芽が出るところに自分を連れて行く

この前 自然農の面白い動画を見た

福岡まさのぶさんて人が考案したみたいなんだけどね

ものすごいたくさんの種類の種を泥に混ぜて

あちこちに投げまくる

そうするとその場に適した種が芽を出して育つ

これはこれが育つに違いないと勝手に決めるより

どこで育つかは種が知ってる だから巻きまくればなんか実る

この人の話はめちゃくちゃ面白いから探してみるといいと思うんだけど

今日は 自分を種としたら どこに責任があるだろうって話をしたい

さっきの話の面白いところは 種は条件が揃えば絶対に芽を出すと言うことなんだ

これをいつも話してる 自由と責任と嘘に当てはめるとどうなるか

種と人間は似ているようで似てない

種は条件では動けないから条件が揃うまで待つ以外にはないけれど条件は絶対に外さない

人間は自分で動けるけど 発芽の条件が良くわからない

僕がいつも話してる自由とは 芽が出た後の状態だと思うんだ

芽を出して自由に生きたいなら 芽が出るところに自分を連れて行く責任があるよね

だけどほとんどの人は 芽を出したことがないし

教えられることもないので

自分がどこで芽が出る なんの種なのかを知らない

だから芽が出せないんだと思う

僕が教えている自己対話は 

自分がなんの種なのか

どこでどんな条件なら発芽するのか 

と対話することも含まれている

自分がなんの種か知ってて 種が芽を出して 初めて自分を愛してると言えると僕は思うんだな

僕は最近芽が出たように思うから 

最近やっと本当に愛することに責任取れるようになってきたと思ってる

だから自由に生きる為の最初の冒険は

芽が出せない環境に身を置くことを辞めて

芽が出る環境に自分を連れて行ってあげること

僕はどこにいるから芽が出ないかは明瞭にわかるし

どこに行ったら芽が出そうかもだいたいわかる

それがわかるから教えられるんだけどね^_^

いろいろな段階やバリエーションはあるけれど

全ての魂は 基本的に発芽して循環することを望んでる

だから発芽しないと苦しいんだよね

発芽してないってことは 発芽したいって魂に嘘をついてることになる

種が発芽しないな腐って土になるか 食べられて誰かの栄養になる以外循環はしない

自覚のあるなしは別にしても

それって魂的にはありえない地獄だよね

自分はどの条件なら発芽して どんな循環をする人なのか

ハッキリわからないとそこに自分を連れて行くことはできない

たまたま 芽が出るところに流れ着くのを女性性の直感だけを信じて待ってもいいけれども

男性性をしっかりと使って 自分を理解して 自分が発芽するところを探して

発芽するまで自分を連れてって面倒を見てあげることが大事だと思うし

僕はその手伝いがしたいんだ

自分がなんの種かを知らないこと

自分がどの条件で発芽して育つのか知らないこと

それは自由に生きる為の責任を取ってないことを明瞭に示してる

知らないところには連れて行けないからね

運試し的に 運や天に任せて待つのも面白いとは思うけれど

自分を運んで育ててあげるアプローチが僕は好きだなぁ

なんにせよ 僕は自分がなんの種か知ってて

発芽して実って 実りを循環して生きる世界を見てみたいんだ

本当に繁りあい繋がりあって 自然に繁栄する世界が見たいし
それが僕の活きる世界

発芽してないのに発芽してると言う 

絶対に発芽しない嘘のドラマのマトリックスに生きるのは辞めて欲しいんだよね

発芽してないのに 発芽したつもりの夢を見ていきても別にいいんだけどね

自分がなんの種か どこで発芽して どんな条件で育つのかは

苦しさや悲しさや痛みなど 育たない条件をハッキリと理解することから始まると思う

とっても地味で面倒だけど 自分を発芽させるなら

絶対に外しては通れない道

縁のある人と楽しくあゆむために教えたいんだ

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