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視聴者としてリアリティショーの演出に加担していたとするなら、

もうリアリティショーは見れないと思う。


ある悲しく衝撃的なニュースを知ってから約1週間。
やっとこのnoteが書けました。

何を書いても当事者や誰かを責めているようになってしまって、アップするか迷ったのだけれど、今現在の私の気持ちとして書いておこうと思います。

共感力が高い私なので、一日中このことについて考えたり夜もうまく眠れなくなったりしましたが、やっと気持ちが落ち着いてきたかな。

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ニュースを知った時、思わず「え!嘘!」と言葉が出た。
しばらく「え?え?」て頭の中が混乱した。

そして呆然とした。

亡くなった彼女の姿をネット配信で見るのは楽しみの一つだった。
ついこの間も放送を見て、これからも頑張ってほしいな、と思っていたからなおさらビックリした。でもあくまで私は他人でただの視聴者であるだけ。それなのに番組で仕事や生活、恋愛の話などリアリティ感のあるプライベートな映像を見ることで、遠い知り合いくらいの感覚になっていたかもしれない。

彼女が初めてハウスに来た時に「こんな可愛いプロレスラーがいるんだ!」とワクワクしたし、恋する様子を見れば「可愛いな〜」、泣く姿を見れば「そうだね、悲しいよね。」って共感していた。
そしてプロレスラーとして体は強くても、繊細で優しい子なんだろうなって。
だから例の事件はとてもビックリしたし、こんなシーン流しちゃって大丈夫なのかなと思った。
そしてリアリティショーに出るって大変だなぁと。
リアリティショーに出るってことはこういうシーンを流されちゃうのは仕方のないことで、本人も了承の上なんだろうなって。
今振り返れば残酷なことだ。

以前、こんなnoteを書いたように、私はこの番組を一視聴者として楽しんでいた。

出演者を通して、客観的に自分を見つめ直せる面白い番組としか考えてなかった。
でも一部の人間はそうじゃなかったらしい、画面の中で起きたことが全てだと思い、それを攻撃しなければ気が済まなかったのだろう。

誹謗中傷していた人たちは、巡り巡って自分を攻撃していることに気がつかないんだろう。それもとても悲しいことである。

台本はないけれど演出があったとするのなら、そして視聴率のために過剰な演出があったとするのなら、ただ見ている視聴者も加担していることになるのだろうか。

そんなことを考えて、数日が経った。



どうか安らかに。

ご冥福をお祈りいたします。

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