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新小説を投稿するにあたっての所信

私は長年、小説を書いてきました。
しかし、これは何の自慢にもなりません。
成功にいたらなかったのは、センスがないのに書き続けたことにほかならないからです。

私の書く物語は、どうも商業出版向きではないようです……。
そういう審査結果が何度も下されましたから。

異常な世界観というのが、どうしても書けないからかもしれません。
私は、突飛な設定や常軌を逸した人物に、まったく興味が持てないのです。

よく、連続殺人など凶悪事件の犯人に対し『動機を知りたい』とインタビューに答える人がいますが、私はそうは思いません。
そういう人間の発言の、何が信じられるというのです?
少なくとも動機を聞くべきは、ソイツではなく事件を審理した裁判官にすべきで、もし本当に知りたいなら、裁判記録を読むべきです。

ソイツが拘置所でしたためた犯行の全貌を明かしたなんぞいう本なんかを、買ったり読んだりするなんてもってのほかです。
そのときわれわれがすべきことは、売れ残ってうずたかく積まれた本を、写真に撮って、SNSで盛り上がり、祝辞を添えて発行元である出版社に送信してあげることでしょう(おめでたい会社ですから本気で喜ぶかもしれません)。

実は、ごく平凡な日常の、まっとうとされる人間の中にこそ、サイコパスにも劣らぬおぞましさが潜んでいるのです。

正直、私にとっては先に触れた『(凶悪犯に対し)動機を知りたい』と安直にインタビューに答える人も、そのうちの一人です。
そう思うのが当然であり、自分が変なことを言っているなどとは、決して顧みないからです。

逆に、ありふれた市井しせいの人間である二人の会話の中に、学者でさえ到達できぬ、この世の真理が白日の下になることだってありえるのです。

いかん、冒頭から話が横道に逸れてしまった(苦笑)。

先に本旨を述べておきましょう。

私は来年、1万5千字ほどの短編を、1000円で販売します。
今後この場で発表する小説も、それが基準となるでしょう。
安心してください、はいてま……いえ、短編が売れなければ、追加で発表することはしませんから(笑)。

※ちなみに、なぜエッセイの有料記事が500円なのかは、当該記事の中で触れてあります(宣伝しとかないと)。

それでは、あらためて話を始めます。

[note]内にも、それなりに、小説を書き、発表している人がおられます。

ただ、[note]はあくまで宣伝に用いて、稼ぐ方法としては、[Kindle]で売っている作品(書籍もしくは電子書籍)に導き、購入を促すことが多い気がします(チラッと見ただけですので、確かなことは言えませんが)。

[note]内のことを詳しく分析されている方も、『素人作家の小説が[note]で読まれることはほとんどなく、収益化を目指すなら、集客の術として用いるべき』と語られています。

『金を払って』という犠牲を強いられるなら、[note]内で読まれることは、なおのこと限られるでしょう。

実は、[Kindle]への作品登録も何度か考えたことがありました。

大手出版社が運営元である小説投稿サイト[NOVEL DAYS]も、わざわざバナーを貼って、[Kindle]出版を推奨していましたから(今はしてない模様です)。

が、することはしませんでした。
そもそも母体である[Amazon]を、私がほとんど利用しない人間であること。
それに、[Kindle]で稼ぐには必要な(?)[Amazonアソシエイト]なんて、登録どころか審査すら通らないでしょう。全然利用しないので。今後利用するつもりもないですし。
※この一文をもって、そも、[Amazonアソシエイト]とはどういう仕組みなのか知らないことが露呈したかもしれませんね。

それに、著作権を譲渡しないにしても、大きな会社(特に外資)に掌中の珠を預けると、ろくなことにならない気がするのです。
まったく売れない状況が続き、作品を引き上げようとしても、完全に手元に帰ってくるまで、大変な手間を要する気がします(些少であれ、金銭がからむとそうなりがちです。内容は消せてもデータ上は残ってしまうなど。あくまで主観ですので、間違っていた場合はご容赦願います)。

その選択は間違いではなかったと思っています。
だって、今、直に売れる場所を見つけたのですから。

※正規の額で小説を売っている人なんて、[note]にはめったにいませんけど。ましてや、短編一編1000円なんて。

膨大な量の宣伝をしないと売れない小説なら、最初から売るつもりも、読んでいただくつもりもありません。

青臭いことを言いますが、私は読む意義のある小説を――読み捨てられるのではなく、繰り返し読んでいただけるものを――書いているつもりです。
長年書き続けてきた今も、その旗幟に変わりはありません。

その一方で、『きっと心に響く小説だから、是非読んでください』なんて口が裂けても言えません。

あるアーティストがこんなことを言っていました――
「『見逃すと後悔するライブになるから、無理してでも来たほうがいいよ』なんておれは言えない。その日やその日までに、何が起きるかなんて誰にもわからないのだから。『いいライブだった』とは言えても、『いいライブになる』なんて無責任なことは、金を払って来てもらう人たちに向かって言えない」と。そういう方のライブこそ、絶対いいライブになるはずです。

私が言えるのは、あなたが、これまでに公開している私の作品を読んで、お気に召したのであれば、お読みいただく価値はあると思います(変わらぬ趣旨を貫いていますから)。
ただし、私が書いた小説はすべて、私が心血を注いだものであり、私なりの判断で値段を付けさせていただいております。
これを高いと思うか安いと思うかは、相対評価ではなく絶対評価でお決めいただくことを望みます。
なお、価格が価格ですので、相応の価値はないと判断された人には、返金対応を受け付けております([note]の規約に則った上でにはなりますが)。

もっと安直な言葉でいうと、短編一編1000円が意味するのは、私の主戦場がココだということです。人生を賭けている以上、厳しくともこの戦いに挑まねばなりません。

※仮に100円で発表当初に数人に売れるくらいで終わるなら、1000円で最後までまったく売れなくていいとさえ思っています。おそらく、ほかの人にならって無思慮に価格を100円にして数回売れたら、きっとのちにその金額を払っても(数倍払ってでも)なかったことにしてもらいたいはずですから。

素人作家が大風呂敷を広げてのたまっていますが、私は安心しています(笑)。
膨大な登録者のいるこの[note]で、存在を消すことほどたやすいことはないのですから。


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