らも、と、小田嶋
コラムを読んでいる、中島らもと小田嶋隆。どちらもアル中、ただし、小田嶋氏はしっかりアルコールと縁を切った。けど、65歳の若さで亡くなった。
一方、中島らもは、何度もスリップ(酒飲みに戻る)して、予言通り、泥酔して階段から落ちて頭を強打して亡くなった。52歳の若さであった。
らも氏は小説も書くけど、どちらもコラムが秀逸。日々を早く遣り過ごしたい状況の時、コラムを読むのは有効だと思う。2時間前後の配信映画を観る集中力はないから。
その点、コラムは気楽な暇つぶし。どこからでも読めるし、面白くなければすっ飛ばせばよい。とにかく、時間を遣り過ごして、次の日を早く迎えたい。
翌日に気分が良くなる可能性はわからないけど、低空飛行の今日よりはマシになっていると信じたい。
で、二人のアル中作家のコラムを取り換えひっ替えで読んでると、なんだか日本酒とウイスキーをチャンポンで飲んでいるような気分になる。どちらも面白いけど、毒が効き過ぎている。
特に、完全に断酒した小田嶋氏のアルコールに対する私怨は強烈。20年間も飲んだくれだった人が良く言う(書く)わ!と突っ込みたいのだけど、コラムニストだから、徹底的に論破してくる。
今となっては、私もほぼ同意見なので納得するけど、酒飲みが読んだら、さぞや不快になると思われる。
何を言っても飲む人は、死ぬまで飲む。無駄だから説得したり、飲まない価値観やメリットを押し売りする気持ちは毛頭ない。どうぞ酒を楽しんで欲しいと思う。
けど、飲まない人(飲まなくなった人)にカラむは辞めて欲しいし、こちらからも関わるのを拒否します。酒飲みの言うことなんか聞くだけ時間の無駄だから。酒飲みだったから、そうだったから。
ゆえに、一昔前だったら考えられなかった『嫌煙権』なる価値観の次にやってくる(もうすでに存在しつつある)のは、『嫌酒権』。
断酒できなかった中島らもでさえ書いている。
よし、飲もう。ただし、今日じゃなくて明日飲もう。
気分障害はかなり持ち上がってきた。だって、3時半にパッチリと目覚めて、こうしてカシャカシャとキーボードを軽快に打ててる。そしていつも思う、あの鬱状態って、何だったのだろうと。
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