見出し画像

高校卒業生会報誌に掲載


今日は大分での試合。競技場に向かう道中で書いています。水曜日にJFLの実行委員会が久々に集合の形で開催されました。前週の理事会で、チームの理事は全員「実行委員」と名を変えることになり、新たに外部の有識者を中心に理事会が再結成されることになったのです。各チームの代表者が集まるのが「実行委員会」です。内容は記載できませんが、久々に皆様とお会いでき、懇親会でもとても楽しく会話が弾みました。今日のヴェルスパ大分との対戦も楽しみです。
アウェイの試合のPlayer!とブリオベッカ浦安公式アプリのテキスト中継は私が行なっています。JFLは浦安と大分のみがこの仕組みを使っているので、今節は設定はホーム側の大分さんがやります。いつもは設定から全て(相手選手の名前のアップも)していたので今日は気持ちが楽です。


福島県立安積高等学校

私が卒業した高校です。福島県では通称「安校(あんこう)」で通ります。郡山市にあるいわゆる進学校ですが、私の時代は男子校。当時の女子校は安積女子高等学校で、今は安積黎明高校となっていますが2001年にそれぞれが共学となりました。
さて、卒業生会は「桑野会」といいます。その桑野会の会報誌にサッカーのことを寄稿してくれとW君に頼まれました。そして先日その会報誌が送られてきました。後ほど記事全文を掲載します。

芥川賞作家「玄侑宗久」さんの隣とは!

同じ高校のOBの芥川賞作家の玄侑宗久さんがいらっしゃいますが、驚いたのは彼の寄稿の隣に私の記事が出ていることです。

玄侑宗久さんは先輩

安校の卒業生には著名な作家が何人かいらっしゃいますが、玄侑宗久さんはお会いしたことこそないですが、先輩ということで著作はいくつか読んでいます。彼の表題の「紫の旗ゆくところ」とは、安校の校歌よりもよく歌われる応援歌で、1年生の時に帰宅前の1時間ほど学校の隅に全員起立させられて完璧に節でそらんじるまで徹底的に応援団に教えこまえる。身じろぎしようものなら竹刀で叩かれる厳しいものでした。だから生涯忘れようとも忘れられない唄です。さすがに玄侑宗久さんの文章は作家さんらしい深みのあるものです。その隣に自分の文章があることを発見して思わず「あちゃ〜」と叫んでしまった。自分の文章はビジネスライクなので彼の思慮に富んだ言葉とは比較にならない。でも光栄だな、とも思います。

寄稿内容について

W君が私の日頃の活動を知っていて、「なんか他の人たちと違って面白い活動してるね。ぜひ卒業生にアピールしてよ」と連絡がありました。自分では卒業生全員向けの会報と思っていたけど関東圏の会報です。でも読者はとても多いはずです。安校は1884年創立で福島県で一番歴史のある高校です。自分はその91期。卒業生の数は計算できないけど自分がいた時には1学年10クラスだったので同期は350人ぐらいいる計算です。卒業生は3万人ぐらいいるのかな。
サッカーの「サ」の字もなかった自分がなんでサッカーに関わっているのか、そして何を目指しているのか、を書くことにしました。当時の自分はギター同好会だったし、汽車通と呼ばれ郡山市ではなく東北本線で通学していたのでスポーツ部に入る余裕はなかった。前の席にいたサッカー部の同級生ともサッカーの話をしたこともなかった。そんな自分です。
さて文章についての責任は全て私にあり、十分調査してない思い込みも多いです。間違いがあればご指摘いただければ自分の理解を改めます。過去の出来事も時効でしょう。不愉快な記述があれば事前にお詫びしておきます。

記事全文

Jリーグを目指して 谷口和司 91期

日本フットボールリーグ(JFL)をご存じだろうか?サッカーのカテゴリーはJ1を頂点にJ 2、J3と60チームがひしめく(福島県には2チーム)が、その一つ下のカテゴリーで唯一全国規模のアマチュアリーグがJFLだ。
日本には登録されているサッカーチームの数はジュニアを含むと2万6千を超える。大学生以上の大人のチームは4500。そのうち各地でJリーグを目指しているチームの数はどのぐらいあるだろうか?
答えはおよそ100。公言しているチームを数えるのは難しいので、各地域のトップリーグ(東北1部リーグなど)の数にJFLを加えると100ほどとなる。もちろんそれらのチームで目指さないチームもあれば、それより下のカテゴリーで目指すチームもあるのであくまでも「およそ」。
さて、それらのチームの中で2023年に最もJリーグに近づいたチームをご存じだろうか。それが私の経営する「ブリオベッカ浦安」である。JFL準優勝。優勝チームがJを目指さない企業チームのため「目指すチーム」としては繰り上げで最上位となる。本来ならJ3最下位のチームとの入れ替え戦に勝てば晴れてJリーグ昇格というルールなのだが、事情があって開催されなかった。というのも市内にJリーグの基準を満たす競技場がないため、J3クラブライセンスが交付されていないからだ。

サッカーに関わった経緯


なぜIT企業で働いていた私がサッカークラブを経営するに至ったかを少しお話ししたい。埼玉県の中学校ではサッカー部でサッカーに明け暮れた。しかし親の転勤で本宮一中に転校。当時本宮一中にはサッカー部がなく、「これでサッカーが出来なくなる」と人生初の絶望を味わった。その後サッカーを封印し、安積高校ではギター同好会でギターに励んだ。ちなみに大学時代はクラシックギターの学生コンクールで特別奨励賞をいただくまでになった。
大学卒業後はITエンジニアとして就職。その後アメリカ資本のコンサルティング会社やネットワーク企業へと転職をした。

千葉県浦安市に居を移し、息子が誕生して小学生に上がった時に妻と相談し近所のサッカーチームに入団させた。あの時の絶望を息子に託した感じだった。それが今のブリオベッカ浦安の前身のチームだった。私は保護者としてお手伝いをしていいたものの、だんだんと経営のサポートまで行うようになっていった。息子は中学3年で退団したが、親の私がクラブ経営にはまってしまう。そして2014年、当時勤めていたアメリカのIT企業を退職してチームの運営会社を設立。自分が代表取締役となりクラブを法人化してプロリーグを目指す活動を始めた。チーム自体は35年目となるが法人化して10年目となる。

チームの成長


息子が入団した当時の社会人チームは千葉県1部リーグだったが7年かけて関東サッカーリーグに昇格。その後紆余曲折はあったが2022年に全国大会を2つ優勝して2023年JFLに昇格。そして昇格初年度に準優勝をおさめたのだ。JリーグではないがJFLはプロサッカー選手も多く(当チームは半分がプロ契約)経営自体はJ3のチームとそれほど変わらない。アマチュアリーグながら全国遠征があり、当チームも130社ほどのスポンサーによって経営が成り立っている。2012年関東リーグ昇格時にはスポンサーの数は10社ほどだったが、地域の皆様にご支援をいただきながら順調に規模を拡大している。ちなみにアカデミー活動は千葉県トップクラスで630名が在籍。こちらも息子が入団した頃の倍に増えた。小学生から高校生までの全てのカテゴリーで千葉県のトップリーグにて活躍をしている。

クラブの価値とは


法人とはいえ、クラブの経営は一般企業とは大きく異なる。企業は利益を追求するが、我がクラブチームは地域に希望を与え、地域を一体にするために活動をしていると言っていい。プロ選手には給料を支給し、全国遠征するためにはかなりの費用が必要だが、実際に利益はほぼ出ない。価値は「どれだけ地域の皆様に愛されたか?」だ。サッカーが強いだけではだめなのだ。年間100回近い地域貢献活動をこなしている。子どもたちにサッカーを通じて人間力を養い、将来社会で活躍できる人材育成をしていると胸を張って言える。数年前からは全国高校サッカー選手権やJリーグで活躍する選手も出始めた。

浦安市は東京都に隣接し都内に通勤するビジネスマンが多い。京葉線近くには高層マンションが多く建っており、市外から転居してきた方々が多い。そんな街にJリーグがなぜ必要なのか?(注:もちろん昔からの住民もたくさんいらっしゃいます)
実は都内に通うビジネスマン達は地元愛が希薄な傾向があるのだ。自分がそうだった。仕事が終わると都内で飲んで、家には寝に帰り、週末はせいぜい子供達と公園で遊ぶ程度。地元選出の議員さんの名前も知らず投票にはあまり行かない(以前の私の話だ 注:今は地元民を自認しています)。

ご存じのように浦安市には日本を代表するテーマパークがある。ところが長年住むとあまり行かなくなる。私も自転車で行ける距離だが10年間で一度も行っていない。テーマパークは街を(というか日本を!)代表してはいるが市民の中心とは言いがたい(注:ちょっと言い過ぎですがご容赦を。市民はみんなテーマパークが大好きです!)。
名前も「東京XX」だ(注:ホテル群もほぼ「東京」という名前がついている)。そんな街にJリーグがあったらどうだろうか?みんなが熱くなって街の名前を連呼して「おらがチーム」を応援する。この瞬間は間違いなく市民が一体となる。そして地元愛を育み、その結果街を洗練させ発展させるのだ。

経営と現場


自分はサッカーの経験はほぼないが、企業で培った営業、経営、組織運営の力を出してJリーグを目指すクラブを経営している。クラブの監督は都並敏史。ある程度サッカーをお好きな方はご存知だろう。Jリーグ発足の時代に日本を代表する選手であり、Jリーグの監督経験があり、今でも解説者としては高い評価を受けている。二人で「経営」と「現場」それぞれ責任をもって統括している。

しかし順風満帆ではなかった。毎年のように達成不可能と思える難題に向かいながらも地域の皆様と知恵を絞って乗り越えてきた。大きな赤字を計上したこともあった。ある年は「Jリーグを目指すな」と(過去の)市長に釘を刺されたこともあった。
JFLは天然芝での試合が義務付けられており、一昨年までは人工芝の市内の競技場(ネーミングライツでブリオベッカ浦安競技場と命名)で試合をしていたがJFL昇格とともに市内での開催ができずに千葉県の競技場を転々とすることになった。一番遠い競技場は市内から車で2時間もかかるのだ。ホーム開催でありながらアウェイ遠征のような状態が続いている。
幸い現市長や議員の皆様は我々を積極的に応援していただいており、Jを目指すことにも好意的であることは付け加えておく。

ここからはあくまでも夢を語る


我々は単にJリーグを目指すのではない。地元の子供たちの目標を作りたい。地域の皆様が一体となりそして熱くなれる試合を行い地域愛を深めたい。日本一アクセスの便利な競技場を作りアウェイのお客様が日本一お越しになるスタジアムを作りたいと夢は広がる。
最後に安積のOBでは現役選手の吉田君のお父上の吉田弘倫さんが95期。毎回ボランティアに駆けつけてくれる遠藤立郎さんは97期。
安積卒業生のサッカーを愛する皆様、一緒にJリーグを目指しませんか?サポート、スポンサードなどご連絡お待ちしています。







写真は天皇杯2回戦で横浜Fマリノスとの試合




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?