ベテランバンドによる「はじまり」とは何かを考える

はじまりのうた

TERUが作る楽曲は、本当にキラキラしている。眩いばかりの時間じゃないことはわかっていながらも、TERUの楽曲に触れている時だけは、黒い気持ちも霧がかかった視界も、開かれていくような気になる。
でも、ただただ美しい物をだけを書き綴っているわけではない。そうでないtことや気持ちをキラキラしたものに変える力が備わっているということだ。
今にも崩れそうなものや弱い気持ちを立て直すのに十分なエネルギーをくれる。それはある意味での中毒性があるとも思う。だから、弱りそうな時はもちろん、しばらく立ち上がることが難しい時には、TERUの楽曲の中に飛び込む。そこに束の間、頭だけでも突っ込んでおくができれば、立って歩いて帰れるくらいは充電ができる。その機能が備わっている限り、何度でも起き上がり、少しずつ前進していく。

そして、このタイトルよ「はじまりのうた」。これを25年戦士がサラッとタイトルにして、全力で歌い上げるもんだから、充電どころの話ではなくなる。もはや誰かに分け与えられるほどの蓄電までできる。
それを楽曲としてリリースして、それがちゃんとリスナーに届くのは、そこに嘘がないから。TERUが本当に「はじまり」だと思っているから。終わりに向かっていくのではなく、「はじまり」からスタートしていく。まだまだやれるよというメッセージ、しかと受け止める。

これもまた、まぁサビが高い高い。そして、これもカラオケで歌ってみて初めて意識したが、リズムの取り方とか、小刻みに音が動いていく感じとか、メロディーラインの音階とか、難易度の高い要素が敷き詰められている。
サビのファルセットと地声の使い方とかは、さすがプロだなと当たり前のことに感心してしまう。ボーカル泣かせの楽曲、それをボーカリスト自ら生み出すところにTERUの音楽に対するリスペクトや信頼を感じる。自分が歌いやすいものを歌うのではなく、相手を考えて作る。小手先のテクニックに任せるのではなく、体全体で伝えたいことをまっすぐ伝えていく。その姿勢にファンは歓喜するのだ。ファンのことを本当によく考えてくれているバンドだ。

イントロでスッと弦の音が現れて、小さなリズムを刻みながら、周りの音たちを拾い集めていく。それぞれの音の粒の時は、一音一音が主張をしながら、それが集まって爆発する瞬間を待っている。Bメロあたりで小さく爆ぜて、より多くの音とともに大きくなっていく。隕石が磁力でまわりのものをひきつけるかごとく。そして、それはバーンとサビで大輪の花を打ち上げる。TERUの楽曲で主役になる「空」に向かって、しっかりと打ち上がる。サビで見せるたくさんの表情は花火に似ているかもしれない。見る場所や角度によって見え方やさまざまで、でも見上げる人の心に「何か」を残す。

TERU楽曲は、最後にAメロ的な終わり方をする楽曲が多いのは、そこからまた始まるっていくことを意味しているのかな。

#GLAY #はじまりのうた #感情が揺れ動くようなベースも聴きどころ #ダイヤのA

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