リモートMtgという”擬似対戦”
「プロ野球、6月19日に向けて、開幕へ!」という文字を見つけてテンションが上がっている今日この頃。無事このまま収束の傾向が持続し、例え試合数が少なくなろうとも”2020年というシーズン”を早く味わいたい。
「スポーツは世の中が平和であってこそできるものだと学んでほしい」
by 桑田真澄
スポーツを楽しめるということは、世の中が平和である証拠。
春の選抜が中止となった時、高校球児に向けた桑田の言葉を反芻してる。
さて、私たち会社員はというとリモートワークという手段でもって、既にシーズンは開幕してる。しかしながらコロナというものによりここまでいろんなものが急速に変わっていくとは思わなかったものだ。
ただ、そのおかげと言っては不謹慎だが、今までの当たり前を”当たり前ではない”と気づけたのは、後々ボディーブローのように効いてくるような気がする。
それを気づかせてくれた最もたる存在こそ、”リモートMtg”だ。
4月上旬に緊急事態宣言を受けて、すっかりテレビ画面の中で”誰か”と話をすることに違和感が無くなっていった。それと同時にこれまで当たり前にそこに行けば会えるという機会は貴重だったのだ。
やっぱり”人と顔を合わせる”というのは尊いんだな、と。
これまではなんとなく”画面で話すのは失礼なのかな・・”なんて思っていたが、実際そうせざるを得ない状況になってみると意外となんてことなく普通にMtgは進み、挙句には「この方がいいかもしれないっすね!」みたいな自己中心的な心変わりを演じる。
人間はなんて都合がいい生き物なんだろう。
と思いつつ、都合が良いのではなく、”環境に適応する能力が高いのだ”と言い聞かせているわけです。
そんなこと思いながらこのリモートMtgという新様式。
ふと”何かに似てる感覚”が頭を過ぎる。
「画面越しで”相手と対峙する感覚”」が何かに似てる。
そうだ。
”マウンドの投手とバッターボックスで対峙する打者”の感覚だ。
いつもの打ち合わせという空間では”スタジアムの観客”よろしく、適度なガヤやアイスブレイクが挟まってくるが、リモートではそれが期待しづらい。
大体、発言が被ってしまうとMtgとして成立しにくいし、基本的には一つの発言に対して、一人がそれについて時間を占有して答えるなり、反論するなり、同意する。
故に、この画面という小さな空間を通してのプレゼンはまるで一定の距離を経て対峙する投手と打者のよう。
自らの画面というマウンドから”直球”で自分の主張を押し通そうとしてみたり、時にはアイスブレイクという”チェンジアップ”を巧み織り交ぜながら相手を翻弄していく。
一方でまた、その投げられた主張の論旨や論点のほころびを見逃さずに”痛打”できる場合もあれば、”うまくバットですくって”その場をいなす。
その繰り返しでリモートMtgは進む。
一人一人が画面を”バッターボックス”にしたり時には”マウンド”にしたり。画面上のMtgの中で、目紛しく”攻守交代しながら”発言をぶつけ合う。
まさに【18.44メートルで繰り広げられてきたアレ】だ。
そんな妄想をしながら今日もリモートワークで”打席”に向かう。
ただ、無観客でのミーティングも飽きてきた。
その昂る気持ちはコロナ収束傾向と反比例して高まっていることを感じる。
もうそろそろ”本物の投手と打者”のぶつかりあいを。
プロの技と技の鍔迫り合いをリアルで堪能したい。
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