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連載小説 hGH:10 



 ペナントレースの優勝マジックが一になった。
 私はきょうの自軍の試合をGM室の大型モニタで観戦していた。ビジターのナイトゲームで見事な逆転勝利をおさめた試合だった。今回の遠征は、スケジュールの都合上チームに帯同せず、地元に残って球団業務をこなしていた。遠征中のすべての試合に勝っても優勝は決まらない状況だったこともあり、むりにスケジュールを調整する必要はなかったのだ。
 逆転勝利とはいえ、きょうの試合も勝つべくして勝ったという内容で、チームは変わらず好調を維持している。マジックが一になっただけではなく、現在二位のチームとのゲーム差はかなり開いていて、ペナントの優勝はほぼまちがいない。移動日をはさんで明後日からはホームでの六連戦がはじまる。よほどのまちがいがない限り、今週中に地元で胴上げをすることができそうだ。
「だからといって、選手、首脳陣、裏方のスタッフもふくめて現場には油断をさせるな。野球に絶対はないし、ペナントの優勝はあくまで通過点で、クライマックスシリーズ、日本シリーズと、シーズンはまだまだ長い」
 私は柴田にいった。GM補佐の柴田も今回の遠征には帯同しておらず、きょうの試合を私とふたりでテレビ観戦していた。
「わかりました。ヘッドコーチに、チームを引き締めるようメッセージを送っておきます。現場のほうでも、一度気を抜くと、ずるずると悪い方向へ流れが傾くことがあるとはわかっていると思いますが」
 うちのヘッドコーチは、球界でも有名な鬼軍曹だった。よくも悪くも昔ながらの野球人だ。過去にさまざまな経験をしていて、そのあたりの「勝負の流れ」も充分心得ているだろう。すでに選手を集めてなにかしらの言葉はかけているかも知れなかった。
「クライマックスシリーズの戦い方、チームとしての戦略、選手、とくに投手の起用法の詳細は、対戦相手が確定してからまたあらためて詰めようか」
 柴田はうなずいた。対戦候補のふたチームはほぼ決まっている状態だが、どちらとさきに対戦するかはまだわからない。
「相手チームの分析、現状の自軍戦力の分析、私なりにまとめておきます」
 柴田がそういってGM室をでていくと、私は自分でコーヒーを入れ、ソファに座って背もたれに深く体を預けた。あしたは移動日で試合がなく、チームは一日休息を入れられるのだが、今シーズンの締めにむけてGMとしての業務は山積していた。コーヒーを飲みながら、頭のなかで今後の予定を整理した。まず、ペナントレースは優勝する。その後のポストシーズンをどこまで勝ち進むことができるのか。途中で敗退した場合と、最後まで勝ちきって日本一になった場合では、当然球団としてやることは変わってくる。われわれはそのすべての想定を事前にしておかなければならず、そしてそれは勝敗が決するまで確定はできない。
 ひと通り今後の想定をすると、こんどは今季の球団運営をふり返った。
 今季はシーズンがはじまる前からさまざまな問題が起き、それに対応した。hGHを使ったドーピングに手を染めていた井本を急遽引退させ、そのまま人気青年監督としてチームの看板に据えた。その急遽空いた選手井本の穴埋めに米国からベンソンを引っ張ってきた。年俸は予算を超えてしまったもののベンソン獲得は当初大成功で、井本の穴埋め以上の働きを見せたが、妻の性癖が原因でシーズン途中に突然帰国退団してしまった。そのベンソンの穴は、柴田の強い推薦でオフにトレードで獲得していた富樫が、これもまた充分すぎるほど埋めた。
 自軍のことながら、いろんなことがあったな、というのが率直な思いだ。これだけさまざまな事案に直面しながら、チーム状態はシーズンを通して高いレベルで安定していて、ペナントレースの優勝をもうじき決めるというところまできている。
 しかも、シーズン途中で退団したベンソンには、当初契約した年俸の約半分の支払いで済んでいる。その穴埋めの富樫の年俸は三千万ていどだ。ベンソンと富樫のふたりを足しても、昨季の井本の年俸より安く済んでいる。
 球団運営の費用は抑えられ、チームの成績は上むいた。井本のhGHを使ったドーピングの懸念はなくなり、むしろ井本は人気監督としての地位を築きつつある。
 結果的には、球団としてもっともいい形でシーズンの終盤を迎えている、ということだ。
 正直、出来すぎだった。ピンチがすべていい方向へ転換していた。
 そこまで考えて、私はふと思った。いくつか引っかかることがあった。それがいま唐突に頭のなかで繋がった。今季球団運営は成功したといっていい。私としては、たしかにその都度それなりの対応はとった。巡り合わせがよかった、とも思っていた。だがいま考えると、やはりうまくいきすぎのような気がした。すべてが偶然だとも思えなかった。どこか必然の部分があるように思えた。
 答えは、つねに私を側でサポートしている、GM補佐の柴田が知っている気がした。
 私は、いくつか柴田に訊かなければならなかった。



 マジック一で迎えたホームのナイトゲームの当日、私は選手たちよりも早い午前中に球場入りした。


 続 hGH:11



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