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【ふたり色 クレオール】八宮めぐる 感想【シャニマス】

※ 本記事には【ふたり色 クレオール】八宮めぐるのネタバレが含まれます。


はじめに


 こんにちは。こちらは先日実装された【ふたり色 クレオール】八宮めぐるの感想記事になります。本コミュがとても面白く、自分の考えをまとめてみたくなったので記事を書きました。至らぬ読解が散見されるかと思いますがよろしければお付き合いください。

 本コミュはめぐるに関する数々のコミュの積み重ねの先にあるものですが、中でも関わりが深いと思われるのがpSR【チエルアルコは流星の】とイベントシナリオ『Star n dew by me』です。これらはシャニマスの金字塔とも言える名作コミュで今更説明の必要もないかと思われますが、簡単に振り返ります。

 【チエルアルコは流星の】では、めぐるの「人の心はその人にしか分からない」という考えが示されます。しかしそれは彼女がコミュニケーションを諦める理由にはなりません。コミュの最後でめぐるは青空を見て、色は心で見ているのだと学びます。そしてその色を、自分の心を、みんなに届けたいと決意するのです。

【チエルアルコは流星の】「無重力のウテナ」より


 『Star n dew by me』ではめぐるのバックボーンについて更に深掘りされます。彼女の分け隔てない明るさの根底には、常にみんなの期待に応えよう、役に立とうとする生き方がありました。他人の役に立つことで自分がそこにいる意味を作り出して彼女は生きてきたのです。しかし真乃はめぐるが傍にいることに意味は要らないのだと伝えます。真乃、灯織、プロデューサー、特別な存在によって彼女は救われます。

『Star n dew by me』「呼吸のソルフェージュ」より


 めぐるの考えや生き方は【ふたり色 クレオール】でも大きく関わってきます。前置きが長くなりましたが以下で内容を見ていきましょう。

第1話「5Y 9/12」


 今回の各話タイトルは色の表示や指定に用いられる「マンセル表色系」に由来しています。「5Y」は色相を指し、黄色に当たります。また「9/12」は明度/彩度を指します。「5Y 9/12」は「明るく鮮やかな黄色」です。

5Y 9/12 (カラーコード#FFE51D)


 めぐるは今度自分が演じることになった舞台作品の絵本を読んで予習しています。主人公のサウレは明るく暖かな性格で、不思議な力を使って人々を助けます。サウレの太陽のような在り方にめぐるは心惹かれます。ちなみにサウレはバルト神話に出てくる太陽の女神の名で、豊穣や健康を司るとされるそうです。シャニPはサウレがめぐるみたいなキャラクターだと言います。舞台の仕事に向けて期待を高めるめぐるの様子が描かれます。


 「5Y 9/12」「明るく鮮やかな黄色」とはサウレの色であり、そんなサウレに重なるめぐる自身の生き生きとした色でしょう。
 

第2話「7.5Y」


 明度/彩度の指定がありません。「7.5Y」は「5Y」より緑色系に近づいた色です。感じ方は人それぞれですが、赤色から緑色に近づき視覚的には「5Yの黄色より少し暗い色」という印象を受けます。あるいは太陽の色味から少し遠ざかったという表現もできるかもしれません。

左:5Y 8/10 (#E9C936) ⇔ 右:7.5Y 8/10 (#DFCD30)

 
 シャニPも原作の絵本を読み、その話を気に入ります。そんな折に舞台の仕事先から連絡がきます。
 場面が変わって劇場の下見帰りのめぐるとシャニP。楽しそうに原作の絵本の話をするめぐるに、シャニPは意を決して話を切り出します。


 話が始まる前の「そういう話…?」というめぐるの一言は非常に印象的です。めぐるは以前にも演技の仕事が始まる前に「良くない知らせ」を聞かされた経験があり、その時のことを思い出したのかもしれません。またこの反応からは常に天真爛漫(に見えるよう)なめぐるが、実際は話相手の感情の機微を細かく察知していることが分かります。

 シャニPは今回の舞台の原作が絵本のお話ではないことを告げます。絵本として知られている話は原作の残酷な描写をカットしてマイルドにした内容であり、本当の原作ではサウレは苦しみからの解放として人々の命を奪う残酷で不条理な存在だと言うのです。
 イメージの齟齬があったことに謝罪するシャニP。めぐるにも当然ショックはあったと思いますが、彼女は気丈に振る舞い前向きに取り組む姿勢を見せます。
 「7.5Y」の解釈は難しいですが、「5Yと色味の異なる黄色」は絵本と対比した原典のサウレの色であり、実際は陰りを抱えた(しかしそれを見せようとしない)めぐる自身の色でしょうか。

第3話「N5」


 「N」は色相や彩度のない無彩色(白黒)を意味し、「N5」は中間の明度にあたります。いわゆる「灰色」に近い色です。

N5 (#7B7B7B)


 舞台の練習が始まっためぐる。そんなめぐるに演出家が話しかけます。演出家はめぐるが作品のイメージに合わないことで無理をしていると言います。人が苦しむような暗い話はめぐるには受け入れがたいかもしれないが、しかしそういう世界に救われる人もいるのだと言います。影の世界にこそ救われる人もいるという話はイベントシナリオ『バイ・スパイラル』も思い出されます。
 めぐるは舞台を壊さないように無理をしてサウレを演じていると指摘されます。そして、嘘や無理のない本心からサウレを演じて欲しいという要望を伝えられます。


 空は曇り空から雨へと変わります。元気のないめぐるの様子にシャニPは心配して声をかけますが、やはりめぐるは気丈に振る舞います。
 「N5」は曇り空の色で、めぐるの色が雲に覆われてしまったようにも見えます。

第4話「5Y X/X」


 明度と彩度の指定がなく任意値になっています。めぐるの色を「指定」するのは誰なのでしょうか。
 エレベーターを待つめぐるとシャニP。シャニPは舞台のスタッフから、演出家がめぐるの演じるサウレに納得していないことを聞かされます。
 「本心からサウレを演じる」は前話でもめぐるに提示された課題です。しかしこれはめぐるがどんなに思い悩んでも解決することのできない問題です。原作の(残酷な)サウレよりも、絵本の明るく優しいサウレに心惹かれているのは確かに彼女の本心でしょう。しかし同時に、舞台に関わるみんな(演者や製作スタッフ、更には将来の観客のことまでめぐるは考えているかも知れません)の期待に応えたい、望まれる姿でありたいというのも間違いなく彼女の本心です。自分の望むサウレを本心から演じるというのは、周りの期待を裏切れない彼女の本心と相反しており、決して叶うことがありません。
 誤って下行きのエレベーターに乗ろうとしてしまうめぐるの描写は象徴的です。彼女は自分では解決できない問題を抱えており、進むべき道を見失っています。めぐるが道を見失っているなら、彼女を正しい道に導くことができるのは誰でしょうか。シャニPは決断を迫られます。


 エレベーターのボタンをシャニPが押します。シャニPはめぐるに絵本のサウレのようにサウレを演じてみたらどうかと提案します。めぐるはやはり舞台を台無しにしたくないという思いから躊躇いますが、そんなめぐるにシャニPは「俺のために演じて欲しい」と伝えます。


 これは大きな決断であり、選択です。シャニPの選択であると同時にめぐるにとっての選択でもあります。めぐるは「みんな」の期待に応えようとしますが、それ故に答えのない問題を抱えて道を見失っています。シャニPは「みんな」のためではなく俺一人のためにサウレを演じて欲しいと言うのです。めぐるの色を、めぐるの行先をシャニPが決めようとしています。これは重大な責任を伴う選択です。
 めぐるはシャニPの言葉を受けて真剣な表情を浮かべます。エレベーターが上の階に到着してドアが開く音で本話は終わりますが、これは道が示されたことを表しているように感じられます。

 自らの本心さえも相反することがあるなかで、自分の色というのは自分では見えないものなのかもしれません。「5Y X/X」の任意値を設定するのは、めぐるの色を決めるのは、めぐる本人ではなく傍にいるシャニPの役割です。

True End「いろ いろ」


 舞台の打ち上げとして縁日の屋台にやってきためぐるとシャニP。回想としてシャニPと演出家の会話が差し込まれます。
 めぐるは舞台を「めぐるが好きなサウレの姿」で演じました。それはシャニPの要望であり、また演出家の要望でもありましたが、やはりすべての人の望む姿ではありませんでした。原作の世界観から浮いたイメージのめぐるのサウレには賛否がありました。しかしそこも含めて演出家の狙い通りであったと聞かされます。彼は不条理で残酷な世界の中に、めぐるのような存在がいることに救いがあるのだと語ります。


 めぐるのために何ができるのかとシャニPは自問します。めぐるをめぐるらしく輝かせることは容易ではないと彼は今回の仕事で痛感したはずです。
 「めぐるを輝かせる」「進むべき道を示す」言っていることは単純かも知れませんが、実際には単純な答えがある訳ではありません。仕事や日常の中できっと多くの選択肢があって、その中で彼女のためになる選択をしていかなければならないのです。彼女を曇らせないための選択が彼女を曇らせる結果になることだってあり得ます。正しい選択をするためには、シャニPはめぐるのことを考え続ける必要があります。簡単には知れない彼女の心を、知りたいという気持ちを持ち続けなければなりません。

 最後は何気ない日常の会話ではありますが、めぐるから選択を迫られる形でコミュが終わります。色々な食べ物に囲まれ頭を悩ますめぐる。彼女の色々の中から一つを選んで答えにするのはシャニPなのです。

おわりに


 最後にタイトルの【ふたり色 クレオール】についても考えてみます。
 「クレオール」は混ざり合った人種や文化などに用いられる多義的な言葉ですが、今回は「クレオール語」を指すものと考えます。これは言葉の通じない異国の人間どうしの交易の場で自然発生的に生まれ定着した共通言語のことです。人の気持ちは本当のところはその人にしか分かりません。他人の心はくもりガラスの向こう側の景色でしかありません。その意味では我々はみな言葉の通じない異邦人どうしです。しかしめぐるはコミュニケーションを諦めません。そしてシャニPもまためぐるの心を捉えようとします。心が見えない者どうしでも、お互いに心を伝えたい、知りたい、と思い続ければ、そこには共通言語が生まれるかもしれません。「クレオール」は何か特定のコミュニケーションツールを意味する比喩というよりは、心を通じ合わせようとする者どうしの間で生まれる「特別な絆」のようなものを指しているのではないでしょうか。
 また「ふたり色」についてですが、「色は心で見るもの」であるならば、「めぐるの色」とは「シャニPの心が捉えためぐるの心の輝き」です。互いを思い合う二人の心があって初めて見える色ということを指して「ふたり色」と表現しているのかも知れません。

 抽象的な表現ゆえに実際は様々な解釈があって然るべきだと思います(二人の色が混ざり合う様=クレオールという解釈もでき、そのような視点でコミュを読み解くのも面白いかもしれません)。いずれにせよ【ふたり色 クレオール】は本コミュの表題に相応しい、詩的で美しいタイトルに思われます。 
 
 心を捉えることは容易ではない、これはめぐるのコミュで繰り返されてきたテーマでもあります。しかしめぐるがそうであるように、シャニPもまた相手の心を知りたいという気持ちを持ち続けることで、きっと二人は正しい道を選んで輝きをみんなに届けることができるはずです。


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