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[Laputa]――『私が愛したヴィジュアル系』

〈1827文字〉

[Laputa]を紹介します。

私が好きだった時期の音源は以下です。

1995.02.24 Al『眩~めまい~暈』
1996.02.25 Al『眩めく廃人』
1996.09.30 Sg『硝子の肖像』※メジャーデビューシングル
1996.10.23 Al『蜉~かげろう~蝣』
1997.05.28 Sg『eve~Last night for you~』
1997.06.25 Al『絵~エマダラ~斑』

ちょっと書くのが怖いですね(笑)。

私が知るかぎり、V系の中で最も熱狂的なファンがいたバンドでもあります。
インディーズ時代のライブ会場は興奮のるつぼだったといった話を聞いたことがあります。ライブ中、ライターの火がかなかったという伝説は有名ですね。

三枚のベストアルバムのほかに『眩~めまい~暈』『眩めく廃人』『蜉~かげろう~蝣』『絵~エマダラ~斑』(それと『私が消える』)を持っています(『私が消える』は[Laputa]の音源の中でも異質のため別枠扱いしています)。
個人的には『眩めく廃人』『蜉~かげろう~蝣』が最高傑作のように思います。

正直、このバンドは優秀過ぎて、書くことが思い浮かばないほどです。

曲単体でいうと『木洩れ陽』が一番好きです。

少し、目線を変えましょう。
どのバンドもそうですが、インディーズからメジャーに上がる時期が、私は一番好きですね。
周囲の期待に対する、バンド側の奮起が見られるからです。
特に一昔前のバンドは、メジャーデビューにあたり、ロケット並みの加速噴射が必要な時代でしたから。

今のように、『エッ、あ、そう、メジャーに行ったんだ。でも、もしダメだったらインディーズに帰ってきたらいいし』というわけにはいかなかったのです(今でもメジャーに行くことは大変すごいことですけど)。
当時は、バンドをするからには必ずメジャーを目指さねばならず、そのうえで、どれだけ長く下積み期間があったとしても、メジャーで売れなければ即解散の時代だったのです。

現在のように、インディーズに居るほうが束縛されないし、リリースに関する制限もなく、収入的にも問題ない、などという時代が来るなんて及びもつかなかった時代です。
また、一度メジャーデビューしたバンドが、インディーズに戻るなんて、恥さらし以外の何物でもないと思われた時代でもありました。
いま考えると『もったいない』以外の何物でもありません。
振り返れば、後朝きぬぎぬの別れに似たものを感じずにはいられませんでした。ファン以上に、きっとメンバー自身が、バンドに対してそういう想いだったのではないかと思います。
近年、昔のバンドの再結成が多く見られるのは、そういう事情もあるのです。ぜひともエゴイスティックにとらえるのではなく、そういう事情もくみ取ってもらいたいものです。

一昔前の、力仕事や手を汚すバイトをしながらも本気でバンド活動にいそしむバンドマンに、『安定』を求めるなどという考え方は毛頭ありませんでした。
あるのは常に、売れなければ『死』――すべてを失うという感覚でした。
『コール&レスポンス』? 冗談じゃない!
彼らが観客に求めるのは、口にこそ出しませんが『きさまたちの使命は、おれらをメジャーに上げることだ』その一点でした。

私はバンドマンではありませんでしたが、当時は音源やアー写、フライヤーなどから、そういう感覚がひしひしと伝わったものでした。

そして今、その感覚は、小説家志望として、切々と、痛みすらともなって、わが身に感じています。

いいですか、私は書きながら、こう言っているのですよ!
『おい、きさまら。きさまらの使命は、アクセス数を上げて、おれの認知度を高め、このサイト内におれの存在を知らしめ、どんな下っ端な出版社でもいい、おれを作家デビューさせることだ』と。

なんだぁおい、荒肝をひしがれた顔しやがって。
おれが『読んでくれただけでうれしいです』とでも言うと思ったか。
きさまらに最後、この曲をおくるぜ。
キケェェェ――『奈落の底』!

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追記。
推敲こそ重ねましたが、この記事の第一稿を書いたのはもう何ヶ月も前のことです。

2023年8月29日、vo.akiさんが逝去されました。

貴方と一時代を共有できたことに、心から感謝申し上げます。
貴方の声と楽曲は、永遠に私たちV系ファンの中で生き続けます。
おこがましいことは言いません。
書くべきか書かざるべきか悩みましたが、ただそれだけはお伝えしたくて……。