自由と責任の先生

僕は より自由に生きるお手伝いがお仕事

だから自由の先生でもある

何を教えているのかと言うと

『責任ってなーに⁈』

だったりする

責任とは

『誰が選ぶのか 誰が選んだのか』

と僕は定義してる

責任なんてとっても取らなくてもいいけど

責任取らなきゃ自由は絶対ないわけね

だから自由に生きたい人には絶対必須なこと

そもそも 誰が選んでもいいんだけど

自由に生きるなら 自分で選ぶしかない

自由に生きるとは自分で決めて生きること

となる

だからもし不自由で苦しいとか辛いとか感じるならば

自分で決めないで 誰かが 何かが決めてる

ってことになるんだ

誰かに決めさせることを自分で選んでるなら全然問題はないんだけど

誰かや何かに選ばせてせおきながら

苦しくなっり辛くなったりしたときに

自分で選ばせたことは無視したり隠したり忘れたりして

あいつのせいだ とか これがあったせいだ

とまるっきり自分には責任がないように振る舞うのが責任逃れなんだ

責任なんてとる必要ないからいくら逃れても全然いいんだけど

責任って無期限の借金取りみたいなもので

取らずに逃げると一生追いかけてくるのよ

雪だるま式に利子つけてね

それってそーゆー仕組みだから受け入れるしかない

その仕組み一つとっても責任は取らないと損だし

責任逃れは損でしかない

だから本当に自由に生きるには 

いかに責任を逃れて生きてきたかに気づくしかないんよね

何から逃げてるから 何に嘘ついてるから 何を間違えたから

苦しいのか

苦しさや寂しさや怒りの底には必ずそこに繋がる愛がある

本当は繋がりたいところに責任取れず 間違えて繋がれないから寂しいし悲しいし腹が立つんだ

だから潜在意識や感覚と対話するときはそこに気づくまで 粘り強く対話する必要がある

こんなことは僕が教えなくても 本当は社会や親が当たり前に教えていなきゃ行けないことなんだろと思う

めちゃくちゃ大事だけど 教えてる人がほとんどいない

だから責任が分からず 責任取れず不自由な人が多いんだ

教えている人がほとんどいないのもあるし 教えるのが下手だからなかなか理解されないことなんだけど

責任能力は自由に生きるには絶対不可欠な能力だから

ずーっと僕は伝え続けて教え続けるよ

自由に生きるなら責任取るの大好きじゃないと難しい

だから責任取るの大好きが当たり前になったらいいなと思ってる

自由に生きたくて 僕が好きで僕に習いたい人は習いにおいで✨

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