見出し画像

野球という”ドキュメンタリー作品”

野球というのは”間(ま)”のあるスポーツである。

この切り口で語られる場合、往々として野球というスポーツの試合進行を指し示すことが多い。1つのプレーが投手から始まりそのボールと対峙する打者が対応をしていく。その一つ一つのプレーが積み重なっていき、様々な結果を繰り返すことで”スポーツ”として成立していく。

そして、その1プレーと1プレーに”観客はそのプレーをどう感じ取るのか?”という時間が産まれる。これが野球の観客に対するサービス提供価値の一つであり、まさしくそれは”間(ま)”である。

これが野球のもっとも特徴的な部分だ。
しかし、もう一つ野球を楽しくする材料が存在する。
それが「余白」である。

スポーツにせよ、映像作品にせよ、アートにせよ、人々を心を動かすには【自分がその状況、映像、表現を見てどう感じるか?】という”余白”が必要、もっと簡易的な言葉で言うならば”想像力”がその面白味を加速させていく。

野球においての”余白”とは、その試合に登場する選手の情報なのだ。
では、何故「選手の情報」が面白味を加速させることになるのか?

目の前のプレーをしてる人々は野球選手の前に人間である。
その前提において、当然それぞれのプレーヤーに”歴史(バックグラウンド)”が存在する。野球のルールがわからずとも【ちょっとした選手の選手の周辺情報】があるだけでも楽しめるキッカケになりうる。

実は、野球が好かれない原因もまた前述した”間(ま)”である。
いや単刀直入にいえば「ヒマを持て余す」ということでそれはもう否定はできない事実でもある。

その事実を受け入れた上で、野球というスポーツの”余白”を楽しむ準備運動を施しておくと楽しみ方に奥行きが出てくる。

わかりやすいのは【同級生クラスター】だ。
「いろんな経緯はありながらもプロ野球という最高の舞台で再会」というやつで例えるなら小林誠司(巨人)と野村祐輔(カープ)。
あの甲子園の”最強の準優勝チーム”の2人がそれぞれ社会人や大学を経てプロで対決、、なんていうのは理解しやすい。
その他にもいろんな同級生が球界にはいるので「いろんな人生があるんだなー」とか「そことそこが?以外!」なんて単純に楽しむのもオツである。

<野球界の【同級生クラスター】>
・藤岡裕大(千葉ロッテ)と柴田竜拓(横浜DeNA)の岡山理大付属高校
・北條史也(阪神)と田村龍弘(千葉ロッテ)の光星学院高校
・菅野智之(巨人)と田中広輔(広島)の東海大相模高校
・岩田稔(阪神)と中村剛也(西武)の大阪桐蔭高校
・鈴木誠也(広島)と竹安大知(オリックス)の二松學舍大学附属高等学校
 ※竹安は途中で静岡県立伊東商業高等学校に転校。

もっとわかりやすくいうなら【フェイスクラスター】もある。
単純に顔がカッコいいのか?という軸であり、前述した小林誠司も球界きってのイケメンだが野球界には種々雑多な幅広い種類の”イケメン”が存在する。

<野球界の【フェイスクラスター】>
・英国紳士的なレジェンド級の男前:鳥谷敬(千葉ロッテ)
・やんちゃ系男前:今宮健太(福岡ソフトバンク)
・ニューヨーカー系男前:坂本勇人(巨人)
・さっぱり系男前:海田智行(オリックス)
・若き球界のファッションリーダー:山岡泰輔(オリックス)
・琉球ベビーフェイス:東浜巨(福岡ソフトバンク)

”野球界視点”で楽しむなら【先輩・後輩クラスター】もある。
実際に過去に自分がみた阪神対ヤクルトスワローズ。
阪神は先発が岩貞、ヤクルトが山中。
これは実は母校の熊本・必由館高の先輩山中と後輩岩貞の投げ合いであり、「熊本出身の方」であれば、野球が解らずとも多少なりの感情移入ができる”余白”が産まれる

<野球界の【先輩・後輩クラスター】>
・大阪桐蔭の先輩・藤浪晋太郎(阪神)と後輩・森友哉(西武ライオンズ)
・富士大の先輩・山川穂高と後輩・外崎修汰(西武ライオンズ)
・仙台育英の先輩・平沢大河と後輩・西巻賢二(千葉ロッテ)
・東海大甲府高校の先輩・高橋周平(中日)と後輩・渡邉諒(日本ハム)
・智辯和歌山の先輩・岡田俊哉(中日)と後輩・西川遥輝(日本ハム)
・帝京高校の先輩・杉谷拳士(日本ハム)と後輩・山崎康晃(横浜DeNA)

野球は究極の個人の団体戦であるとともに、背景にそれぞれの個人の歴史や関係性が透けて見える”ドキュメンタリー作品”のように感じる。

そんな時にいつもヒゲダンの「115万キロのフィルム」という曲がリフレインする。

「これから歌う内容は僕の頭の中のこと。主演はもちろん君で、僕は助演で監督でカメラマン。目の奥にあるフィルムで創る映画の話さ。」
(by Official髭男dism「115万キロのフィルム」)

直径5.5メートルのマウンド、2.2㎡の打席という名のそれぞれの”ステージ”
18.44mの間で繰り広げられる”離れた個人戦”。
塁間27.4mという絶妙な距離感が生むドラマ。


さながら
「主演はもちろん選手で、観客は助演でエキストラで舞台装置、
目の前にあるフィールドで紡ぐ映画の話」

である。

その”リアル”ドキュメンタリーが1日も早く見れることを今日も願ってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?