏まえれば、透が探し求めているものはやはり生きているという実感、「生の実感」ではないでしょうか。生きている証である、自身の心臓のありかを探しているという表現もできそうです。
 透は「生の実感」を探し求めて、「死者の行進」をして街中をあてもなく彷徨う。なくはないかなという感じです。死者とまでは言わなくても、着ぐるみという別の視点から、自分自身の心臓(=生きている証)を探しているのだとも言えそうです。しかし同時に重要なのは、透自身もこのようなはっきりとした認識は持っていないということです。
 透本人も目的はよく分かっていません。透の中にあるモヤモヤの正体が「生きることへの渇望」ではないかと推察しただけで、あくまで本人は思い出せない曲がずっと頭の中を流れているようなモヤモヤした状態に過ぎません。目的地は分からないけどモヤモヤの答えを探し、なんとなく着ぐるみを通して世界を見ている、そんな状態なのでしょう。

 
 「透明心臓」では着ぐるみの行進を通して、透が「生の実感」を(無意識的に)求めるさまが描かれていると考えました。確かに存在する命の証であり、でも簡単には見えない「透明な心臓」を、透は今も探しているのかもしれません。
 これは少し飛躍的な仮説にも思われますが、もし仮説が正しいのであれば次の話で「生の実感」を探し求める旅になんらかの答えが提示されるはずです。続いて第2話を見ていきましょう。

第2話「羽が落ちてて」


 「透明心臓」は強く透を想起させるフレーズでしたが「羽が落ちてて」はどうでしょうか。羽と言われて連想するのは透より真乃ですよね。「羽が落ちてて」は透から見た真乃(の痕跡)を指す表現のようです。
 仕事の合間に事務所に忘れ物を取りに来た真乃。事務所では透が昼寝をしています。透は寝そべりお腹が露わになってしまいます。真乃はそんな透の服の裾を直し透の安眠を守ってくれるようです。

 一度事務所を離れ、夕方に再び真乃が戻ってきます。なんと透はまだ寝ていました。1話の着ぐるみの仕事もそうですか、真乃の忙しさとの対比になっていて(成長しているとはいえ)ノクチルの現状をそれとなく表現している感じもあります。まだ昼寝を続けている透。今度はスマホが落ちそうになっており真乃はそっと戻します。


 透を起こさないように真乃は静かに事務所を離れます。外はすっかり夕暮れで月も出ています。真乃は事務所がもう少しだけ暖かい場所であってくれるよう祈ります。真乃の優しさを感じられる暖かい願いです。
 その頃、透も長い昼寝を終えて目を覚まします。透の頭の中では相変わらず「聖者の行進」が流れていますが、透はその曲を思い出せなくていいと満足します。いい曲というだけで充分だと言ってコミュが終わります。


 第2話もすごいコミュというか、真乃と透は会話してないですし、なんなら透はほぼ寝ていただけの越境コミュの型破りにも程があるような構成です。
 第2話で描かれた内容はシンプルです。透は真乃の優しさを享受してぐっすり寝ました。そしてよく寝た透は、満足します。これは字面通りに捉えれば「ぐっすり寝たら曲を思い出せないモヤモヤもどうでもよくなって満足した」というだけの話ですが、前コミュも踏まえてもう少し考えてみます。

 透の目的が(本人が意識しているかは別として)生きている実感を得ることだとするならば、その目的が満たされたというのは透が「生きていると感じられた」ことになります。確かに昼から夕方まで昼寝をしたら元気になって「生きている」と感じられるかもしれません。ただ透が満足した理由はもう少しあるように思います。

 それはやはり真乃の存在ではないかと考えます。月並みな表現ですが人は一人では生きていけません。他の命に支えられたり、他の命を食らったりして生きている訳です。透自身もそんな生命の繋がりに興味があり、繋がりの中で生きたいと思っています。寝るという生命活動の中で、真乃の優しさを享受して真乃との繋がりを感じられたことが、透を満足させた一番の要因ではないでしょうか。大袈裟な表現をすれば、自分の命に他の命が繋がっていることを感じ、生きているという実感が得られたのかもしれません。

 同時にこれは1話の繰り返しにもなりますが、透はこのようなはっきりとした認識は持っていないでしょう。睡眠中はそもそも無意識ですし、真乃との繋がりをどれだけ意識できたかも不明です。
 無意識に抱えていた「生きたい」という欲求が、無意識の繋がりで満たされたような構図にも見えます。しかしすべてが無意識下の出来事という訳ではなさそうです。「羽が落ちてて」というタイトルの表現からは、透は真乃が事務所に来ていたことを何らかの形で認識したようにも読めます。透は真乃が事務所に来ていたことを知り、自分の安眠を守ってくれていたことを知って、真乃との繋がりを実感できたのではないでしょうか。

 「羽が落ちてて」では会話こそないものの透と真乃の繋がりが確かに描かれ、透の「生の実感」を探す旅が一応のゴールを迎えたように思われます。どこまでが無意識下の葛藤でどこまでが意識下で認識されていることなのかは敢えて曖昧にされていますが、きっと透は事務所に落ちていた真乃の羽を見つけて、満たされた気持ちになったのでしょう。
 
 ミジンコ(透)がいて、鳥(真乃)がいて、みんながつながっている。事務所は透にとって命を感じられる「湿地」なのかもしれませんね。

浅倉透G.R.A.D.編プロデュースコミュ「息したいだけ」より

おわりに


 透は言葉巧みに自分の考えを述べるキャラクターではなく、そもそも内面的にも明確な認識を抱いていることは多くないように思われます。その行間を補おうと今回かなり色々と想像を膨らませる形になりました。少し暴走しているように自分でも思いますが、透のこれまでのコミュや、聖者の行進、心臓、羽、つながりなどを手がかりにしていくと本コミュを貫くテーマはやはり「生」なのではないかと考えます。想像の余地は読み手に大きく委ねられているコミュでもありますので、皆さまも本記事を踏み台にして同じ感想や違う感想をそれぞれに抱いて頂ければ幸いです。

 そして同時に、本コミュはこのような小難しいことを考えなくても楽しめる点が最大の魅力であると思います。透とあさひの交流、愉快な裏声演技、真乃の暖かな優しさ、夜の雑踏や夕焼けに染まる事務所などの情景、そしてこれらを彩る「聖者の行進」、どれも素晴らしく魅力的な要素です。この記事を通じて【裏声であいつら】浅倉透を読んでみよう、読み直してみようという方が一人でもいてくだされば、これに勝る喜びはありません。



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