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”天才イチロー”と同じ時代に生まれた幸せ

「長嶋茂雄は本当に勝負強くて・・・」
「王のホームランの美しさといったら・・・」

これまであまたの”天才たちの偉業やプレー”を聞かされてきた。
自分自身が小さい頃に野球を始め、そのスポーツを知り、のめり込むきっかけになるのはいつだってスターの存在だ。

それは、間違いない。
でも、なんだかずーっとモヤモヤしている感情があった。

でも、今日この日を。
”日本が生み出した天才打者イチローの引退の日”を迎えて確信したことがある。

そうだ。
きっと”天才の生のプレーを感じたこと”が無かったのだと。
どれだけ王、長嶋はじめ野村克也、張本勲など数々の球界のスーパースターの”天才的なプレー”を伝聞されてきたのだけど、”本物の天才のプレー自体”に触れたことが無かったのか、と。

1994年、日本プロ野球界に彗星のごとく現れたスーパースター。
当時は中学生の野球少年だった自分からすれば、お茶目なお兄ちゃんで、一風変わった打撃フォームから繰り出される打球は、自分のみならず他の野球少年を一目惚れさせたし、屈強でゴツいプロ野球選手とは真反対のしなやかで、ともすれば華奢なその体から放たれる矢のような送球は、思わず千葉マリンスタジアム試合前のシートノックでライトスタンド(ロッテ側)にも関わらず、その球筋を体を屈めて食い入るように魅入ったものだ。

年々塗り替えられる”偉大な天才たちの偉業”。
そして、前述した”これまでの天才達とは違うスタイル”の種明かしをするように語られる独特のイチローの哲学。
それは難解であるがゆえに、野球というスポーツのみならず”鈴木一朗”という天才に、その天才が紡ぎ出すストーリーに多くの人が魅了されてきた。

その物語も一旦、大きな区切りを迎えようとしている。

ただ、この稀代の天才の”旬な時をこの目で見届けられたこと”の価値は、
皮肉ながらこの終わりを告げた事実があって改めて気づかされる。

「イチローのバットコントロールといったらそれは本当に凄くて・・・」

いつか、自分もこれまでイチローをこう評して、語り継いで行く側になるだろう。もうプレーが見れなくなるのは寂しい限り。本当に寂しい。

ただ今は、”天才イチローと同じ時代に生まれ、生でそのプレーを見届けられた幸せ”を噛み締めることにします。これもまた野球界にとって”次世代のスーパースター”が産み出される胎動だと信じて

28年間、本当にお疲れ様でした!ありがとうございました!

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