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【桜花拾】郁田はるき 感想【シャニマス】



はじめに


 こんにちは。こちらは先日実装された【桜花拾】郁田はるきの感想記事になります。当コミュの表現に心惹かれ、自分の考えをまとめてみたくなったので記事を書きました。拙い文章や至らぬ読解が散見されるかと思いますがよろしければお付き合いください。

【連綿と、桜】について


 【桜花拾】は前回実装の【連綿と、桜】との繋がりが感じられます。両者は短い期間内に実装された「桜」を扱うコミュであり、連作的な側面があるのかもしれません(もちろんそれぞれ単作として完成しており個別でも問題なく楽しめます)。
 【連綿と、桜】では目まぐるしい日々の中で春を見つけるはるきの話が描かれます。はるきは思慮深い一方で直感や勘で走り出す思い切りの良さもあります。はるきは前を見て走り続けていますが、同時に「答え」が明確でないことに思い悩みます。
 はるきは一度立ち止まってみるように言われた休日で桜を見つけ、春の訪れを知ります。更に後日プロデューサーははるきに遅咲きの桜を見せます。はるきは走り続けていたことも忘れるくらいに走り続けた先に、思いがけない瞬間に、このような景色が訪れるのだという気付きを得ます。
 連綿と続く日々を走り続ける中で、ふとした瞬間に顔を出す「答え」。その象徴が桜の景色なのかもしれません。そしてその気付きを与えてくれたのは隣で一緒に走っているプロデューサーです。

【連綿と、桜】「幾つもの春をかけて」より


 この出来事ははるきの考えに影響を与え、今回の【桜花拾】にも関わってくるように思います。前置きが長くなりましたが以下でコミュの内容を振り返っていきます。

第1話「深遠」


 はるきは事務所で鉛筆を使って何か書き出しているようです。そこにプロデューサーのキーボードを打つ音が重なります。はるきは音が重なる様を面白く感じます。二人の音が重なるというのは二人の波長や歩幅が合っているような印象を受けます。


 プロデューサーは新しい仕事の話を切り出します。それは家具メーカーのショートムービーの仕事です。はるきのクリエイティブな面が評価され、映像の制作段階から自ら携わるという企画が回ってきました。プロデューサーははるきの仕事や生活への負担を懸念しますが、彼女はこの仕事をやりたいという強い意志をみせます。
 与えられた映像のお題は「永遠」です。早速はるきはテーマについて思案します。永遠とは誰にとっての永遠なのか。みんなが共感できるような「永遠」は普遍的な一方でありきたりに感じられてしまう懸念があります。それならばはるきにとっての「永遠」は何なのか。はるきはこの難題に取り組むことになります。

第2話「無数の題名」


 はるきとプロデューサーはカラオケを楽しんでいます。これははるきの発案のようで、彼女はアイディアが思い浮かばない時は身体を動かしたりカラオケをしたりするそうです。
 はるきはいくつかのアイディアを思い付いていますが、それを永遠とすることにまだ納得できていません。一つの例として「はるきとプロデューサーが一緒に歩いて綺麗な空を見上げる映像」を提示します。それを永遠と呼べば確かにそれらしく感じるでしょう。しかしこれは、それらしい風景に名前を付けただけかもしれません。また、二人の人物の関係性を直接的に描くのは視聴者からの共感を得にくいのではないかという懸念も思い浮かびます。
 はるきは自分の心が真に「永遠」と思えるものを探し続けています。プロデューサーはそれははるきの誠実さであり個性だと伝え、思索の旅を肯定します。


 

第3話「邂逅」


 はるきはスケッチの課題を友人に協力してもらっています。友人ははるきの思案に協力しようかと言いますが、はるきは自分の中にあるものなので自分で探したいと伝えます。友人は一人で思案する難しさに共感し、「感性が合う人はなかなかいない」と言います。


 その言葉がはるきにヒントを与えます。WING編で描かれたプロデューサーとの出会いのシーンがフラッシュバックします。彼の言葉がはるきの心を動かし、アイドルの道に突き動かしました。プロデューサーは感性の合う理解者であると同時に、はるきの世界の感じ方を変えてしまった存在でもあります。


 はるきは事務所でプロデューサーの椅子に寄りかかり思案しています。音が重なる人、心を動かした人、桜を見せてくれた人。その人と二度と会えなかったらどうなるのでしょう。はるきはついに自分の納得できるアイディアを思い付いたようです。

第4話「ここにいないあなたを」


 ついに映像の撮影が始まります。同時に前話の直後と思われる回想シーンが差し込まれます。はるきが当初思い付いた映像は「椅子と花が置かれている誰もいない部屋」でした。しかしはるきの出演も映像の条件に入っていたため、はるきが登場するよう修正が加えられます。
 プロデューサーは映像のコンセプトを問います。はるき曰く映像の風景は「いろんな場所に繋がっている部屋」で、椅子は「もうここにいない人」の存在を示します。そしてここは始まりも終わりもしない場所です。プロデューサーはそこに置かれた花の存在についても問いますが、答えは明かされません。

 さらに映像に出てくるはるきは「見てくれる人のためだけに存在している」のだと言います。そして実際に撮影された映像が流れ、ただわたしは「あなたのためだけ」の場所にいるという言葉で締められます。


True End「それでも、時間は連なって」


 はるきは完成した映像をプロデューサーと一緒に見ます。創作が形になった瞬間の達成感がクリエイターの醍醐味である一方で、はるきは100%の満足感は中々味わえないのだと言います。今回の映像についても、自分が出演しない方が良かったのではないか、出演するにしてももっとうまく表現できたのではないか、などと考えてしまいます。
 そんなはるきにプロデューサーは「はるきの映像からは『永遠』が見えた」と伝えます。


 プロデューサーがはるきの表現に共感し理解を示したことを受けて、はるきは今回の映像を思い付いた経緯を説明します。事務所でプロデューサーを待つはるきは彼の椅子を眺め、このまま二度と会えなければどうなるのか、と考えます。それは悲しいことですがいつかは必ず来る別れなのかも知れません。プロデューサーがいなくなってもはるきの時間は続き、彼のいない世界に戻ります。しかしはるきは彼と出会う前のはるきには戻りません。そのことがはるきにとっての「永遠」に感じられたのだと言います。


 最後に別れはあくまで悲しい想像であり、実際にはいなくならないようにはるきに頼まれ、コミュが締めくくられます。
 

はるきの映像作品について


 はるきが映像で表現したかったものについて、はるき自身も解説してくれていますが自分なりにも考えてみます。

 まず「部屋」は、はるきの心象風景、内面の世界ではあるでしょう。そこから繋がっている「いろんな場所」というのは、はるきの色々な可能性や選択肢のことを指しているかもしれませんし、過去や未来の時間を指しているかもしれません。あるいは同じような部屋がいくつもあるのかもしれません。
 永遠という作品テーマや「それでも、時間は連なって」などのコミュタイトルからは、「部屋は色んな時間と繋がっている」というのが最も考えやすいでしょうか。


 では「始まりも終わりもない」とはどういうことでしょうか。部屋の外=現実世界には始まりも終わりもある一方で、部屋は心の世界であり時が止まっているということでしょうか。過去から未来への時間の流れの中にある一時点を捉えたもの、切り取ったものがこの部屋なのかもしれません。

 時間と部屋について考えると思い起こされるのがイベントシナリオ『明るい部屋』です。シナリオのラストで「部屋はかつてここにいた人の気持ちも未来の人たちの時間も繋がっている」のだと言及されます。

イベントシナリオ『明るい部屋』「La chambre libre」より


 はるきの心の部屋も過去や未来に繋がっているために「はじまりも終わりもなく」「いろんな場所に繋がっている」のかもしれません。『明るい部屋』が時間の連続性の中で繋がっていくものを捉えて描いたのに対し、はるきの部屋は連続性の中にあって一時点を切り取ったような印象をより強く受けます。解釈の余地は十二分にありますが、自分は今回の部屋について「繋がりの中で静止している時間、空間」がイメージされました。

 はるきが伝えたい主題は本人が説明してくれた通りです。はるきはプロデューサーと別れる日が来るかも知れません。しかしはるきは彼と出会う前のはるきには戻りません。プロデューサーが与えてくれた色や情景がはるきの中には残り続けるのでしょう。
 桜のモチーフはやはり【連綿と、桜】が想起されます。桜はプロデューサーが見せてくれた景色の象徴であり、プロデューサーが与えてくれた色の象徴です。【連綿と、桜】では連綿と続く日々の中に現れる桜が描かれました。一方本コミュでは始まりも終わりもない部屋に桜が飾られています。これは逆に時間が切り取られ、静止しているような印象を際立たせます。巡る季節の中にあってもはるきの心に残り続ける景色の象徴が桜であるとも言えます。
 【連綿と、桜】では走り続ける中に現れる景色であった桜が、【桜花拾】では静止した時の中で永遠の情景として描かれます。同じ桜を用いつつも対比的なアプローチではるきの内面が描写されており、興味深く印象的です。

  また、この映像作品には当初はるきは存在していませんでした。誰もいない椅子とそこにあり続ける桜の花だけでもはるきの中にある「永遠」は確かに描けています。しかし実際にははるきが部屋に登場します。
 椅子に寄りかかり桜の花に顔を寄せるはるきは「そこにもういない誰か」に想い馳せています。映像の彼女は「あなたへの想い」を具現化した存在とも言えるかも知れません。
 映像作品は広くみんなに見てもらうものであり、プロデューサーやはるきの間だけで伝わるものでは意味がありません。コミュの前半でもはるきはそのことに度々触れています。視聴者ははるきの内面を真に知ることはできませんし、プロデューサーの存在を捉えることも当然できません。しかし、はるきが「ここにいないあなた」への想いの象徴として登場することで、それが永遠であることが視聴者にも伝わりやすくなるかもしれません。視聴者は映像の中の彼女の姿に、永遠を見出すのではないでしょうか。
 はるき自身には未だ葛藤がありますが、個人的にははるきが登場する手法は、彼女の内面にある永遠の真実性と、共感を得られる普遍性とを、両立できているように感じられます。

  雑多な思案をまとめてみます。過去から未来へ連綿と続いていく世界で、はるきの中には心の部屋があります。そこは始まりも終わりもない静止した空間ですが、同時に過去や未来と繋がっている場所でもあります。
 部屋には「かつて誰かがいた」ことを指し示す椅子が置かれています。その人は今そこにはいません。しかしはるきの部屋にはその人が与えてくれた桜の花が飾られています。そしてその花の美しさは、巡る季節の中にあっても心の中に残り続けます。これがはるきが真に「永遠」と感じられた心象風景だったのでしょう。
 そしてはるき自身はその永遠の想いを象徴する存在として映像の中で振舞います。彼女はより 純粋な「あなたへの想い」の具現化であり、見てくれる人のために存在しています。はるきにとっての永遠に、共感を呼ぶ普遍性を乗せたものがこの映像です。

 実際には部屋やはるきの存在など解釈の幅があり、また映像に出てくるすべての要素について考えを巡らせている訳でもありません。皆様がはるきの描いたものを考えるにあたっての踏み台になれば幸いです。

おわりに


 本コミュは映像制作というテーマではるきのクリエイティブな側面がフィーチャーされ、「永遠」の表現を通じてはるきの見ている世界が描かれます。WING編の出会いから本日に至るまでの積み重ねはまだ長いものではありませんが、二人の出会いやこれまでの歩みの重みが充分に感じられる美しいコミュだと感じました。

 今回はるきはプロデューサーとの別れに着想を得て永遠を表現しました。しかし現実には二人の時間はまだ続いていきます。プロデューサーははるきの感性の理解者であり、同時に彼女の世界を色鮮やかに塗り替えていきます。これからもはるきの世界は更に広がり、更に色を増していくのでしょう。
 「いつか来る別れ」を提示し、これまでの歩みやこれからの道を描き出すのは、過去にシャニマスで登場したいくつかのシーンが想起されます。「いつか別れが来ても、永遠に残り続けるもの」は他のアイドルたちの中にもあるでしょうし、プロデューサーの中にもあるのでしょう。そして物語に触れている我々の中にも確かにあるものなのかもしれません。
 【桜花拾】郁田はるきはシャニマスの6周年を告げ、そして7年目の始まりを告げるのにふさわしいコミュだったのではないでしょうか。


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