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私に「人生観」をくれた人

皆さんにとって、自分の人生に大きく影響を与えた人は誰ですか?
そして、その人からどんな影響を受けましたか?

私はこの2つの質問をすることが好きです。
これらの質問をすることで、その人が生きていく上で大切にしている価値観とか考え方が見えてきますし、それによってその人のことをより深く理解できるような気がするからです。

私からこの質問をされたとき、大体の人は
「え〜?よく分かんない。そんなこと考えたこともない。」
という反応を示します。

その度に「あ、ごめん…」と思うのですが、でも気になるので相手が答えるのを待ちます。
そして相手の答えを聞いて、納得し満足するのです。
(よくよく考えると めちゃくちゃ迷惑なやつだな。笑)


ちなみに、私の生き方に大きな影響を与えた人は2人います。

・中学1年生の時の担任(英語科)の先生
・アンジェラアキさん

が その2人です。


実は、今日は中学1年生の時の担任の先生のお誕生日🎂
ということで、今日はこの先生(M先生とします)について、書いてみようかなと思います。


M先生との出会い

私は中学受験をして、私立の中高一貫女子校に進学しました。

中学受験では奇跡を起こし、自分の実力より上の学校に進学してしまった感があったので不安でいっぱい。
同級生も、知り合い(小学校の同級生や通っていた塾が同じだった子)が数人いる程度で、ほとんどの人たちが「はじめまして」。
私の通っていた中高は関東全県から生徒が通っていたので、バックグラウンドも多種多様でした。

新品の制服に身を包み、期待と不安でいっぱいな私を担任として迎えてくださったのが、後に私に大きな影響を与えたM先生でした。
M先生はおっとりした女性の先生で、とても優しく、でも言うべきことはきちっと厳しく言う、そんな先生でした。

「初めての担任の先生がM先生で良かった。とても話しやすそう。」
当時の私は、そんな安心感を得ながら学校生活を送っていました。


M先生の授業

M先生の担当教科は英語です。
でも、M先生は実はフランス語の教員免許も持っていて、私が入学する前に行われていた高校生対象のフランス語の授業では、フランス語の先生として活躍されていたそう。
英語もフランス語もできる、素敵な先生です。

そして何より、字が綺麗✨
当時あまり字を書くのが得意でなかった私は、先生の書く美しい文字にいつも憧れていました。
どのくらい憧れていたかというと、先生から頂いた連絡の紙や付箋(普通は用が済んだら捨てるもの)をずっと大切にとっておいていたくらい!
(ここまでくると、もはや変態の域ですね😅)

…話が逸れましたが、M先生の授業はとても丁寧で、分かりやすくて、学習内容に交えつつ英語圏の文化などについても話してくださったので、とても楽しい時間でした。


でも…
こんなに素晴らしい先生に教わっていたのに、当時の私はとてもとても怠惰で、英語を舐めきっていた生徒でした。

実は私は小学校2年生の春から5年生の冬まで、イギリス英語を学ぶ英会話スクールに通っていました。
そこではグループレッスンを受けていたのですが、同じグループのメンバーの中でも(自分で言うのもおこがましいですが)私はできる方で、資格(といっても児童英検ですが)にもどんどんチャレンジしていました。
英会話スクールでの時間は本当に楽しくて、自然と英語が好きになり、簡単な会話であればできるようになっていました。

そんな背景があったことから、私は完全に学校での英語の勉強を舐めていました。

英会話スクールでうまくいったのだから、学校でも同じ勉強量でついていけるだろう。
だって私 英語得意だし。

そんなことを思いながら授業を受けていました。

私はある意味 真面目な生徒で、宿題を忘れたり忘れ物をすることに恐れを抱いていました。
なので、もちろん宿題はきちっと取り組みますし、予習・復習も欠かしませんでした。
必要最低限のことは、ちゃんとやっていました。
でも、必要最低限しかやりませんでした。


私の進学した中高の生徒たちは、私が思っていた以上にみんな頭が良く、勤勉で、誰にも何も言われなくてもしっかり勉強する子たちでした。
なので定期試験の平均点もいつも高く、英語は毎回90点を超えていました。(もちろん100点満点のテストで、です。)

そんな環境で、舐めた態度で授業を受けていた私。
最初こそ良かったものの、授業内容が難しくなるにつれて追いつけなくなってきてしまい、だんだん成績も下がってしまいました。

周りのできる優秀な友人たちを見て、
そしてだんだんと英語が分からなくなってきた自分を見て、
私は焦り始めます。

もう、「自分は英語が得意だ」という気持ちはきれいさっぱり消えていました。

私は英語ができない。
どんなに頑張っても、平均点を取ることすらできない。
私はだめなんだ。
頑張っても報われないなら、もう頑張ることをやめよう。

いつしかそう思うようになってしまい、努力することを諦めてしまいました。
もちろん、必要最低限のことはやります。
でも、本当に必要最低限のことしかやらなくて、今から思えば勉強量が全然足りていなかったなと思います。
こんな感じで、最初の半年を過ごしていました。


変わるきっかけ

秋になり、保護者面談のシーズンがやってきました。
私の通っていた中高では10月中旬に2日間ほど生徒登校禁止日が設けられており、その期間に担任の先生と保護者の面談が行われます。

子どもにとって、保護者面談の日は気が気ではありません。
親が先生からどんなことを言われるのか気になって気になって、せっかくのお休みなのにソワソワしてしまいます。


そしてついに、面談を終えて母親が帰ってきました。

「お母さん、面談どうだった?」
恐る恐る、私は聞きました。

そのとき母親から言われたことの大半はもう記憶に残っていませんが、唯一、とても強く記憶に残っている言葉があります。

母親が自分の娘(私のことです)にやる気がないことを相談した際、以下のようなことを言われたそうです。

やるかやらないか、やる気の問題は、本人が自分で気がついて「やろう」という気持ちにならないと仕方がない問題です。
本人が「やろう」という気持ちになるまで待ちましょう。

私はその言葉を聞いてハッとなりました。

このままじゃダメなんだ。
できない自分に絶望して、何もしなければ いつまで経っても変われない。
私、変わらなきゃ。

母づてに聞いた担任の先生の言葉が私の胸の奥に深く刺さり、この日を境に私は変わりました。
すぐには変われなかったかもしれないですが、変わろうと努力をしました。

そこで私が立てた目標は2つ。

①英語の学年末試験で90点以上を取る
②いつか英語の定期試験で平均点以上を取る

かつては自信を持って、楽しく学んでいた英語
尊敬する担任の先生に教わっている英語
そんな英語の力を、なんとか伸ばしたいと強く思いました。

それからは必要最低限だけではなく、小テストで満点を目指したり、基礎英語のラジオを毎日聞くようにしたりと、これまでサボってしまっていたことをひとつひとつ丁寧に取り組むようになりました。

そして迎えた学年末試験の返却日。
先生から手渡された答案を恐る恐る見てみると…

86点

ダメでした…。
あと一歩のところで、目標を達成できず、とても悔しかったことを今でもよく覚えています。

でも、よくみると「86」という数字の下に赤い字で何かが書かれていました。

よく頑張りましたね!!

その言葉を読んだとき、今まで自分なりに頑張ってきたことが蘇ってきて、思わず泣きそうになりました。
そして、「自分の頑張りを先生は見守ってくださっていたんだ…!」ということに気がついて、とても嬉しい気持ちになりました。

中学2年生では先生が違う人になるかもしれないけど、引き続き頑張ろう!
そしてM先生に絶対に良い報告をしよう!

そんな気持ちを抱いて、中学の1年間を終えました。




以上が、私とM先生との出会いです。

ちなみに中学2年生になったら英語の先生は別の先生になりました(J先生とします)。
J先生はベテランの先生で、めちゃくちゃスパルタな方でした(笑)

おかげさまで「先生が怖いから…😣」という理由で英語をますます勉強するようになり、
中学2年生の定期試験では一度も90点を下回りませんでした👏👏

そして愛のあるスパルタ教育を受けているうちに気がつくと英語が得意教科になっており、
将来は英語を使った仕事をしたい!!
という気持ちを抱くように。

J先生からも変な好かれ方をしてしまい、毎日の授業で指名されていないクラスメイトもいる中、私だけなぜか1日3回くらい当てられるように…😅
一度クレームを言いに行きましたが、「そんなことないでや。気のせいや。」と却下されてしまいました(笑)


それから

中学2年生以降は、またM先生に教わる機会もありましたが、M先生以外にもたくさんの素敵な先生方にお世話になりました。
英語のみならずさまざまな教科で、本当に素敵な先生方に恵まれました。


中学時代は

英語を使う仕事がしたい!
英語を使う仕事といえば、通訳…?
私、通訳になりたい!!

そう思って、毎日必死に英語を勉強しました。


高校1年の夏に、学校の短期留学プログラムを使ってカナダで2週間ホームステイをしたのですが、
そこで出会った日本人ガイドの方からもアドバイスをいただいて、「NHKのニュースを英語副音声で聴き、気になった単語や表現をメモして後で調べる」という勉強もしました。


そんなこんなで迎えた高校2年生の春。
そろそろ真剣に進路を考え始めなければなりません。

私はそれまでの人生を振り返って、

自分の軸が形成されたのは中高時代だな
英語が苦手だった自分を引き上げてくださったM先生やJ先生みたいになりたいな
特に、勉強だけじゃなくて、人生における大切なことを教えてくださったM先生みたいな人になりたい!

英語が使えて、そして大切なことを誰かに伝えられる仕事…
これは、学校の先生しかない!!!

そんなことを考えて、私は英語科教員を目指し始めます。


そして無事に現役で教育学部の英語英文学科に合格し、
公立と私立の教員採用試験も突破して、
新卒で英語科教員になって夢を叶えることができたのでした✨




私の人生に大きな影響を与えてくださったM先生。
実は私が高校1年生のときに産休を取られ、そのまま退職されてしまいました。
(先生の退職を知ったとき、ショックで大泣きしました😭)

しかし私はこっそり連絡先を入手しており、
高校卒業後は毎年先生のお誕生日にメールを送っています。

もちろん今日も、送りました。

先生はどんなに忙しくてもお返事をくださって、
いつでも私を励ましてくださっています。


昨年の今頃は、ちょうど精神的に一番参っていた時期で、

教員を辞めることは決まっているけど次の仕事は決まっていない。
働きながら転職活動を試みるも、自分のやりたいことや軸が見つからずうまくいかない。

そんな時期でした。

なので、去年はそんな近況を織り交ぜたメールを送ったのですが、
届いたお返事はとても温かく、先生の言葉が私の心にスーッと入っていきました。

メールの通知に気がついて内容が気になってしまい、思わず帰りの列車の中で読んでしまったので、他の乗客もいる中、ひとり静かに泣きました。


教員を辞めるということを伝えても、否定せず、温かく見守ってくださっているM先生。
私はそんなM先生のことが大好きですし、感謝の気持ちでいっぱいです。


教員として活躍し続けることは諦めてしまったけれど、
今度は新しいエンジニアというお仕事を通して、たくさんの人のお役に立てたら…
そう思いながら過ごす今日この頃です。



長くなってしまいましたが、
私にとって大きな存在であるM先生について書いてみました。

M先生と同じくらい、私はアンジェラアキさんからも大きな影響を受けています。
またいつか機会を見つけて、アンジェラアキさんについても書いてみたいなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!!

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