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『マリッジ・ストーリー』

Netflixでサクッと観てしまおうかと何度か思ったけれど、「ローマ」と同じ轍を踏むわけにはいかぬ…と我慢したのが正解。映画館で観るべき作品だよこれは…。2020年の一本目だったけれど、昨年中に観ていたら2019年の個人的ベストムービーになったはず。こんな作品を創ってくれるのなら、こちらは喜んでNetflixに金を払い続ける用意がある。大したお金はないけども。

恥ずかしながら「イカとクジラ」のノア・バームバックが監督だということすら知らなかった。そういえばあれも離婚と親子の関係性が主題の話だったな。もっと言うとアダム・ドライバーがパターソンだということには帰宅してからようやく気がついた。スターウォーズは一秒も観たことがないので分からないけれど、なにかと穏やかな巨人の役が似合う男だ。少しイブラヒモビッチにも似てるし。そんな感じで楽しみにしていたわりに予備知識が圧倒的に足りていないが、スカーレット・ヨハンソンの美しさを大画面で堪能したいというのが第一のモチベーションだったのでそこは仕方がない。

本質はとてもシンプルに見える物事がいつのまにか自分の手を離れてどんどん複雑で醜いものになっていく、そのどうしようもない居心地の悪さたるや。物、場所、時間、今まで当たり前にあったものが消えていくような感覚的演出が小さな破片のように散りばめられていて、いつの間にか鋭利な刃物となって観るもののメンタルにまで斬り込んでくる。奥さんから「今夜はどこに泊まるの?近くに良いホテルがあるわよ」なんて言われたらどんな心持ちだろう。結婚したことはないけれど想像もしたくない。
ストーリーも素晴らしいけれど、なにより役者さんの演技がズバ抜けて凄まじかった。積もりに積もった不満をぶつけ合うシーンは誰かの人生そのものに見えたし、決して嫌い合っているわけではないけれどもう一緒には居られない、そんな絶妙にリアルな距離感がスクリーンから染み出てくるようだ。人間はこれほどまでに演じることができるものなのか?と、このふたりが実際には夫婦ではないということが信じられないくらいのリアリティに終始圧倒された。言うなれば「迫真の演技」なんだろうけれども、そんな言葉ではあまりに陳腐じゃないか。

離婚映画界(そんな界があるのか?)の名作「クレイマークレイマー」では復縁の可能性も匂わせた終わり方になっていたけれど、本作の場合は「やっぱりやり直しましょう」なんて話にはなりえない。あれだけブチまけあっておいてそれじゃ台無しもいいとこだ。とはいえハリウッドみたいなド派手な展開が待っているとは思えないし、うまいことぼやかしてフェードアウトするんだろう、なんて高を括っていたら、見事にやられた。ほどけた靴ひもに気づいて結び直してあげる、そのさりげなさにこの映画の全てが詰まっている。無意識のうちに求めていたものをそのまま形にされたような、自分のなかで全てを腑に落としてくれる秀逸すぎるラストシーンだった。

恋人になった、もしくは結婚したからといって、そこには二人の人間が存在することに変わりはない。突き詰めれば別々の個体であって、当然それぞれの人生がある。相手をリスペクトするといってもいろんな形があるわけで、尊重しあっていたとしても、それがお互いの関係性にうまくマッチするとは限らない。100%分かり合うことなんて出来ない以上、相手を思いやるっていうのは口で言うほど簡単なことではないのだ。と、自戒も込めて。
そしてスカーレット・ヨハンソンは神。来世で女性に生まれたら絶対ああなりたい。

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