「蜂起した日を決して忘れない」から始まる楽曲の結末を

祝祭

人間どもはいつも最後の最後に間違える
それでも愛しい Freedom Only

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GLAYらしい表現で「祝祭」という楽曲を締め括っている。ここに、否定だけで終わらせるのではなく、救いを残す。音楽とはそういうものであることを伝えてくれる。絶望を絶望で終わらせるのではなく、そこに希望を託す。だからこそ、人の心を動かすのだ。

少し話は逸れるが、先の文章を書きながら、先日読了した本のことを思い出した。中山七里氏著の「いつでもショパン」という作品。
(この後ネタバレあり)

この作品の最後は、ショパンコンクールでとあるピアニストの奏でた「ノクターン」により戦線が緩和されたという感動的な話で幕を閉じるのだが、実は、このノクターンを奏でることになったのは、ある意味での戦争(大人の理不尽なエゴ)によって命を奪われた幼き少女への鎮魂が理由なのだ。
戦争によって奪われた戦争とは無関係の命への弔いの演奏は、戦地で戦う兵士に武器を降ろさせた。

エンタメは不要不急だと言われ続けた時期があったが、兵士に武器を置かせるもののどこに不要といえる理由が存在するのか。
確かに人間が生み出したものが、人間を不幸にすることは往々にしてある。兵器なんてまさにだ。
一方で、「いつでもショパン」にせよ、「祝祭」にせよ、人間が創造したものは、人間を救う。人間を非道さから引き上げる力を持っている。音楽はその際たるものであることを改めて思わせてもらった。

話を「祝祭」に戻そう。この楽曲がリリースされて1年も経たぬうちに、海外で戦争が始まった。2年経った今も終わりが見えない。
遠い国の当事者ではないバンドが作った楽曲だが、今こそこれを届けたいと思うのは、このバンドのファンのエゴでしかないかもしれない。でも、それでも、ものすごく心を痛める人が書いた楽曲は、その地で戦う・闘う誰かの力になるはずだと願わずにはいられない。

全ての兵士が武器を置く時 
僕らは知るだろう 命の意味を
あなたに託した その小さな種はやがて
父なる荒野を花で埋めるだろう

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この詞を書く人が生半可な気持ちなはずがない。

だからこそ、音源もそうだが、ライブで聴いたTERUの「なぜ?」という文字にすればたった2文字に込められた思いの強さと深さに、心が抉られた。
その「なぜ?」を聴いて、何を思えるだろうか。それが全てだと思う。

でも、冒頭述べた通り、否定して批判して・・・で終えるのではなく、ちゃんと救いを残す。だからこそ、楽曲はずっとメジャー調だし、MVもそうだが、その際に希望が光となって、差し込んできている。ベースも軽やかで、サビの小刻みに音の粒を作るドラムのリズム感には、希望が伺える。間違えて間違えて間違えても、それでもまた、踏み出せる余白を残してくれている。GLAYの大いなる優しさ。

さぁ友よ祝祭の日だ!
さぁ共に夢見るのだ!

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#GLAY #祝祭 #人間どもはいつも最後の最後に間違える #いつでもショパン #中山七里

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