心臓の音か、ベースの音なのか。
LOVE IMPOSSIBLE
2005年には、少なくとも原型というか、元となる楽曲は存在していて、世に放たれたのは2013年。実に8年ほどの寝かされて、時を見て、リリースされた。「GLAY×EXILE」として、産声をあげた「SCREAM」同様、EXILEと共に歌うことをイメージされて作られた楽曲らしい。そう言われてみれば、ダンス要素もあるのか?と思ったりもするが、結局のところ、この楽曲ではないと判断されたわけなので、EXILEがダンスをするイメージはもたれなかったということだ。
でも、やっぱりいわゆる「GLAY節」の中に、多少なりとも、ダンスっぽい要素があるようにも思う。GLAYの楽曲で誰かが踊っているのを見た記憶はあまりないが、でも楽曲的には、ダンスとの相性は悪くないはず。だれか、ダンス動画でもアップしたら、ライブの1曲くらいステージで踊るなんて機会が巡ってくるのでは?なんて、思ったりもして。TAKURO(だっけ?JIROだっけ?)は、生まれ変わったら、ダンス踊れるようになりたいって言っていたし。GLAYが「Love so sweet」や「夏祭り」をカバーした時も、ダンサーいっぱいステージ上にいたしね。
なんて遠回りな話はさておき、本題へ。
ダンスチューンだなんだかんだは関係なく、私はこの楽曲が好き。TERUの声の色気が詰まっているから。こういう感じの楽曲のTERUの色っぽい声には、色々な種類がある。本人は無意識のうちに、その色気の使い分けをしていると思う(意識的にやっていたとしたら、その策士っぷりも好き)。
そして、そのTERUの色気のある声を支えるベース。いきなり妖艶さを纏ったベースから始まり、TERUの声が横から飛び込んでくる。その余韻が残るようなベースがその後も、楽曲の中の方で目立たずとも、存在感を残しながら響いている。この楽曲を支えながらも、自身がちゃんとそこにいることを気づかせるようなベースのナチュラルさと妖艶さが混ざり合った感じは、GLAY楽曲の中にも少なくないが、こういうタイプの楽曲の中では、ひときわその存在感が色濃くなる。
楽器としてのベースのことはよくわからないが、たいていライブで聴くときには、ベースのラインが胸の奥のほうに入り込んで、一緒に心臓を動かしているような感覚に陥る。だからこそ、ライブに行くと一層ベースの音に恋をしてしまう(最近街中で不意に聴いたジャズもやっぱりベース音に一瞬にして心奪われた)。
ライブだとなかなかノリが難しい楽曲であるが、直立不動で、TERUの歌声とその隣で妖しげにTERUの歌声を支えるベースを聴くスタイルを貫くのが私の中の正解。
#GLAY #SCREAM #GLAY ×EXILE #LOVEIMPOSSIBLE
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