2曲目ですっかり骨抜き状態になった事実を打ち明けよう

THE FRUSTRATED

はい、今回のツアーの2曲目。そういえば、こんなにもかっこよくて、GLAYの魅力がぎっしりと詰まっているような楽曲に光が当たっていなかったのか。リリースされた当時、あまりにもそのかっこよさが大人すぎて、眩しかった記憶がある。アルバム曲にも関わらずMVがあって、それがまたGLAYのかっこいいところの全部盛りのようで(しかし、Buddy(旧呼び名:相方)からその事実を知らされるまで、すっかり記憶の彼方だった。彼女はアウトロ手前のTERUのファルセット後のニヤっとする顔がたまらないそうだ)。
繰り返しになるが、なぜこの楽曲がゴースト的存在なのか。これを機に、ライブの定番になってもよいのではないだろうか(ついでに「嫉妬」も)。

まず、楽曲全体が纏う雰囲気がかっこいい(語彙力よ・・・かっこいいを別の言葉に置き換えられぬものか。。。)。トーンは低め、ベースがドッドッドと土台を築き、その上に自由なギターが2本、別のベクトルで動く。この楽曲、それぞれのギタリストのイメージとは逆を弾いているから、そのミスマッチ感というか、歯車がはまっていないような不穏な感じがするのだろうか。私の感覚の話だろうが。
そうそう、この楽曲は作曲者が「konbinat-12」というTAKUROとHISASHIのギタリストコンビなのだ。作曲の共作はGLAYの中でも珍しい。だから、GLAYの持つポップさを消し、あえてトーンを落として楽曲が展開していく感じ。もちろん、だからと言って盛り上がりがないわけではなく、TERUの魅惑の低音と、低音の色気をまとったままの高音も太く太く響かせる。

今回のライブでも痛感したが、TERUの持つ声の可能性はどこまで広がりがあるのだろう。ライブにおいては、基本的に後半になるほど、喉の開きが良くなり、高音の太い声が伸びやかになっていくし、激しい曲の時には、胸にストレートにすごいスピードで突っ込んでくるような感覚にすら陥る。
ただ、この楽曲は2曲目。それなのに、

LOOKING FOR THE REAL ENEMIES

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

の歌詞の声の伸びやかさよ。
心の奥にズドンと響いて、ザッと背中に涼しいものを感じた。
何か、吸い取られたような感覚。この歌声をもらった代わりに、自身の体の一部を差し出さねばらならないと思ってしまうような声。
まだまだ、彼らはステージの幕の向こう。
それなのに、すっと私の中に入ってきて、ぐっと体の中心のものを掴む。
マスクのせいもあるだろうが、ちょっと息がつまるような感覚。
でもね、決して苦しいわけではないのさ。それくらい、楽曲と演奏と歌声の全ての魅力が揃っている。

あぁ、しばらくはこの表現しがたい感覚に縛られたままになるのだ。


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